愛してくれとは言わないが、そんなに美魔女が怖いのか【前編】
「重ねた年齢の数ほど私たちはキレイになっていく」。いつまでも若々しく綺麗でいたいアラフォー女性のための女性誌『美ST』(『美STORY』から改名)が、命名した“美魔女”。年齢を重ねても輝き続ける女性たちはあっという間に世間に認知されました。しかしその一方で、「いい年して」など、彼女たちへの風当たりがとても厳しいのはなぜなのでしょうか。
この道20年のベテラン女性誌ライター芳麗さんが贈る“ありふれた女”たちのための教科書です。
「落ちるもんか! 49歳の壁」
魔美は、毎朝、鏡に映る全裸の自分をくまなくチェックしながらつぶやく。肌には、ぬめるような艶があるし、ウエストにはなめらかなくびれもある。
45歳には老化の絶壁があるらしい。女性ホルモンの減少が始まる40歳を超えても、この女っぷりをキープしているのだ。私ならそんな壁、飛び越えられるかもしれない。
毎朝5時に起きて、週3回は10km走る。低速ジューサーでつくった野菜ジュースにスーパーフードをたっぷり入れて飲みほしてから、ゆで卵をふたつ。氷水で洗顔、美容成分の浸透率が高まる美容液をぬった後にフェイスパックを装着。そのまま、掃除と洗濯をすませて仕事に出かける。
夕食は糖質オフで良質なタンパク質を中心に。できるだけ、22時までにはベッドに入る――。これは、基本の日課。その他、週一で加圧ピラティスや筋膜マッサージ、月1で美容クリニックとエステの予定も入れている。
美を極める道は険しく、時ともに闘いは激しさを増していく。いつしか魔美は、美のアイアンレースに参加するアスリートと化していた。
美容が好きなのは、やればやるだけ結果が出るところだ。恋愛や夫婦関係はもちろん、仕事だって、努力がこんなにわかりやすく成果が出るものではない。美は素材の力だけでは叶わない。自らの意識を高めて、実際に手をかけなければ、綺麗なままではいられないのだ。
「そろそろホルモン補充療法もはじめたほうがいいかしら?」
“美魔女”と揶揄されることもある。それでも、誇らしく思う。誰が見ても目立つほど美しくなければ、“美魔女”とは呼ばれないのだから――。
美しければ、いくつになっても私がヒロイン!
“美魔女”とは、アラフォー以上になっても、まるで魔法をかけたようなエイジレスな美しさをもった熟女のこと。今や、世のすみずみまで浸透している、この呼称を生みだしたのは、2009年に創刊された女性誌『美STORY』だ。
*現在は、改名して『美ST』(ビスト)。意味は、「美にベストを尽くす人の、美ST! 美というステージで輝く人の美ST! 美というストーリィを生きる人の、美ST!」とのこと。
雑誌のキャッチコピーは、「40代、私の全盛期は今からやってくる!」「重ねた年齢の数ほど私たちはキレイになっていく。」など前のめりにポジティヴなものばかり。
それまで、40代は、“華としての女”という役割は降りて、母親や仕事人など、別な役割を担うべきだという無言の社会圧があった。
けれど、時代とともに人々の意識や価値観は変化、美容技術も進化して、40代でも若く美しいままでいることは現実的に可能になった。その時、華でありたい女の欲望をあからさまに具現化したのが“美魔女”であり、『美ST』だったのだ。
創刊当時にアラフォーだった読者層は、バブル世代。裕福な時代に若い女性であることでおいしい思いをしてきた彼女たちは、いつまでも若々しく綺麗でいたい、いくつになってもヒロイン願望が強い人々。そんな彼女たちに、「美魔女」という世の注目を集めるステージはハマった。
『美ST』は女の本音と強烈な欲望をエンタテインメント化。創刊からの数年間は特に、振り切った企画で話題を集め続けた。
「国民的美魔女コンテスト」は、一般の熟女たちがミス・ユニバースにも匹敵する大胆なビキニを着用して美を競いあい、「人生を変える読者ヌード特集」では、やはり素人の読者たちがトップレスヌードを堂々と披露。ワイドショーでは、新時代の熟女たる美魔女たちの生態を解き明かすべく、一部始終を追いかけた特集も放映された。
あれから、6年―――。メイン読者層のアラフォーがバブル世代から、氷河期育ちの堅実DKJ(団塊ジュニア)に移行すると、『美STORY』は過激な企画があきらかに減少。2012年には、誌名を『美ST』とあらためてリニューアルした。けれど、今や美しい40代は珍しくなくなったし、“美魔女”の存在はすっかり浸透している。
美ST誌面に登場するタレントやトップ美魔女たちは、アンビリーバブルなほど美しい。完璧な構図やライティングのグラビア写真もそこに添えられた美辞麗句も、陶酔感に満ちている。
一方、美しくあるための術に関する企画は、「マジ、ここまで?」のボーダラインをやすやすと超えてくる。2時間かけて化粧水パッティング、オバ声解消のために割り箸をくわえながら舌を上下に動かすトレーニング(イジリー岡田?)、小顔とリフトアップのために顔中に鍼をうつ……etc. とにかく過剰で極端なのだ。
痛くても、滑稽でも、キレイのためなら何だってやる! という攻めの姿勢には恐れ入る。
私だって(怠惰ではあるが)、人なみに美しくありたいという欲望はあるので、美魔女マインドも共感できる。でも、そのためにどこまでやれるかと問われれば、小顔やたるみ解消のために顔中に鍼をさすことはいとわないけれど、エラを削ったりメスを入れることはできない。
“美への努力”が妥当かどうかは、慣れの問題でもある。アイプチで目を二重したり、全身脱毛したり、日焼け完全防備のためにマイケル・ジャクソンばりの帽子+サングラス+黒マスクを装着することだって、最初はみんな引いたはずだ。でも、次第に「影の努力が実を結ぶ」とばかりに慣れて行く。
美魔女たちは、やたらとエールを贈ってくれる。
美魔女たちは、なぜ、ここまで美にストイックに邁進できるのか?
それは、「愛され続けたい」からだと思う。彼女たちはかつて美魔女である前は、美女だったし、その前は美少女だった。華として愛される快感を謳歌してきた彼女たちは、華としての季節をいつまでも引っ張りたいのである。
「国民的美魔女コンテスト」や「読者ヌード」に登場している美魔女たちは、誌面にてコンテストや撮影に挑む理由について問われて、「結婚10年目のダンナさんに振り向いて欲しかった」「自分へのけじめとして、何かを変えたくて応募しました」「社会人のスタートを切る娘へ、母からのエールです」などと答えている。大仰だが、噛み砕けば、「まだまだ私を見て!」「もっともっと褒めて、愛して!」というヒロイン的な承認欲求をしっかり温めているのだ。
コンテストやヌードのほかにも、『美ST』には他者からの愛や承認をもとめる企画が多数ある。「結婚15年目の妻はこんなに色っぽい」(2015年10月号)、「私たち美魔女ですが、何か?」(2012年5月号)……etc.
さらには、「エール」という言葉が頻出するのも印象的。「真矢ミキさん、YOUさん、高島礼子さんからエールが届きました」(2015年10月号)など熟年女優も、ヌードに挑戦した美魔女たちも、やたらと読者にエールを贈ってくれる。
2011年3月号の表紙を飾ったTEAM美魔女(コンテストで選出された美魔女たち)についても、美容ジャーナリストの大御所・齋藤薫さんは、「その美しさは、誰かを勇気づけたり、社会を明るくしたり、身近な人を幸せにしたり(後略)」と手放しで賞賛。自力で年齢の壁を越えた美魔女たちは、「一生懸命生きてきた人生は輝いている」という証明であり、「その存在こそがエールである」という。だからこそ、「現代の“美魔女”は美しければ美しい分だけ評価を得るのである」とも。
「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」といったのは、かの作家・林芙美子である。美魔女は、やがて枯れてしまうという女の宿命に抗う、求道者なのだ。そんな生き様は読者を励まし、社会を照らす“エール”だということだろう。
しかし、そんな健気な美しき魔女たちに世間の風は冷たい。
「怖い」「いい年して」など、中世の魔女狩りのごとく、非難を受けている。人一倍愛されたくて努力しているだけなのに、うとまれるという哀しさが、そこにある。
なぜ、こうも美魔女の好感度は低いのだろう?
次回「愛してくれとは言わないが、そんなに美魔女が怖いのか【後編】」へつづく