Vol.520「〈一億総白痴化〉から〈一億総狂人化〉へ」
(2024.11.26)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…よりによって、斎藤元彦を再び知事に当選させてしまった兵庫県の有権者は、明らかな馬鹿である。どうしようもない馬鹿である。新聞・テレビなどの既存マスコミは斎藤の「パワハラ疑惑」を連日報道し、出直し選挙でも斎藤の再選はどこも予想していなかった。そんな中で、斎藤陣営はSNSやユーチューブなどのネットを駆使する選挙戦を行った。さらに、この選挙には「N党」の立花孝志が「当選を目的としない」と公言して立候補し、斎藤の応援のため他の候補への妨害工作などを執拗に行った。そうして、ネットしか見ず、リテラシー能力もない兵庫県の有権者がまんまと乗せられて、斎藤を当選させてしまったのだ。既存マスコミも人々を堕落させたが、ネット・SNSは社会をさらに狂人化させる!民主主義の敵である!
※茅根豪氏による特別寄稿…松本人志が裁判を取り下げたとか、新しい「性被害者」がいるとかいないとか、不同意性交罪の周辺が再びガヤガヤしている。以前(ライジングVol.497)は、不同意性交罪の成立過程とその背景について論じてみた。今回は、そもそも論として「不同意」つまり「同意」そのものについて論じてみたい。素朴な感覚として、「不同意性交罪」が成立したのだから「同意とは何か?」についても議論が尽くされていると思うのではないだろうか。さすがに「同意」の明確な定義がなければ困るでしょうと。ほろ酔いでS●Xしたら犯罪かも!?
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…奈良時代に編纂され、現存する日本最古の歌集「万葉集」。万葉集におさめられている歌は、ほとんどが「詠み人知らず」だが、歌人では、大伴家持が合計473首でトップ、合計88首の柿本人麻呂をぶっちぎりで引き離している。一方で、そもそも万葉集は、小さな歌集群が、数十年かけて複数の人々の手によって重層的にまとめられていった結果、最終的に巨大な歌集として成立したというもので、その起点であり、母体となる最初の歌集を編纂させたのは、女帝・持統天皇(第41代)だったということはあまり知られていない。「万葉集」成立をたどることで見えてくる、持統天皇の偉大さとは?
1. ゴーマニズム宣言・第549回「〈一億総白痴化〉から〈一億総狂人化〉へ」
よりによって、斎藤元彦を再び知事に当選させてしまった兵庫県の有権者は、明らかな馬鹿である。どうしようもない馬鹿である。
今こんなことを言うと、たちまちSNSで大炎上となるらしいが、知ったこっちゃない。
馬鹿には馬鹿と言わなきゃしょうがないのだ!
ネットには斎藤の再選を絶対的な正義のようにして、「有権者を侮辱するな」だの「民意の裁定が下ったんだぞ」だのと居丈高に唱える声が溢れているが、じゃあ有権者は神なのか? これは神の審判なのか?
そんなことはない。有権者が間違った判断を下すことなんか、いくらでもある。そんな前例は、ドイツの有権者がヒトラーを選んだ一件を挙げれば十分だ。もっとも今どきのネット民の若者は「ヒトラーの一件」といっても、何のことだかわからないほどのレベルだったりするから、話にならない。
熱狂の波が去ってみたら、なぜこんな選択をしてしまったんだろうとなるようなことは、今まで何度も繰り返されてきたはずだ。かといって、誰も総括も反省もしないのだが。
そんな有権者の審判が下ったといって、これを絶対化することなど決してしてはいけないのである。
新聞・テレビなどの既存マスコミは斎藤の「パワハラ疑惑」を連日報道し、出直し選挙でも斎藤の再選はどこも予想していなかった。
そんな中で、斎藤陣営はSNSやユーチューブなどのネットを駆使する選挙戦を行った。そのネット戦略を請け負ったコンサル会社の代表は、一部始終を自慢げにブログに掲載。その中に報酬を受け取って行ったとも取れる箇所があり、それが事実なら公職選挙法違反になるとして、新たな火種となっている。
SNSは既存マスコミを「オールドメディア」と称し、斎藤の疑惑はオールドメディアの「捏造」だ、斎藤は「既得権益者」に嵌められたのだ、これはイジメだ、陰謀だと騒ぎ立てた。そして、対立候補に対する膨大なデマや誹謗中傷が飛び交った。
選挙戦の争点は「斎藤は善玉か、悪玉か」の二者択一となり、政策論争は消え失せた。「斎藤善玉論」はネット内にしかなかったが、ネットには同じような「善玉論」ばかりがタイムラインや検索結果に出てくる。
そしてネットばかり見ている人は、やがて「なぜテレビはこの重大情報を取り上げない?」と不信感を持ち、マスコミに叩かれる斎藤こそが「真の被害者」だと思うようになっていった。
NHKの出口調査では、投票の参考にしたものでは「SNSや動画サイト」が30%でトップを占め、「新聞やテレビ」の24%を引き離した。そして、SNSや動画サイトを参考にした人のうち、7割が斎藤に投票していた。
ネットしか見ず、リテラシー能力もない兵庫県の有権者がまんまと乗せられて、斎藤を当選させてしまったのだ。
本当に既存マスコミが自らの報道に自信と誇りを持っていたら、選挙の結果なんか関係なく斎藤を追及する報道を続ければいいし、こんな選択をした兵庫県の有権者はおかしいと批判すればいい。それこそがマスコミの使命だと言ってもいい。
ところが、新聞もテレビも選挙結果ひとつで完全に萎縮してしまった。コメンテーターなども、批判的なことを言うとSNSで袋叩きにされると恐れているのか、発言を控えるようになり、中には以前の批判的発言について謝罪する者まで出てくる始末である。
そんなことだからナメられるんだということが、なぜわからないのだろうか?
この選挙には「N党」の立花孝志が「当選を目的としない」と公言して立候補し、自身のポスター掲示枠には斎藤を支援する内容のポスターを貼り、斎藤の応援のため他の候補への妨害工作などを執拗に行った。
そもそもそんな立候補など常識的におかしく、許されるはずがない。
確かに公職選挙法には、どこを読んでも「当選を目的としない立候補は禁じる」といった条文はない。一定の票を獲得できなければ供託金を没収するということが定められている程度で、だからこそ今までも、注目される選挙にはどう見ても当選するはずのない「泡沫候補」が多数出馬し、選挙を自己PRの場に使ったりしてきた。
だが立花はその法律の不備をさらに悪用し、先の都知事選では一人しか当選しないところに24人も立候補させて、ポスター掲示板をジャックして選挙とは関係のない同じポスターをずらっと並べて貼り、そのポスター掲示枠を事実上「販売」して利益を得ようとまでしたし、今回は斎藤を応援し、対立候補を妨害するために立候補したのである。
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