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世界史Vol.3「人類のはじまり」③生産経済への移行と都市の誕生

 これまで人類の誕生から旧石器時代、新石器時代を見てきました。そして今回は、新石器時代で見られた農耕・牧畜の始まり文字や金属器の使用都市の形成分業化による階級の発生を見ていきたいと思います。これまで比較的自由に移動していた人類が定住生活を送るようになり、それによって生活様式が大きく変化していきます。それがやがて私たちの現在の生活の土台になっていくのです。


一般的な問い

定住化がもたらす人々の生活の変化はどんなところにあるのか

 狩猟・採集中心の生活では人々は移動する必要があり、また一緒に生活できる人数も限られています。しかし、定住化と農業技術の高まりによって人々は大きなコミュニティで生活できるようになっていきます。この辺りの変化をいくつかの要素に分けてまとめていくといろんな考察ができると思います。

農耕・牧畜によって、人類と自然環境の関係はどう変化したのか

 私たちの生活は自然環境の脅威から守られたところで生活しています。しかし、過去何千年と遡れば人間は自然環境の中で適応して生きていくことが求められました。その関係が農耕・牧畜によってどのように変化したのかを予想して話し合うと面白いのではないかと思います。

note

新石器時代から都市国家の形成まで流れ

 旧石器時代から新石器時代への移り変わりは、約1万年前に地球が温暖化したことがきっかけです。自然環境の変化によって動物が小型化し、森林・草原が増え、人類の生活が変化しました。
 人々は徐々に自ら食料を生産できるようになり、狩猟・採集(獲得経済)中心の生活から、農耕・牧畜(生産経済)中心の生活に変わっていきます。そして、食料を人類が作り出せるようになると、人々も同じ場所にとどまるようになり定住生活が始まります。
 定住化によって人口も増加し、人類の文明はより発展していきます。農業生産力が高まることで次第に全員が農業に従事する必要がなくなり、大きくなった社会を維持するための分業体制が整えられていきます。つまり、人々を養うのに必要な分より多くの農業生産物(余剰生産物)が生まれることで、交易が活性化するとともに多くの食料や交易品を管理するための人々が必要になっていきます。

「農耕・牧畜と都市国家までの流れ」
紀元前9000年前頃 農耕の始まり
8000年前 銅と鉛で冶金 金属の精錬
〜前6千世紀 多くの人々がシュメール地方に移動
       ティグリス川、ユーフラテス川付近
紀元前5000年頃 家畜の始まり(ジャルモ)
         彩文土器が使われる(メソポタミア)
         都市や神殿が見られるようになる
前4千世紀頃 温暖化
       水上交易が始まる、都市内の分業・専門職化が進行
前3千世紀 錫と溶かし合わせて「青銅」

「農耕」の始まり

・農業の始まり
 農業や調理用の研磨された石器の登場(磨製石器)

・農業方法の変化
 乾地農業や略奪農法→灌漑農業
 雨水や土地の栄養に頼る天水農業から、水の供給を安定させる灌漑農業へ
 (川から離れた場所でも水路を整備することで農業生産が安定)

定住と農業生産の安定で人口が増加
→多くの人口が一定の地域で生活する(都市の誕生)

 西アジアでは、麦を中心とした農業が行われていました。石打ち砕いて作っていた打製石器も改良され、農業や調理に特化した研磨された石器を使うようになっていきます。これを磨製石器と呼んでいます。
 また、この頃に無発酵のパンなども食べられるようになっていきます。農業については、収穫効率を上げるために実が落ちにくい変種を選んだりしていたそうです。そういった農業での効率化により、人口増加に伴う食料不足に対応していきました。
 しかし、人々が集まってきたティグリス川やユーフラテス川は降雨量も少ないため住みやすい環境ではなく、主に魚やナツメヤシが獲れる地域です。農業をするには厳しい環境だったところから、その厳しい自然環境に絶対的な「神々」の存在を感じるようになったと言われています。
 そして次第に農業方法も変化し、雨水を使った乾地農法や土地の栄養分だけで育てる略奪農法から、土器で水路を整備して川から離れた農地にも水が供給できる灌漑農業によって増加する人口を養えるようになっていきました。この頃はこういった作業は協働作業が中心で、話し合いによって決定していました。また、神々の存在を感じるようになった人々も、神殿を建造して祈る習慣を持つようになりますが、神官のように専門職にはなっていなかったのです。

 やがて農業生産が安定し始めると、さらに人口が増え都市が形成されます。都市では、人々の住居も大きくなり部屋が分かれるようになります。さらに都市部が交易の中心部にもなるため、多くの情報が集まることで富や技術が集中することになります。

 農業に関連して、石器から土器への変化もありました。麦の利点は保存がきくところにあり、保存用の土器が開発されます。土器への移行が早かった地域は、東アジアだったとされています。当時から魚介スープや木の実のあく抜きに使われていたのです。
 土器は、粗製のものから次第に色や模様が付いたものが使われるようになります。紀元前5000年頃には彩文土器がメソポタミアなどで使われるようになりました。これは、メソポタミア文明より前のハラフ文化やウバイド文化で使われていたようで、ウバイド文化はメソポタミア文明の前進となる神殿や車輪、印章や銅器など高度な文明がすでに存在していたそうです。

「牧畜」の始まり 

 かつて人類は寒さをしのぐために毛皮を使っていましたが、毛皮は通気性や感染症の問題があったといいます。気候が温暖化するにつれて、自分で布を縫い合わせて通気性の良い織物を作るようになります。このように、動物は食用や毛皮ぐらいの用途しか考えられなかったものから、次第に食用以外にも利用できるということが分かってきます。それがきっかけでヤギや羊を家畜として育てるようになりました。
 それらを群れで育てながら、毛皮以外にも乳・チーズ・肉として利用するようになっていきます。その後、牛やイノシシ(現在は豚)が家畜として育てられるようになります。さらに、かつてオオカミだった犬も、人間の狩りや家畜の移動を助けたりするようになっていきます。

文字の起源

 集団で飼っている家畜を管理するために、数を記録する必要が出てきました。羊の数を記録するために1〜3cmの粘土石の粒で作られたトークンが使用されるようになります。これが記憶の補助的な機能を果たしていきます。
 これらがやがて複雑な形になっていき、何を記録したものかが分かるように、牛・羊・壺などを示す模様が使われるようになり、それが後の絵文字に繋がったと考えられているそうです。

 このように記録の方法も少しずつ変化し、トークンよりも粘土板が使われるようになり、転がして模様を付ける円筒印章が契約印として使われるようになります。これはその人しか持っていない印章を残すことでその人が認めたものであることの証明になるので、印鑑のような役割だと考えると分かりやすいかもしれません。そこに記録された記号が後の楔形文字となっていきます。

「金属器」の登場

 メソポタミア(ギリシャ語で「川の間」という意味)で金属の精錬が始まります。8000年前には銅と鉛で冶金が始まり、溶ける温度を下げるために鉄鉱石を使っていたそうです。このあたりを銅石器時代と呼んでいます。鉄鉱石は使っていたものの、製鉄にはかなり高温が必要になるので鉄はまだ使われていませんでした。そこから、前5千世紀には銅冶金技術が発展し、前4千世紀により金属が硬くなる合金技術を取得します。そして、前3千世紀には錫と溶かし合わせた青銅が使われるようになります。

 この頃の都市の発達は、メソポタミア地域に現れた都市がそれを表す記号として残っています。ウル、ウルサ、ウルクなどは、その都市を表す記号が用いられていました。

分業による階級の発生

 紀元前4千世紀頃には、更に温暖化が進行し海水面が上昇しました。それによって人々の住む地域が限定され、より密集して住むようになっていきます。移住者が増加した地域では、持ち出しなどを防ぐために食料を保管する倉庫の管理が必要になります。そこで、封泥というものが使われるようになりました。倉庫のドアを開けたら、それが開けられたと分かるように縄や木くぎに泥を付けておき、その上に判子を押します。これは、倉庫を管理する者が必要になるので、少しずつ協働作業から役割分担の共同体に変化していることを示しています。

 気候の温暖化とともに農業生産力が高まり、都市の人々を養うのに必要な量より多く農業生産物が採れるようになります。これを余剰生産物と呼びます。この余剰生産物の登場で人々に時間的な余裕が生まれるようになります。

 そして、神に祈りを捧げる祭司は交代で行うのではなく、専門職として神官が行うようになっていきます。その中でもリーダー的な存在は神官長として権威を奮うようになります。
 そんな中で権威を持った神官の中には、自分のために富を蓄えようとした者もいたそうです。こうして協働作業で成り立っていた人々の共同体の中に身分の差や貧富の差が現れるようになっていきます。

人々が集住する「都市」で発生する問題

 多くの人が都市に集まってくるというのは、都市が発展するとともに問題も発生してきます。価値観が異なる人々が入ってきても、「神々」の存在を理解してもらいたいと思った人々は高く立派な神殿を建てようとします。こうして、メソポタミアの最古の最高神である天空のアン神は立派な神殿に祀られることになるのです。

 集落を荒らす人々も現れるようになり、それに備えて城壁や武器を準備する必要が出てきました。そこで槍、剣、鏃などが整えられ、兵士として訓練を受ける者が出てきました。
さらにこの時代には、本格的な戦争の跡が残っているそうです。また、戦いに負けると奴隷として捕虜にされていました。

交易の活発化

 物々交換が主体だったこの頃ですが、農業生産力の向上によって余剰生産物を使った交易が行われるようになります。家畜化されたロバが車輪がついた荷台を運搬し、各地の品々と交換するようになりました。車輪についても、ろくろ盤を応用する考えから生まれたそうです。そこで金属や貴石(ラビスラズリ、トルコ石など)・ワインを交換していました。こうして交易の中心地となったシュメールには、資源・産物・情報が集まるようになります。

言語のグループ分け

 西アジアは交易の中心地となっていたことからも、この地域で使われていたアッカド語が周辺地域との交易に必要な言語として発達していきます。
 次第に世界の各地域で使われる言語が現れ、同じ系統の言語を話す人々をまとめて語族と表現します。

まとめの問い(復習用)

「都市」の形成過程とその影響についてまとめる(150字程度)

キーワード:余剰生産物、神殿、身分

 生産経済への移行と定住化のその後の人類への影響は非常に大きなものです。そのため、都市が形成される過程で起こった変化についてまとめておきたいと思います。キーワードを指定しておくことで、課題やテストとして評価が必要な時にある程度の評価基準を設定することができるので、過去の大学入試の問題なども見ながら授業のまとめ課題や定期テストに出題していました。知識の定着だけを測るのではなく、このように知識をまとめて論述できる力は、今後の社会でも必要な力の一つだと言えます。

解答例(お試し段階です)

 農業生産力が高まり余剰生産物ができるようになると、他の都市との交易がさかんになりより多くの人々が都市に集まるようになった。そこで、都市での神々への信仰を強めたいと思った人々が立派な神殿を建てることにした。さらに、職業の分業・専門化が進行して、神官や戦士など都市の指導者として身分が分かれるようになる。(150字)

次回は「古代オリエント文明」

 古代についていろいろ調べていくと、新しい遺跡や出土品が発見される度に内容が付け加えられています。これは、現在の私たちがまだ知らないことがたくさんあることを示していて、新たな発見の面白さを直に知ることができます。
 いろんな資料を見ていく中で「何万年前」というのは、多少年数が異なるところがありました。そのため、歴史を生きた学びとして学習する際は、細かく覚えるというよりも大きな流れの中でどのように変化していったのかを理解していく方が良いと思います。私も調べながら頭が混乱しそうになっていました。
 次回からは、大きな都市が各地で形成され、それぞれの都市国家でどのような文明が築からていったのかを学んでいきたいと思います。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

<学びを深めるリンク集>

<学習用参考書籍>



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