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Vol.505「新1万円札の肖像・渋沢栄一のミスに学ぶ」

(2024.7.9発行)

今週のお知らせ

※「ゴーマニズム宣言」…約20年ぶりとなる新紙幣の発行が始まり、新1万円札の肖像となった明治・大正期の実業家、渋沢栄一(1840-1931)は特に注目を浴びている。日本近代経済の父と呼ばれる渋沢は、500もの企業に関わりながら、自らの財閥は作らず、実業による私利は公益に資するべきだとして、生涯にわたって福祉や教育など数多くの慈善・社会事業に尽力し続けた。それは、今どきの自分だけ儲かればいいというような経営者には全くありえない信念であった。まさに偉人、聖人というべき人物である。しかし、そんな渋沢栄一でさえ、無謬ではないい。テレビや新聞・雑誌等でも渋沢に関する特集が多く組まれたが、そこでは絶対に触れられていない事実がある。今回は、そのことについて書いておこう。
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…カドカワとその子会社ドワンゴへのサイバー攻撃のせいで、ライジングの配信が1か月も休止してしまった。今回のサイバー攻撃の経緯、犯人の手口、サイバー犯とマスコミの関係性、さらにコロナ対策から増えたというサイバー犯罪の実態とは?そして、このご時世に普通の人ができる対策なども考えていこう。
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…デビッド・フィンチャーの『ゴーン・ガール』と『夫婦の絆』の共通点?ポリコレやヒステリックフェミこそ多様性を守れていないのでは?クイズ番組における学歴の扱いをどう思う?モソ族と沖縄の母系社会は似ている?男系派の議員にメール・手紙を送ることや事務所に直接声を届けることは効果がある?選挙への立候補や政党を作る基準をもっと厳しくした方が良いのでは?資産運用はしている?老人の性…諦めることと諦めないことはどちらが尊い?最近好きな芸人は?日本の中小企業は再編すべき?…等々、よしりんの回答や如何に!?


1. ゴーマニズム宣言・第534号「渋沢栄一のミスに学ぶ」

 約20年ぶりとなる新紙幣の発行が始まり、新1万円札の肖像となった明治・大正期の実業家、渋沢栄一(1840-1931)は特に注目を浴びている。
 テレビや新聞・雑誌等でも渋沢に関する特集が多く組まれたが、しかしそこでは絶対に触れられていない事実がある。
 今回は、そのことについて書いておこう。

 わしは渋沢栄一を大尊敬しており、4年前に渋沢が新1万円札の顔になることが決まった時には、「よしりん辻説法」で渋沢について1本描いたこともある(3巻『十二人の語るべき人類』収録)。
 日本近代経済の父と呼ばれる渋沢は、500もの企業に関わりながら、自らの財閥は作らず、実業による私利は公益に資するべきだとして、生涯にわたって福祉や教育など数多くの慈善・社会事業に尽力し続けた。
 それは、今どきの自分だけ儲かればいいというような経営者には全くありえない信念であった。
 著名人の福祉事業というと、とかくその時の話題だけで終わっていく場合が多いものだが、渋沢は「社会事業も継続的、経済的でなければならない」として、そのためには「組織的でなければならない」と説き、その理念から企業経営で培った「組織づくり」のノウハウを社会事業に取り入れた。
 そのためか、渋沢が立ち上げた社会事業には現在も残っているものが数多い。

 渋沢は特に明治5年(1872)設立の「東京養育院」(現・東京都健康長寿医療センター)に、60年近くにわたって力を注いだ。
 養育院は困窮者を入所させる保護施設で、日本の近代福祉事業の原点とされ、当時渋沢が会頭を務めていた東京会議所の一事業として始まり、次いで東京府の運営に移った。
 ところが東京府は、財政難を理由に廃止の方向に動いた。そこで渋沢は誰よりも強く存続を望んで奔走、その努力が実って明治23年(1890)、東京市の市営で存続が決まった。その際、渋沢は市の要請によって院長に就任し、亡くなるまで40年以上務め上げたのだった。
 養育院には孤児、老人、路上生活者、障害者など多様な人が入所したため、それに対応して病院や養老所など、いろいろな施設が派生して設立されていった。
 そして渋沢は、障害者や先天的な病気を持つ人への扱いが劣悪だった時代の中で、その改善を本気で目指したのである。

 渋沢が生涯に関与した社会事業はなんと600余にも上る。福祉事業は養育院の他、博愛社(現・日本赤十字社)や中央慈善教会(現・全国社会福祉協議会)など100ほど、教育事業は一橋大学、日本女子大、早稲田大学、東京経済大学、二松學舍大学など150ほどを手掛けた。
 国際交流では日本国際児童親善会、YMCA、環太平洋連絡会議ほか多数。
理事長を務めていた知的障害児施設「滝乃川学園」が火災によって廃止寸前になったところを再建し、財団法人聖路加国際病院初代理事長を務め、関東大震災の後には、罹災して夫を失った女性や母子を保護する「愛の家」を設立、これを罹災者救済に限らず貧困女性や子供たちを救済する事業として継続させるなど、その活動は枚挙にいとまがない。
 さらに晩年の渋沢は、今の生活保護法の前身にあたる「救護法」の制定に尽力。
 渋沢が89歳の時に救護法は公布に至ったが、その後に政権交代が起こり、新政権が緊縮財政を採ったため、施行はされないことになってしまった。そこで90歳を過ぎた渋沢は、体調を崩して医者に止められながらも、速やかな施行を求めて政府に陳情に出向いた。
 その努力が実って救護法が施行されたのは昭和7年(1932)、渋沢が世を去った翌年のことだった。

 まさに偉人、聖人というべき人物である。
 だからこそ、わしはなぜいま渋沢が1万円札の顔になるのか、理解できない。
 政府は、渋沢が「新たな産業の育成」の面から「日本の近代化に大きく貢献」したことを理由に挙げているのだが、もしも渋沢が現在の日本を見たら、自分が目指した「日本の近代化」とはこんなものではないと、政府を叱りつけたに違いないのだ。
 上に紹介したとおり、渋沢は自分だけが儲かればいいという経営者ではなかった。
 渋沢の経営哲学の基本には「論語」があり、「道徳」と「経済」が一体にならなければならないという「道徳経済合一説」を唱えた。
 現在の経営者には、哲学も道徳もない。仁も義もない。弱者を切り捨て、格差を際限なく拡大させても自分の利益を追求するような日本人に、渋沢栄一の1万円札を使う資格なんかあるだろうか?
 渋沢栄一は演説集『論語と算盤』で、こう言っている。
「論語と算盤というかけはなれたものを、一つにするという事が最も重要なのだ。
 できるだけ多くの人に、できるだけ多くの幸福を与えるよう行動することが、我々の義務である」
 渋沢は1万円札の顔になることが決まってから大河ドラマの主人公になり、今は『論語と算盤』が売れているというが、一体みんな、渋沢栄一のどこを見ているのだろうか?

 …と、ここまで書いたのは前段で、今回はここからが本題である。
 そんな渋沢栄一でさえ、無謬ではないということを書かなければならない。
 実は渋沢は、ハンセン病患者の徹底隔離政策に大きく関わっているのだ。

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