「文学」を学んで人生が豊かに? - IBDP生のサポートをして気づいた「文学」の魅力【95】
私がオランダに来てから、国際バカロレア(IB)のDPで学んでいる生徒のサポートをさせていただく機会がありました。そこで、「文学」を時間をかけて深く学ぶことの重要性について考えさせられました。今回は、私が日本にいた時に感じたことがなかった「文学」の魅力について、まとめておきたいと思います。
IBの「言語(日本語)A」と日本の「国語」の違い
私が感じた「文学」の魅力について語る前に、まずはIBと日本の国語において試験で求められていることが大きく異なるというところから説明しておきたいと思います。
一般的な話でいくと日本では年間約5回の試験があり、試験内容についても、基本的には正解の決まっているもの(正確に読めているかどうかを重視)が多かったように思います。近年、新学習指導要領に基づく新たなカリキュラムが編成されているので、それに合わせて学習内容や試験の内容は変わっていくのかもしれません。
一方、IBDPの「日本語A」の最終試験は、2年間の学習期間のうち1年生の終わりもしくは2年生が始まってからスタートしていきます。
つまり数ヶ月ごとに行われる試験と、約1年学習を積み重ねてから行う試験とでは、問題の内容も求められるレベルも異なるということです。
また、IBDP日本語Aの試験には、漢字の書き取りや文法問題のような形式の問題はなく、基本的には小論文のような形で、与えられたテーマに基づいて自分で論点を設定して、作品に関する分析を展開していかなくてはなりません。
そこには「正解」というものが求められるのではなく、作品の内容を理解した上で、それを生徒自身がどこに焦点を絞って論点を設定できたか、その論理の展開に一貫性があるか、その他言語として表現力について評価されます。
作品の取り扱い方法の違い
日本の一般的な高等学校でも、作品全体の内容を授業で長期間に渡り扱っていくという素晴らしい授業実践をされている先生もおられます。しかし、日本での一般的な国語というのは、作品の全文を読むことは基本的にないとのではないでしょうか。作品を深く味わうというよりは、複数を作品を広く浅く学ぶイメージがあります。以前勤めていた学校の国語の教諭も同様のことを言っていました。
一方、IBDPの日本語Aでは、文学作品(コースによっては、文学作品以外も取り扱います)を2年間かけて9〜13作品を読むことになり、1つの作品について深く学ぶことができます。1つの作品を丁寧に読み、それに関してじっくり考え議論するところに魅力があります。
つまり、日本の試験で一般的な問いである「傍線部が示しているのはどういうことか」や、「この時の○○の気持ちとして適当なものを選べ」など、出題者の意図に合わせて文章を読むのではなく、作品全体を読んで登場人物の心情や人間関係の変化を捉えたり、文章そのものの表現の特徴を分析するなどが中心です。つまり、作者から読者に伝わる意味や概念についての分析を行います。
作品分析を丁寧にすることで得られるもの
私が大学受験のための勉強をしていた頃、「文学作品は現実世界を生きる上ではあまり役に立たない、それを学ぶのは限られた人だけで良い」と思っていました。「正解がないものを考えたって時間の無駄じゃないか」という、まさに正解主義に陥った考え方をしており、文学作品を分析することの価値を全く理解できていませんでした。
しかし、これからの社会の中で求められることは、正解までたどりつく力ではなく、自らいろんな視点を持って物事を考えられる力です。私がIBDPの日本語Aのサポートに関わっている時に、まさに文学分析を行うことによって、「考える力」を付けられるのではないかと思ったのです。
これまでのIB学習サポートでは、夏目漱石『こころ』、ベルンハルトシュリンク『朗読者』、百田尚樹『海賊と呼ばれた男』、芥川龍之介『羅生門』などの分析を行いました。
ここでは、学習者自身がどのように論点を設定し、如何にそれを展開していくのか、学習者同士で何度も何度も話し合いを通じて作品理解を深めていきます。
チューターである私の役割というのは、考察に関わるヒントを与えることはあっても、何かを教え込んだり誘導することはありません。作品分析に関する時代背景や筆者についても、個人あるいはグループで調べてそれをみんなで話し合います。主なサポートとしては、学習計画を立てる手伝い、最終試験における評価の観点の確認、書かれた成果物のフィードバックでした。学習者が、学習の主体そのものなのです。
元社会科教員として感じた「歴史のリアル」
文学作品を分析する時は、筆者が生きていた時代が反映されており、そこにその時代を生きた人のリアルが描かれています。
これは、歴史的事実を中心に学ぶ日本の一般的な社会科とは異なります。
私は元社会科教員として、この「歴史のリアル」を感じるという部分で学ぶ意義が大変大きいと感じました。
「西暦何年に何が起こって」という事実をおさえるだけで終わらせるのではなく、その知識を使ってどう考えるのかが大切だということです。
私が社会科の授業をしている時に、何か足りないと思っていたものがここにあったのです。
歴史の授業ではどちらかと言うと端に追いやられていた「文化史」などに含まれている文学の学びを大切にすることで、人が生きていく上で必要な心構えを学ぶことができます。
IBDPの「個人と社会」については、私はまだ何も調べられていないので、どんな学習をしているのかを知りたいと思います。
このようにIBDPの「日本語A」では、物事を考える時にいろんな情報を複数の視点から分析したり、自分なりの論点を設定して考えることができます。
もちろん、全てが自由ではなく、ある程度IBで設定されている決まりや、最終試験での評価項目に合わせた分析が必要ですが、それでも学習者が深く考え複眼的な思考を持つのには十分だと感じています。
文学分析でいろんな人生を深く体験
文学作品の内容がたとえフィクションであったとしても、作者が示したメッセージを受け取ることに大きな意味があります。
過去の時代を生きた人にとってその時代がどう映っていたのか、私たちには実体験できないことをその人が体験しています。そして文学作品を通じ、その時代を「擬似体験」することができるのです。
文学作品の中には、その時代を生きた人たちからのメッセージが込められており、それを探していく道のりに大きな学びがあります。
この学びは、まさに人生を豊かにする学びなのです。
文学分析をすることによって、10代の子どもたちの考え方に新たな視点が生まれると思います。
人生で何かについて悩んだ時、「過去にも同じような経験をした人がいる」ことや、困難にぶち当たった時に「この人物はこう乗り越えた」という擬似体験を通して、自分と同じことで悩んだ人が過去にもいるという安心感を得られるかもしれません。そして、過去の人から学んだことを活かし、自分なりの納得のいく答えを見つける手がかりになるかもしれません。
書かれた文章を正確に理解する力ももちろん必要です。しかし、それだけではなく、自分を客観的に見られるように、時には考えを深めたり広げたりできるスキルを子どもたちにつけさせることも重要だと思いました。
まだIBDPに関わる身としては外部のチューターという立場でしかありません。しかし、IBで学んでいる生徒と関わる中で、とても大切なことを学ばせてもらいました。これからも教育に関わる立場の人間として、スキルアップしていきたいと思います。
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