「虚構」の中で私たちができることとは?-『21 Lessons-21世紀の人類のための21の思考』から学んだこと② 【Aflevering.135】
私たちが生きている現代社会はどのように出来上がったのかについて、その考察が『21 Lessons-21世紀の人類のための21の思考』(以下、『21 Lessons』)には詳しく書かれています。その中で、私たちがどんなことを意識して生きていけば良いのかを示唆してくれます。
私はユヴァル氏の著書を読んで、未来を悲観するのではなく、自分にできることは何なのかを考える続けて、できることをやっていこうと思うようになりました。
未来が暗くなると思う人が増えれば増えるほど、私たちの社会はそちらに向かっていくような気がしたのです。
そのため、少なくとも私と関わりがある人たちには未来は明るいと一緒に思えるようになっていて欲しい、そして子どもたちに未来への希望を持ってもらいたいと考えています。
「私たちにできることは本当にあるのか」という疑問に対するヒントを本書を通じて得ることができました。
簡単にいうと、私たちを取り囲む「虚構」と「現実」をそれぞれ別のものとして捉え、それぞれを謙虚に受け止めて考えていくべきだということです。
今日は『21 Lessons』の中でも、「私たちのあり方」について考えたことをまとめておきたいと思います。
解決策はないが、解決に向かう姿勢のあり方はある
15個目のレッスンに入る前の、「Ⅳ真実」書かれている文章に心が動きました。
「もしあなたが、全世界が直面している苦境に圧倒されて戸惑っているのなら、あなたは正しい方向に向かっている。グローバルなプロセスはみな、誰であれ、一人の人間には理解できない。それならば、どうしたら世界についての真実を知り、プロパガンダや偽情報の餌食になることを避けられるだろうか?」
という文章です。私自身が戸惑いを感じている立場だったので、少し救われた気持ちになりました。
「考えていても仕方ない、何とかなる」というのは考えることを放棄していることになります。しかし、個人でできることとは一体どんなことなのでしょうか?
「感情」をコントロールする
本書の中では、私たちの心の在り方について書かれている部分があります。
それは、謙虚さや無知を認める姿勢です。何事も過剰に恐怖心を抱くことや、怒りで物事を判断することは良くないとされています。
また、近代以降は暴力などよりも、無知と無関心が生み出す犯罪の方が圧倒的に多いとされています。
「知識の錯覚」
相手の話を聞く時、あたかも自分は全部を分かってるかのような話し方する人と、自分の無知を認めて自分が知っていることを話そうとする人では全然違う印象があります。
私も生徒や他の人に話をする時はなるべく偏りのないように情報を提供したり、自分の意見は意見として事実とは切り離して話すことを心がけています。
そして、自分の考えが正しいということを押し付けたり、他者を批判することで自分を正当化するような行為には振り回されてはいけないということを学びました。
「自分には知らないことがある」「他の人にはその人の考え方がある」ということを謙虚に受け止め、過剰な情報操作に流されないようにしたいと思いました。
つまりは「何事も立ち止まってよく考えること」
人類は過去の学びを活かして社会を安定させてきました。それが「虚構」とはいえ、自由・平等や権利などを、長い時間と尊い犠牲によって勝ち取ってきたのです。
しかし、時代の変化に合わせてそれが合わなくなってきた時、私たちは人類がこれまでに作り上げてきた「虚構」を見直さなければなりません。つまり現実を直視しながら、必要なところは作り替えていかなければならないということです。
そのために必要な力とはどのようなものなのかを常に考え、子どもたちとともに考える力を養っていきたいと思います。
<参考文献>
・ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳『21 Lessons-21世紀の人類のための21の思考』(河出書房、2019)