ラルクをめぐる冒険 - L'Arc-en-Cielはその音楽にてなにを描いたのか、なにを伝えようとしたのか、という話がしたい
音楽文が終わってしまうのでなにか投稿したい。最後はラルクについて書こう、最後なので音楽文の華である歌詞引用芸で散ろう、でもラルクの歌詞って雰囲気を味わうもの(失礼)でしょ? 改めてなにを歌っているのかちゃんと全曲目を通してみるか、という気分で書きました。強引でも妄想でも、落ちがつけられてよかったです。
音楽文掲載日:2021/9/2
誰より高く 空へと近づく
輝きを集め光を求める
中学三年の秋に、担任である数学の先生が僕の席の近くにきて拾い上げたのは、そのころリリースされたばかりのL'Arc-en-Cielの『虹』の8cmシングルだった。
「おい、CD落ちてるぞ」
「あ、ありがとうございます」
「これはなんてバンドのCDなんだ? L'Arc-en-Ciel? フランス語だな、L'Arcは門……Cielは空……空の門……? 空の門ってなんのことだ……?」
すごいなこの先生、数学だけじゃなくてフランス語もわかるのか。学びって大事なんだなと感心しながら、生徒は教師に正解を伝える。
「空の門、つまり虹のことだそうです」
「なるほど、虹か」
L'Arc-en-Cielというバンド名の綴りを眺めていると、ふと二十年以上まえのこんな思い出があたまに浮かぶ。
空の門とも、雨の弓とも、そして古来では生き物と見なされていてそれ故に漢字では虫編が付くことにもなる虹は、自然現象のなかでもっとも幻想的でロマンチックなもののひとつであり、伝承では橋だとか神だとか龍だとか云われていたようで、吉兆とも不吉なものとも捉えられていた。
よくわからないが美しく、妖しく、それゆえになにか恐ろしいものとして。
そんな虹をそのままバンド名に冠したロックバンドであるL'Arc-en-Cielが、その音楽にてなにを描いたのか、なにを伝えようとしたのか、という話がしたい。
架空のお話は
そう素敵な現実
音楽にはメッセージがこめられている。そういう認識がたぶんある。
音楽はその歌詞や旋律や律動をもってして、なにかの主張を伝えている場合が多々あるという意見は、そんなに的外れではないと思う。
では、音楽にはどんなメッセージが込められているのだろうか。
たとえば愛や夢や友情、それに季節に天気に社会情勢に日常、そんな日々の折々にて触れるであろうテーマに、別の軸として喜怒哀楽をはじめとしたさまざまな感情のその有無をそえる。
大雑把に表現するとこんなところになるんじゃないかなと思う。そして音楽を聴いていくにつれ、それぞれのミュージシャンにそれぞれの固有のメッセージの方向性があるということが、ぼんやりと見えてくる。
ロックバンドが放つメッセージに焦点をあててみると、歌謡曲やポップスと較べてよりソリッドに現実を捉えようとしているように感じることが多い。
カウンターカルチャーの一翼として六十年代に展開していったロックミュージックは、社会に対するスタンスのひとつであり、古くは政治や社会問題とつよく結びついていて、その主張は主流に対する反乱や反抗というものが主立っていた。
もちろん、そんなロックが世に拡散されてから今日までにかれこれ六十年あまりが経過しているので、そのイメージが、特に海を渡っての日本ではそっくりそのまま残っているわけではなく、いささかの変容、変遷を遂げていて、"ロック=反体制"というような政治的な図式は薄れていっているようにも感じるのだけれど、でも、たとえば甘くなく厳しいまなざしで現実を見つめようと、そしてそこからさらに真実のようなものを見つめようとするような姿勢やメッセージ性は、現在のロックにも脈々と息づいているんじゃないかと思う。
現実や社会(政治)をロックバンドはその音楽のメッセージとすることが多い、という話をした。
では、L'Arc-en-Cielの場合、このバンドは聴き手になにを見せ、なにを伝えようとしたのだろうか。
ラルクが見せて伝えてくれたのは、現実や社会とは乖離した、非日常あるいは別の世界の幻想的な風景であり物語だった。
ラルクがその音楽について語られるとき、"幻想的である"という惹句がしばしばついてまわる。その評はよくわかる、歌詞もサウンドも現実から離れようとしていることは、聴いていればよくわかる。
なので、改めてにはなるけれど、このバンドがどう現実から距離を取っているのか、まずはボーカルのhydeが紡ぐ歌詞についていくつかテーマを設けて覗いてみたい。
◆幻想について
雨が降り続いて欲望を癒せたなら
幻想に埋もれていた愛も目覚めよう
止められなくて逃れられない
幻想に操られ
手探りだけで走り続ける
この先が過ちであろうと
見なれた未来にも別れを告げて
壊れた幻想をえがこう
《幻想》に埋もれたり、操られたり、それを描こうとしたりしている。歌詞をながめていると、わりと直截に《幻想》と歌っているところもあるのでわざと集めてみた。この語の多用もなにか詞世界の宣言のようでおもしろいなと思う、うちは《幻想》でいきますよ。ってなんだか刷りこんでいるみたいで。
◆詩情について
肌を刻んで詩人は血で語る
遠い旅路この魂が手を引く
誰も届かない空を泳ぐあの鳥のように
君は素足のままで残りわずかな夏に消えた
ばらばらにちらばる花びら 雫は紅
欠けた月よ廻れ 永遠の恋をうつし
つぎに、幻想的だと思われる歌詞を集めてみた。歌の詞というのはもちろんメロディや伴奏と合わせて機能するものだから、単独で切りとってあれこれ話すのはフェアではない気もするのだけれど、でもこれらの歌詞は文字列だけを目で追ってもとても詩情があってなんというか声に出して読みたいラルク。
そして、やはりここで描かれている情景はこの世や現実とはどうしても距離があるのを感じる。比喩がすごく比喩しているというか、単語や表現の選びかたでもってして、ちがう世界に連れていってくれているのがわかる。
◆大地について
抜け出した大地で
手に入れたのは自由
Maybe lucky maybe lucky
I dare say I'm lucky
目を閉じた君は
背に刺さったナイフを羽に似せ
今、大地を蹴る
想いを乗せ君は今 大地を蹴る
心ひとつ喜びも悲しみも全部詰め込んで
ラルクはアスファルトではなく《大地》を歌う。《大地》は広大すぎてイメージの特定がむずかしくどこかファンタジー感をまとってもいるのだけど、なんとなく《大地》の対象にはあたりがつけられるような気がする。
抜けだしたり蹴ったりする《大地》はまるで自由の反対を指し示しているみたいで、それは現実や抑圧のメタファーなんじゃないかなと思う。
◆戦火について
燃え上がる炎に取り囲まれ 崩れゆく船に命つかまれ
怯えた瞳は天を仰いで 叫ぶ神の名を
炎で裁き合う誰のでもない大地で
晴れ渡る日々に争いの道具が
消え去る時をいつか君に見せたいな
傷つけ合うのを止めない墜ちて行く世界だけど
君に出会えた事だけでもう何も恐くは無い
争いもこのバンドのモチーフのひとつ。そこにあるある種の過剰さや仰々しさはこのバンドのもつ大きすぎる表現力でカバーができてしまっていて、《戦火》の情景を切実に描いていく。そこにはフィクションを通じてなにかを伝えようとする気配があって、そのなにかとはなにかというと、争いの反対側にある平和への希求なのではないかという気がする。ラブアンドピースのメッセージもラルクならこう料理してしまう。
◆恋慕について
Forbidden lover…淡い記憶
強く抱いても重なり合えぬ色彩
息をひそめ誓う
甘い恋の果ては予期せぬ時の悪戯
降りそそぐ罪に彩られた
枯れた道を彷徨い続ける
この愛は誰も触れさせない
それが神に背く事であろうと
海を渡る小船は遠く
願いをこめて大地を求める
そう私の心はひとつ
永遠のちかいをその手にゆだねて
ラルクは《恋慕》さえも、ときにこのように現実とはかけ離れたかたちで歌う。ラブストーリーやドラマチックとは到底呼べないほどに壮絶な、歴史や運命に翻弄される愛を歌う。
地に足なんかついていない、等身大とは形容できない、このバンドが現実や日常ではないものを表現しようとしていることが痛いくらいに伝わってくる。
◆ハードボイルドについて
爆発して灰になっても
このままだと笑ってるね きっと
地平をふさぐ陽炎の先に標的を見る
加速してゆく鼓動の中で奴に手が届く
身代わりに失った 鮮やかな幻想が弾けて
裂け目に勝機を見た
かっこいい。ストレート寄りのロックナンバーでは比較的幻想っぽさは薄れるのだけど、そこにならぶ言葉が今度はハードボイルドに非現実方面へハンドルをガッと切るので危険でかっこよくて痺れてしまう。
それに余談なのだけれど"勝機が《幻想》の裂け目に見える"というのはかっこよすぎるし壮大な伏線回収なのではないかとつい妄想してしまう、それはまるで最終回のようで(なんの? ラルクの?)勝手にそのかっこよさに盛り上がってしまう。
ここまでL'Arc-en-Cielの歌詞を引用してみて、そのメッセージがどういうものであるかを考えてみた。そしてあふれる幻想感や非日常的な表現のなかには、その幻想に仮託して現実や社会のものごとのメタファーがあるようにも読めるという話をした。
ただ、もちろん音楽に於いての主張を図るのは歌詞だけではない。ラルクにあふれる非日常的な世界観はそのサウンドでも存分に発揮されている。
ドラムのyukihiroは繊細で多彩なリズムアプローチや、エレクトロニカやインダストリアルの作法をバンドにもたらす。
※たとえば、前者では『forbidden lover』や『snow drop』、後者では『REVELATION』などなど
ベースのtetsuyaは曲のボトムを支えるベースでありながら、ストレートなロックのマナーからはすこし離れて、音をアグレッシブに乱高下させるスライドを多用しその幻想的な曲の世界をより彩る。
※たとえば、……といってもこのひとのベースは全曲で動きまくっているのだけど、しいて挙げるならなぜかベースがイントロでリードをとる『Shout at the Devil』
ギターのkenはロックギターの定番の奏法を抑えたうえで、得意とする開放弦を活用した独特の響きをもつアルペジオにて、曲に妖しさや緊張感を付与する。
※たとえば、『虹』や『いばらの涙』や『浸食 -lose control-』などなど
ボーカルのhydeは温かさのある低音域や必殺のファルセットを、ときに演技めいてさえいる抜群の表現力で歌い上げ、技術的にも音域的にも雰囲気的にもむずかしい曲に対してこれしかない、これしかありえないだろうという、あのラルクの声をのせる。
※たとえば、……このひとのファルセットはいつもすごいのだけどひとつにしぼると『瞳の住人』
ドラムとベースとギターとボーカルによる土台があって、そこにピアノやオルガンやストリングスやホーンやシンセサイザーや打ち込みを、曲が求める限りにつぎ込んで、ラルクはその曲の表現力をいつも極限まで高めてきた。
勝手な想像になるのだけれど、ラルクはラルクでやるべきことがよくわかっているんだなと思う。
音楽に対してなすべきことや必要なこと、そのすべてが同じ方向を向いていて、それゆえにこの表現力と強固で非現実的な曲の世界の構築が叶っているように感じられる。理想とする世界はしっかりとイメージされていて、それはしっかりと描かれていた。
そして音楽以外の面、たとえばジャケットや衣装やライブの演出でもその意識の統一は徹底して図られていて、華美で豪華で日常離れした空気は、それを求める聴き手にただしくずっと届けられている。
ラルクの曲を聴き、歌詞を読み、このバンドのメッセージ性について考えてきた。現実から離れたところについて表現することを目指したバンドは、結局のところそこでなにをみつけようと、伝えようとしたのだろうか。
メンバー以外にはきっと答えられないであろうその問いについて、それでも考えてみるために、また歌詞の引用に戻るわけなのだけど、これもひとつのそれかな、みたいなものがあったので引いてみることにしたい。
◆真実について
泣かないで泣かないで大切な瞳よ
悲しさにつまずいても真実を見ていてね
そのままのあなたでいて
あてにならない地図 焼いてしまえば良いさ
埋もれた真実 この掌でつかみ取ろう
誰より高く 空へと近づく
輝きを集め光を求める
燃え尽きても 構わないさ
全ては真実と共にある
《幻想》のなかにあっても《真実》はある。そう歌っているようにみえる。《真実》はなにも現実や日常のなかだけにあるわけではない。それはそうといえばそうだし、盲点といえば盲点でもある。
《真実》をみて、つかみとって、そしてそれと共にあると歌うラルクは現実や日常のそとから《真実》を描こうとしているのかもしれない。
L'Arc-en-Cielが見せて伝えてくれたのは、現実や社会とは乖離した、非日常あるいは別の世界の幻想的な風景であり物語だった。
でも、架空のお話は現実と完全に切りはなされているわけではないと、幻想の世界からふんだんにメタファーを駆使して、現実の世界でも非現実の世界でも等しく通ずる《真実》を描こうとしているのではないかと、いくぶん恣意的ではあるけれど、彼らの作品からはそう読むことだって、きっとできるんじゃないだろうか。
真実と幻想と この目に映る全てを
血が枯れ果てるまで歌おう