マインドデトックスの旅 6日目
この旅ももう後半戦。
昨晩の感動が消えないうちに昨日のnoteをかきあげる。
友人がどこかの国の食パンにチーズを乗せて焼いたトーストと味濃いめのコーヒーを準備してくれて、今日のおやつにと地元長崎からお母さんが送ってくれたみかんを持たせてくれた。
まだ温まりきれてない朝の空気を感じながら早足で最寄駅に向かい、ふと、今日の空の青さに気がついた。
今日は、TOkYO DESIGN WEEK という催し物の中のイベントの一つに参加してきた。
11:30
司会の方(紅白にバックコーラスで出場したことがある人だとか)の透き通る高らかな声と共にイベントが始まった。
イベントは3世代の建築家と脳科学者の茂木健一郎が2時間ずつ交代でクロストークしていくもので、僕は1番若い世代の建築家o+hの大西麻貴さん目当てで来た。その上の世代が石上純也さんで、1番上の世代として伊東豊雄さんがゲストとして呼ばれていた。
大西さんは今年のヴェネチアビエンナーレ日本館のキュレーターを勤めており、その際に発表した「愛される建築を目指して」というテキストがキッカケで僕はこの方に興味を持つようになった。
今日もその言葉を皮切りに大西さんの建築に対する考え方やこれまでの経緯についての講演会が始まった。
ここからは僕の解釈だ。
「愛される建築」というものを考えた時に重要になってくる6つの考え方。
分節的というよりは、一体的
組み立てるというよりは、生まれ育っていく
美しいというよりは、愛おしい
アノニマス (匿名・名無し・無個性)というよりは、個性がある
人工物というよりは、生き物のような
「ある」というよりは、「いる」
これらの考え方に番号がふられていないのは、多分、順番や上下関係を大西さんの中ではつくりたくないのだろう。それらは、それこそ、分節的(それぞれ)に考えられるものではなく、一体的(同時並行、全体性として)で考えられるべきものなのだろう。
一方で、観覧客として聞いていて、これらの考え方の中で特に大西さんの建築を説明する際に重要になってくるのが下記の二つの考え方になるではないかと思った。
人工物というよりは、生き物のような
「ある」というよりは、「いる」
大西さんの講演会の中で特に印象的に残った言葉
「たぬきにとっての毛皮のような、ゾウにとっての分厚い毛皮のような、そんな建築の仕上げとかを考えたいと思っています。何が似合うとか、何が適している、という感覚ではなくて、この建築(生き物)にとってはこれでなくてはいけない、というような、そんな感じなんです。」
この感覚によって(設計者にとっては)建築が生まれ育てていくことで、「ある」というよりも「いる」という感覚、つまり、その土地に対しての存在の必然性みたいなものを獲得していくのだろうと思った。(この感覚は設計者側の感覚で、建築に関わる関係者間では共有されてはいないのかもしれない。とも思った。)
この言葉を聞いた時、次の言葉を思い出した。
「第一の皮膚は人の皮、衣服が第二の皮膚、だとしたら第三の皮膚は居住空間、人間のからだをとり囲む壁やドアや窓ではないだろうか。」
[Our first skin is human skin. Clothes make up our second sukin. If this is the case, then isn't our third skin make up our living spaces - the walls,doors,and windows that surround the human bodys?]
点と点が繋がり、線になるような。そんな感覚。
大西さんと塩田さんは、世代も違ければ、生き方も、生きてきた環境も違う。でも、似た感覚を持っていて、そんな人たちのつくるものに惹かれる僕も、似た感覚を持っているのかもなって勘違いをしてみたりする。
その後、「経路と経験 - 都市から建築までの経験全体を、道を介して連続的に捉える」というタームでは、京都の町で過ごした経験から得た感覚を建築に落とし込むプロセスを事例含め紹介されていたり、江戸時代に書かれた小説の文章の朗読(動画を撮ったがnoteにはあげれないので、インスタであげようかと思う。ほんとに、この朗読が素晴らしかった。)を通して、自分の体験から都市の体験する感覚などを紹介されていた。
「道」に着目することで都市と個々の建築が連続していることを認識できる、という説明から発展し、「敷地」に対する「認識の拡張」とでもいうのだろうか、与えられている敷地を超えて、敷地外との関わりや繋がりを建築の形で築いていることを「二重螺旋の家」を通して紹介されていた。
また、最近竣工した熊本地震震災ミュージアムのプロジェクトについても紹介があった。車ですぐ行ける場所なので今度行ってみようかと思う。
最後に、「私たちの時代の理想郷 - 多様な人々、動植物が共に暮らす、インクルーシブな共同体を考える」というタームでは、これからの時代における社会の理想像でもあり、建築として目指す理想像の説明をされていた。
この話の前段としてあったのは、2013年の小豆島のプロジェクトで出会ったゆうこちゃんの話だった。
o+hが小豆島でのプロジェクトを行うにあたって開催したワークショップで唯一参加してくれたのが当時中学生だったゆうこちゃん。
地域でワークショップを行うとなると、なるべく、多くの地域の人々に参加してもらい、多様な意見を聞きたいとなるところ、唯一参加してくれたゆうこちゃんとの関わりを深くすることによって広がる地域との繋がりや関わりに意義があることを説明されていた。
「今、目の前にいる人と深く話すこと、それは、これまでその地で生きてきたご先祖様との連なりの中にあって、これからの未来への連なりの中にもあるもので。つまり、個人の中に内在されている多様性、地域、歴史と繋がりを持つことでもあって、一人の人と深く話すことにはとても意義があると思うんです。そうやって、それぞれのかけがえのなさが讃えられるような、そんな理想郷の形は、全体が内包されるのではなくて、いつだって個人から出発し、共感の輪が重なり合うことで形成されるんだと思います。」
個人が讃えられる社会や建築。僕自身、「個人の尊厳」というものを最近考えることが多く、共感する部分が多かった。
大西さんの講演会が終わると茂木さんが登壇し、クロストークが始まる。
茂木さんから色々と質問がされる。
以下)茂木さん→も、大西さん→お
も:大西さんの言葉には力を感じるんだけど、大西さんにとって言葉ってどういう存在なの?
お:想像を広げてくれるものですね。
も:大西さんの建築を見ていると、これまでの建築の文法というか文脈が変わっているように感じるんだけど、今日から未来の建築はどう変わると思う?
お:私自身の建築も文脈としては日本的になものの中にあると思います。ただ、文体が異なるから個性が生まれるように、私たちは、その文脈、文体をどう後世に伝えていくかは考えないといけないと思っていて、過去を掘って未来を語ることはこれまでと変わらないのかなって思います。
茂木さんとのクロストークが10分ほどあった後、会場の参加者からの質疑もあった。
以下)参加者→さ 大西さん→お
さ:卒業後、すぐに独立されていますが不安はなかったのですか?
お→大丈夫かなぁって思ってました(笑)
さ:進学するなら関東の大学と京都の大学どちらがいいと思いますか?
お:京都の大学ですね。まちがいいので。
さ:大西さんにとって模型とはどんな存在ですか?
お:模型は、言葉という想像を形に出したもので、言葉を介さないけれどモノからモノへと返答があり、変容がある。そういうものですね。
さ:学生時代にするべきことってなんですか?
お:学生当時、ルイス・カーンの本とか、よくわかんないけど研究室の先生におすすめされた本とかを買っていたんです。よくわからなかったし興味もなかったので20年間読んでいなかったんですけど、今になって読むと、すごいなぁって感じれるようになっていたりして。何が言いたいかというと、わからないことに触れるということはとても大事で、今すぐにわかるものばかりに向かうのではなく、今すぐにわからないことにも向き合った方がいいと思います。
さ:相手( 施主)の価値観や考え方に寄り添いながら、それらを建築に落とし込む時にどんなことを気をつけていますか?
お:相手の要望をそのまま反映はしませんね。もちろん、最低限、相手の要望に応えた上で、ずっと一緒にいることでわかってくる相手の好きなものや、どんな時に笑うとか、一緒に見た夕日の美しさとか。そんな、一緒にいた時間で相手に感じたことを踏まえて、提案をしています。
さ:建築にしかできない、人への寄り添い方はどんなものだと思いますか?
お:健常者や障害者という個性は実際そんなに関係なくて、あなたが気持ちいいと感じる空間なら、他の人も気持ちいいと感じるし、あなたが気持ち悪いと感じたら、他の人も気持ち悪いと感じるんです。だから、人のことをカテゴリーだったり、特徴で判断するだけではなくて、五感を働かせて、人間の感覚の本音で建築を感じて、考えることが大事かなと思います。
さ:一人でも建築家としてやっていく選択肢があったのに、なんで二人 (ユニット)で活動されているんですか?
お:百田くんがいないと、私、建築作れないんです。cadが扱えなくて(笑)。なので、そもそも一人でするという選択肢はなかったんです(笑)。
けどね、一人ではできないことに気づいて、誰かとすることにも気づけると、もっと広がるよ。
「もっと広がるよ。」
大西さんの言葉の中で、一番魅力的で、今は理解できていない言葉がこの言葉だった。
という感じで、イベントは進んでいった。
ここまでで約1時間半。
なかなか濃密すぎるイベントで、わざわざ鹿児島から見にきてよかったとこの時点ですでに思った。
昼休憩中。
朝、友人にもらったみかんを食べながらスクリーンに流れるイベントの広告動画を見ていると、隣の席の人が話しかけてきた。
ブルガリア人の女性で、今日は石上純也さんを目当てに見にきたらしい。
最初「学生ですか?」と聞かれ「いえ、違いますよ。」という短い会話を交わした。これで終わればよかったと今では後悔している。
というのも、この方。自分のことしか考えていない。
自己紹介から始まり、マシンガンのように自分のことを話してきた。友達になりたいのかな、と思いこちらの話も少しするととても興味なさそうに、どこかを見る。「いや、どこ見てるんだよ」って心の中で思いつつ、また、会話の主導権を握られると、やれ、自分は元々楽器の修理をしていたとか、やれ、自分のポートフォリオだとか。もう、自分のこと大好きなのか。なんなの?ってなった。
まぁ。よくよく考えると、単純に仲良くなりたいから話しかけてきていたのかもしれないし、その時点ではあまり深く考えないようにした。
ただ、ここからが彼女の本領発揮だった。
彼女の本命の石上純也さんの講演会が始まった。
大西さんの時と同様に石上さんの講演会が始まる。石上さんのはどちらかというと、事例紹介メインで、序盤に軽く自身の建築の考え方の原点を説明後、いくつかの事例を紹介する中で自分がどんなことを考えているのかを説明するスタイルだった。
冒頭
「建築のスケールと人のスケールを考える時に、人のスケールを地球のスケールと対応させるように考えている」
という言葉で講演会は始まった。
正直、僕は大西さんが目当てだったから、石上さんの話は大西さんほど興味がなかった (興味自体はある)。
その差が出たのか、あんまりカメラを構えずに、メモをとりつつ、移ろうスライドを眺めながら、話を聞くことに注力していると、隣から急に肘で突かれる。
「これ、撮って!今、撮って!」
お、おう、、。
そこから彼女自身でも写真を撮っていたが、僕も撮らされていた。
加えて笑顔で
「このメモ、後でデータちょうだい」
お、おう、、。
このゴリ押しというか、遠慮のなさ。
心の中にモヤモヤを抱えつつ、言われるがまま、写真を撮り、黙々とメモを取った。
石上さんは、重要にしている考えとかを、一つ一つスライドにまとめるということはせず、事例紹介の中で、ぼそっと説明されていて、その言葉を拾えたと感じる時、心の中で小さくガッツポーズをしていた。
「建築の内側に新しく外部環境をつくる」
講演会の中でも都度出てきた言葉で、事例を通しても一貫して考えられていることを感じた。
講演会は淡々と終わり、茂木さんとのクロストークに移る。
以下)茂木さん→も、石上さん→い
も:石上さんは、大西さんと比較すると作家性を強く感じるのですが、いつ作家性を獲得しましたか?
い:自分の中でアーティストと建築家の違いがあって。アーティストは、自分の内側にあるものをコンセプトにしている人たちで、建築家は、外部からのインプットがあって、それを解釈したものをアウトプットしていると思う。どんなに建築が奇抜であってもその場所や歴史にあっていなきゃダメだし、逆に合っているなら奇抜でもいい。なので、僕自身は、作家性というものをあまり考えてはいないです。
も:石上さんは建築家の中では、逸脱しているというか、建築の王道を越えているような感じがしますが、そこら辺はどうですか?
い:え、僕自身は、建築ど真ん中でやっているつもりです(笑)
茂木さんとのクロストークは、早々に終わり、参加者の質疑に移る。
以下)参加者→さ、石上→い
さ:石上さんは、何の為に建築をつくっていますか?
い:いきなり、重いのきたね。。。何の為っていう目的を定めてはいないかな。自分でも建築というのをよくわかってはいなくて、建築を理解したいから建築をしているって感じですね。
さ:学生の頃からの模型がたくさんあったと思いますが、それはどのように保管していますか?
い:多分、実家の空き家に全部あると思います。とりあえず、整理せずに全部空き家においていますね。雨漏りとかしてたら今頃ボロオロじゃないかな。
さ:建築設計をする際にさまざまな制限がかかると思いますが、どうやってクリアしていますか?
い:制限を制限として捉えるのではなく、ガイドラインだったり、ヒントとして捉えています。加えて、それらの制限は建築の絶対的条件ではないと思っています。
時間が押していたらしく、早々に参加者からの質疑が終わり、短い休憩に入る。
入ったと同時に、また、隣の彼女が話しかけてくる。
以下)ブルガリア人女性→ぶ、ぼく→ぼ
ぶ:どうだった?
ぼ:建築ど真ん中歩いているっていう感覚のは驚きだったかな。強いていうなら、予想以上にポエティックな人だったなぁ。
ぶ:スライドの最後にちょろっと話していたコンペの建築の形ってどう決めたんだろうね。
ぼ:あれがこうだったからああなったんじゃない?
ぶ:いや、そうじゃなくて、なんであの形なのかを知りたいの。
ぼ:だから、こう話していたじゃん?だから、こう考えていたからああいう形になったんじゃない?
ぶ:そんなのわからないじゃん。
ぼ:いや、わからないよ。想像でしか話せないよ僕らは。当事者じゃないんだから。
ぶ:そうだけどさ。。。次のひとだれ?このおじさん。
ぼ:伊東さんね!巨匠ね!誰このおじさんとか言わないで。
一番前で話を聞きたくて座ったこの席だったが、後悔が絶えない。
伊藤さんの講演会が始まる。
伊藤さんもイベントには最初から参加しており、大西さんの講演会から聞いていたこともあり、参加者に疲れが出ていることを感じていた。さすが、巨匠。
「みんな疲れているでしょ、僕のは簡単だから、気楽に聞いてね」
心の中で「いとうさ〜ん!」って叫んだ。
多分、会場にいた人の9割は叫んでいた。
多分、石上さんは叫んでいなかった。
「今日はね、公共建築をつくるときの考え方について話すね」と、ぬるっと始まった伊東さんの講演会。
最初に話をされたのは、東日本大震災の後、東北で伊東さんが設計された「みんなの家」について。
大震災の後、多くの被災者の方々が入った仮設住宅。でも、中には仮設住宅に入る前にいた体育館に残りたいと言った人たちもいたらしい。それは、みんなと離れ離れになるし、仮設住宅は私たちの家ではないから、帰る場所でもない。ということだったらしい。
そんな声を聞いていた伊東さんは、普通の家の形をした公民館のような場所「みんなの家」を設計した。
特別な形ではなく、どこにでも見られる家のような建築をつくった。
「公共建築というのは、もう一つの家でなくてはならなくて、家がなくなった時、家では居心地が悪くなった時、家に居られなくなった時。住民にとってもう一つの家のように、過ごせる場所でなくてはならないんだよ。だから、震災が起こり真っ先に公共施設が封鎖された時、僕はけしからんって思った。」
伊東さんの言葉に熱が篭る。
熱の篭った言葉がマイクで広がり、熱が会場を漂う。
熱が僕の心に伝播する。
熱かった。
「もう一つの家のように公共建築をつくるときに大事なのは、部屋ではなく、場所をつくることなんですよ。これ僕の家ね」
「僕は、ご飯を食べる時やテレビを見るときはリビングに行くし、寝るときは寝室に行くの。でもね、飼っている犬はそうじゃないんですよ。」
「犬はね、時間によって自分にとって気持ちいい場所を探しく移動するんですよ。朝はリビングにいたり、昼間になったら玄関のアスファルトにで涼んで、夜になって寒くなると僕の布団に入ってきて。そういうふうに犬には部屋という概念はなくて、その時々の自身の気分や状態に合わせて場所を選んでいるんですよ。でも、我々人間は、これをするときはここで、これをするときはここで、というふうに機能を持った部屋に行動を誘導されて制限されているんですよ。これこそ近代建築がつくってきたものであり、近代建築の弊害なんだよね。だから、なるべく部屋に行動を制限されない、場所をつくろうとしています。」
という言葉に続いて始まった事例紹介
終わってみたら一瞬というか、ほんとに簡単だった。
伝えたいこと、言いたいことを2つという極端に少ないものに絞り、それを伝えるためにこれまでの経験を含め話してくれた伊東さんの公演は、静かに熱を帯びたものだった。
茂木さんが裾から出てきて、クロストークが始まる。
裾から出てきてすぐ茂木さんが
「今日話をされた建築家の中で一番年齢が上ですけど、一番若いですよね」っとコメント。
今日一番の的確なコメントだと思った。
以下)茂木さん→も、伊東豊雄さん→と
も:どんな学生でした?
と:元々、機械工学とが電子工学の道に歩みたかったけど、学力が足りなくて、建築に進んだんですよ。当時は、建築学科は落ちこぼれ感があったんですよ。だから、元々は建築をやりたいなんて考えてなかったんですよ。
も:え、じゃぁ、どのタイミングで建築の面白さに気づいたんですか?
と:建築学科で学んでいた頃は、それこそ建築は論理的に考えるものだって思っていて。何年生だったかな。当時、若手でブイブイ言わせていた菊竹さんの事務所にインターン行った時に論理的とかじゃなくて、腹から抉り出すように建築をつくっていて、それを感じてから建築って面白いなって思うようになったかな。
も:腹から抉り出す感じってどういうことかちょっとわからないんですけど、もう少し簡単に言えたりしますか?
と:これね、伊東建築塾でも子どもに似たようなことを聞かれたことがあって。それを説明するときに難しいなぁってなったんだけど、結局、質問をしてきた子が「要は、感じるってことだよね」って言ったんですよね。ほんとにそうで、五感で感じて考えることなんですよね。だからかな、大西さんの熊本地震震災ミュージアムをみた時は感動したよね。あぁ、新しい世代が出てきたなっ感じましたよ。
も:え、そうなんですか。これはちょっと当の本人にも出てきてもらってコメントもらわないと。
も:今の伊東さんのコメントや伊東さんの講演を聞いてどう思いました?
お:新しい世代なんていうのは、伊東先生の過大評価ですね(笑)。あとは、大学院時代は、それこそ伊東先生とご一緒してたり、東日本大震災以降も関わりを持たせてもらっているんですけど。私が、考えていることの原点に影響をすごいもらっているなって感じました。
と:過大評価なんかじゃないですよ。それこそ、一人でつくることにはあんまり価値がなくて、いろんな人たちと共同でつくって予想もしていなかったものになることこそがクリエイティブだと思っているんですけど、大西さんのはまさにそうだと思う。
このあと何ラリーかして大西さんは退場。
その後は、ここでは書けないような質疑が茂木さんからあったのだが、伊東さんのコメントで
「建築には、ムダが必要なんですよ。ムダのない建築は良くないし、豊かじゃなくて、その点で言うなら石上さんの建築なんてムダの塊じゃない。良い意味でね。ほんとに、良い建築ですよ。建築とは、いかにムダをつくれるかなんですよ。」
もうこの言葉だけでも参加費のもとが取れると思った。
その後、参加者からの質疑が続く。
以下)参加者→さ、伊東豊雄さん→と
さ:海外でも活動されていますが、これまでに海外の建築家でインスピレーションを受けた人はいますか?
と:インスピレーションというと、受けた人はいないかな。でも、海外のコンペとかに出ると、レム・コールハウスやザハ・ハディドとか、そういう人たちと毎回顔を合わせるから刺激になっていたと思いますね。
さ:前回、日本で行われた万博の時に感動したパビリオンとかはありましたか?
と:ないね。太陽の塔が強かったよね。それこそ、ムダしかないもんね。でも、それにみんな見せられたんだよね。前回の日本ではなくて、1967年のモントリーオールであった万博で見たバックミンスター・フラーの「フラードーム」やフライオットーのパビリオン、サフディーの集合住宅とかは、すごいなぁって思いましたね。
さ:近年、AIの発達が著しいですが、それらに建築家がとって変わられないようにするにはどうしたらいいと思いますか?
と:ツールとしてAIとかが発達し、建築を作ることが楽になることがあっても、思想があってこそつくられるのが建築なので、とって変わられることはないと考えています。それは、僕だけでなく、事務所のスタッフたちともそういった話をすることがありますが、若い人たちもみんなそう言ってますね。
さ:設計するときに、居場所ってどうやってつくればいいんですか?
と:居場所ってこうやればつくれるっていうものじゃないんだよね。居場所をつくることってほんとに大変で、高さや幅とか、奥行きとか、素材とか。色々考えてつくるものだね。
さ:利用者に寄り添ってつくろうとすると多様性を失い、逆に、多くの人の意見を取り込むと均整なものになってしまい、個性を失ってしまいます。どうやってバランスを取ればいいでしょうか?
と:自分にとっていいものを考えたらいいと思います。五感で考えながら、考えに考えて考えたものは、誰かが共感してくれるものです。最初から、みんなが気に入ってくれるような建築は、ろくなものではないですよ。
も:最後に、今回のイベントでは、多くの学生の子達が高い参加費を払って(学生5,000円、一般10,000円。一般人でも高いよ。と言いたい。)参加していくれています。何か一言。
と:最近ねNHKの番組で「最後の講義」ってのに出たのね。そこでも、話したことなんだけど、みんな、何年後にはこうなりたいとか、将来はこういうふうになっていたいって考えるでしょ。でもね、そううまくはいかないから。そんなの考えたってわからないことなんだから。だから、僕はこう言いたい。考える前に、飛べ。そしたら、どこかには辿り着く。」
また、伊東さんの熱の篭った言葉で、会場に熱が漂った。
最後に、急遽当日決まったことなのだが、短い時間だけでもと建築家3人と茂木さん含めた4人でのクロストークが設けられた。
セックスあとのピロートークのように今日を振り返ってどうでしたか、という質問が茂木さんから投げかけられ各々答えていく。
も:では、最後に建築の未来に、学生に、参加者に対して一言ずつ。
と:近代建築に屈せず、脱したい。これまでの日本の建築は近代建築を洗練してきたものだった。でも、もうこのままだとダメだ。西洋の建築感ではなく、アジアこそ、日本こそと言えるような、そんな建築をつくっていきたいね。
い:建築家ができる範囲が昔より狭まってきているように感じています。もっと都市の計画とかもしたいし、それこそ、地球スケールで考えたい。そんなふうに、未来をつくるエネルギーみたいなものを絶やさずにいたいですね。みんな、建築家になりましょう。
お:石上さんとは逆に、私は建築家がやるべきこと・できることが増えてきたと感じてて、そんな時代において、建築とは、複雑なものを統合して「1」をつくることですから、そこを諦めずに、みんなで良い建築を、良い社会をつくっていきましょう。
も:では師匠。最後に締めてください!
と:考えるな!飛べ!
会場:ぱちぱちぱちぱち〜。。。。
会場は、熱気と拍手で包まれた。
司会者の終了のアナウンスで、参加者の「んふぅ〜」っという声にならない音が会場に漏れる。
終わったあと、会場のセットが変更され、そのあとは、建築家のゲストや参加者たちが交流する小さなパーティーみたいなものが飲み物や食事と共に用意されていた。
僕も、大西さんと話したかったので残っていたが、大西さんは、すぐにヴェネチアに飛行機らしく、すぐに退場。ということで、僕もいっぱいだけ飲んで、すぐに会場を後にした。
一応、ブルガリア人の女性にも別れを告げて。
疲れてもいたし、外も寒かったので少し足を伸ばして、前日行きそびれた狛江湯に行くことにした。
小田急線に揺られて30分くらい。アニメを1話分みてたら着いた。駅からは徒歩5分。
スキーマが改修設計を行った銭湯。
風呂場は、写真を撮ることはできなかったが (銭湯内は撮れなかったが脱衣所や店前は少し撮影できた)、デザインも空間もお湯もちゃんと味わうことができた。人が混んでいたのと時間の関係でサウナは無理だったが、銭湯は逃げない。またいつかお邪魔しよう。
狛江湯を後にして、また、小田急線に乗り、北千住に向かう。
大学の友人と待ち合わせして、適当な居酒屋に入る。
友人は大手ハウスメーカーに勤めていて、今、めちゃくちゃ忙しいらしい。そんな中、少し前に僕が誕生日だったことから祝いだ、飲みに行こうと言ってくれた心優しい人なのだ。
色々話をした。でも、あんまり覚えていない。でも、いいんだ。大した話をしなくても会って話したいと思える友人でいれることが大事なのだから。
相手のことも考え、ほどほどに飲み会を終えて、帰路に着いた。
今日は長かった。けど、日本の建築界のトップを走る人たちの考えを聞くことができて、とても刺激をもらえたからか、短くも感じた。
そんなマインドデトックスの旅 6日目だった。