明日、27歳になる
変わらないものと変わったもの
26年と364日。
今日まで山あり谷ありとまでは言わないが、丘あり窪みありくらいの人生を過ごしてきた。
明日、27歳になる。
実感はない。
でも
事実である。
けどやはり
実感はない。
自分の年齢とそれに即した実感を伴っていたのは
多分、18歳か19歳くらいまでだと思う。
なぜなら、その当時の自分と今の自分の心の若さみたいなものがあまり変化していないから。
変化していないなと感じられる要因はいくつかある。
一つ目、まだ実家で過ごしているから。大学院まで修了して、少しずつではあるが働いてはいる。けど、まだまだ自分の働きだけで生活を成り立たせられるほどの状況になっていないという現状だけは、当時と大して変わってない。生活状況、環境に大きな変化がないので、そう感じるのかもしれない。
二つ目、今も当時も建築家になることを望む気持ちが前向きなものとして存在しているから。もちろん、「建築家になる」という夢からは「何のために、どんな、建築家になりたいのか」くらいには自分の夢(目標)に対して解像度は上がってきたし、高専から大学院までの学びや実務経験を積んで現実的な部分での建築家という仕事に対する解像度も上がった。
人生の丘や窪みもあったので、ずっと同じくらいのモチベーションで夢を保てていたわけではないけれど、今の自分も18歳の自分も、比べて見た時に同じくらいに「建築家」という夢に対して前向きだったと思う。
最後、三つ目、将来への不安が今も当時もあるから。
18歳の頃に感じていた不安は、もっと漠然としていた。けど、18歳の頃の自分は、その不安の正体を知らなかったし、夢や将来に対してのポジティブなモチベーションも今よりも(若さという資源に満ち溢れていたので)高かったから、それらの不安も大した問題ではないと思ってた。
けど、具体的な現実問題として不安の正体が現れてくる機会が増え、年齢を重ねるにつれてなくなると思っていた不安は、逆に増えているようにも感じる。
不安がある。その状況は、今も当時も変わらない。
不安の総量は増え
希望の総量は減り
現実が理想を超えてきた。
一方で
経験の総量は増え
寿命の総量は減り
理想が現実を変えてきた。
おかげで
何をしたいのか、そのために、何をすべきか。
より具体的に、建設的に、適切に考えれるようにもなった。
27歳の目標
明日、27歳になる。
具体的達成目標がある。
一つ目。
就職活動を完遂し、内定を掴み取り、2025年4月から1人暮らしの新生活をスタートすること。
二つ目。
就活を終えて、新生活を始めるまでの間に、憧れていたヨーロッパの建築・都市を訪れ、たくさん、空間を経験すること。
三つ目。
本業と副業で合わせて、年収が350万円を超えること。
四つ目。
全身脱毛を始めること。
五つ目。
ジムに通って肉体改造を始めること。
六つ目。
新しい趣味として、ゴルフとボルダリングを始めること。
七つ目。
姪っ子の写真集をつくること。
八つ目。
将来のための資産形成を本格的に始めること。
九つ目。
友達と旅行に行くこと。
十こ目。
構想中の事業をスタートすること。
やりたいことでもあるし、達成したいことでもある。
他にやりたいことや細かい目標もあるけれど、上記のものは何とか達成したい。励みたまえ、27歳の自分。
26年と364日生きた自分へ
励む27歳になる前に。
今日まで生きてきた自分へ。
よく頑張ってきた思う。
「これまでの人生、どうだった?」
と、もし聞かれたら
「しんどかった」
と、すぐに答えてしまうくらいには、自分の中ではしんどかったと思う。
楽しいよりも苦しいの時間のほうが多かったし、
嬉しいよりも悲しいの時間のほうが多かった。
幸福よりも苦悩の時間のほうが多かった。
こんなことを言うと
「みんなそうだよ」
と言う声が飛んできそうな気もする。
そんな訳ない。
僕の苦しさは僕だけのものだ。
僕の悲しさは僕だけのものだ。
僕の苦悩は僕だけのものだ。
誰もわからない。僕にしかわからない。
だから、僕だけが僕を認めてあげられる。
ので、ちゃんと認めてあげたいと思う。
自分なりに自分ができることを自分の責任感のもと、ちゃんと果たしてきたと思う。
自分の頑張りが、今はまだ、金銭的な対価に直結しないことが多くても、それ以外の対価の価値を見落とさず、しっかりと拾い上げてきた自分のことを褒めてほしい。
理不尽に人に責められても
自分の言葉を人に馬鹿にされても
努力が結果に結び付かなかったとしても
それでも、踏ん張って、踏ん張って、踏ん張った。
もう一度、もう一度、もう一度って、足を動かした。
そして今も、立ち止まりながらも、天を仰ぎたくなりながらも、地面に顔をうずめたくなりながらも、前を向いている。
ちょっと前に後輩に言われたよね。
「井尻さん、ほんとメンタルやばいですよね。」って。
あれって、単純に人から見たら発狂したくなるような状況ですよってことだったと思うんだ。
そんな中、発狂せず、感情の渦に飲み込まれながらも考えて考えて考え続けて理性を保ち続けて未来を見据え続けた自分を、僕は褒めていいと思う。
よく、頑張りました。
これからの自分へ
あまり頑張るな。
励みなさい。
「頑張る」とは
忍耐して、努力しとおす。
ことを指す。
つまり、我慢が大前提にある。
苦しくてしんどくて悲しくて
報われなさを感じたとしても耐え忍ぶことが評価になる。
僕は、それはもうしたくない。
嫌なことはやりたくない。
苦しいことはやりたくない。
しんどくなることも悲しくなることも報われなさを感じることも、どれも僕は望まない。
僕が望むのは
好きなことをやること。
楽しいことをやること。
自分が幸せになることをやること。
そのために、誰かの幸せのためになることをすること。
苦しくて、しんどくて、悲しくて、報われない人を直接的でも間接的でも救える自分になること。
そのために励みなさい。
「励む」とは
心をふるわせて打ち込んで努めること。
自分の心が震えるものを。
自分にとって価値あるものを。
自分の明日が輝くものを。