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世界史Vol.7「古代オリエント世界」④エジプトの文明
2025年最初のテーマは古代エジプト文明です。私にとって歴史を学ぶのは趣味に近いようなもので、今は海外で暮らしていても世界の歴史を学ぶためのコンテンツは充実しており、単純に学ぶことを楽しんでいます。歴史を学ぶことは、世界で起こっている様々な問題や人類が背負うべき過去の経験について詳しく知ることができます。私自身が歴史を学ぶことを楽しんでいるのですが、この記事が世界史を学びたい方や授業作りの参考になれば何よりです。
今回学習した古代のエジプト文明も非常に興味深く、細かい部分はエジプト考古学者の河江肖剰さんの動画を観て学びました。当然ながら世界史の中には収まりきらない魅力がたくさんあったのですが、世界の歴史の一部としてエジプトを知る面白さを一緒に共有できればと思います。
導入の問い:「エジプトはナイルの賜物」の意味は?
これは前5世紀ギリシアの歴史家ヘロドトスが表現した言葉です。エジプトの国土の95%は砂漠になっており、航空写真で見ると広大な砂漠地帯の中に流れる世界最長ナイル川の周辺のみが緑で囲まれているのが分かります。このナイル川の恵みがあるからこそ、エジプト文明が栄えたことを示す言葉になっているのです。ちなみにこのナイル川の下流は、大三角州(デルタ)が形成されており、地理でも登場します。
ヘロドトスは当時のエジプトの神官から聞いたことを記録したそうです。彼はピラミッドの建設について、「奴隷が強制的に働かされていた」と記録をしています。しかし、現在の研究結果としてそれは否定されており、建設に関わった農民は対価が支払われ、死後に王から守ってもらうと考えていたことが分かっています。
ハム語系、現在はセム語系のアラブ系のエジプト人が多い
・前5000年頃から農耕が始まる
都市国家ノモスをメネス王が統一
・前2700年頃に統一王朝が成立(古王国時代)
都メンフィス、多くのピラミッドを建設
・中王国時代(前21〜前18世紀)
都テーベ、末期にヒクソスの侵入
・新王国時代(前1567〜前1085年)
アメンホテプ4世の宗教改革(前14世紀前半、イクナートンへ改名)
テル=エル=アマルナへ遷都、唯一神アトン神の信仰
息子のツタンカーメンは8歳で即位
ラメセス2世がヒッタイトと戦う
カデシュの戦い(前1286年頃)→世界最古の国際条約
前671年アッシリアによって滅ぼされる
世界最長の河川「ナイル川」
ギリシャの歴史家ヘロドトスの言葉にあるように、ナイル川は毎年決まった時期(7月頃)に増水し、大洪水が起こることで肥沃な土壌をもたらされ効率的な農業が可能になりました。この豊富な水資源は、雨季のエチオピア高原で降った雨が、多くの養分を吸収しながら黒い土となって流れ出してきます。そのため、黒というのはしばしばエジプトの豊穣や再生という象徴的な色になっており、冥界の神オシリスは黒で表されています。ちなみにエジプトの国旗には黒が含まれますが、それは「暗黒の日々の終わり」を示しています。
話をナイル川に戻します。洪水のタイミングは農業にとってとても大切なので、それがいつ起こるのかを知る必要があります。洪水が始まる7月頃に、空に輝くシリウスが同じ場所に戻ってくるまで365日かかることがわかりました。これが後に太陽暦として、ヨーロッパをはじめ世界各地で使われるようになります。さらに日時を正確に理解する必要から1日を24時間としたり、洪水後の境界線を明確にするために測地術を発達させました。また洪水が起こると溜池にする方法を利用し、黒土の豊富な養分が地中に染み込むと同時に塩分が土壌から排出され、かなり効率的に肥沃な土壌を維持することができました。
こうして次第に治水の技術などが高まっていき、共同体としてのノモスという小国家が形成されていきます。これらは下エジプトと上エジプトの大きな2つの地域に分かれていきます。やがて、紀元前3000年頃に上エジプトのナルメル王が下エジプトを征服し、統一国家が誕生(第一王朝)したとされています。
エジプトの文字
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エジプトでは3つの文字、神聖文字(ヒエログリフ)と神官文字(ヒエラティック)と民衆文字(デモティック)が使われていました。神聖文字は神殿や墓などで使われ、神官文字は神聖文字の簡略化したもので宗教書などに使われました。そして、民衆文字は神官文字をさらに簡略化したものとして使われました。文字の記録はパピルス(ペーパーの語源)という植物の茎からできたシートに文字を書いていました。
神聖文字は、1822年にフランスのシャンポリオンによって解読されました。そのきっかけはフランスのナポレオンによる18世紀のエジプト遠征で、ナポレオンの軍隊に同行した学者が「ロゼッタ=ストーン」を発見しました。これは紀元前2世紀のプトレマイオス朝の時代のもので、複数の言語で書かれた記念碑に神聖文字、民衆文字、ギリシア文字が記されていました。
神聖文字はイラストの形が印象的ですが、解読にはかなりの時間を要しまています。それは、多くの研究者が表意文字(絵文字のように文字に意味がある)だと勘違いしていためでした。しかし、神聖文字をシャンポリオンは表音文字(文字に対して音が対応するため一文字ずつに意味はない)であると考え、解読に成功しました。
古代エジプトの王朝
紀元前3000年頃に初期王朝が誕生し、紀元後に入るまでに約30もの王朝が成立しています。その中でも古王国、中王国、新王国という少し大きな時代に分けて紹介されていることが多いです。この記事では、世界史として古代エジプトを学ぶので特徴的な部分を記録しておきたいと思います。より詳しく学びたいと思った場合は、河江肖剰さんの動画をご覧いただくと良いです。
古王国(前2700〜前2200年頃)
エジプトの王はファラオと呼ばれ、太陽神ラーの子で生ける神として政治を取り仕切る神権政治が行われていました。
古王国時代は、都がメンフィス(ナイル川下流の下エジプト)に置かれます。この古王国時代は数多くのピラミッドが建造されます。特に、第4王朝のクフ王のものが現存最大で、エジプトの農民たちが死後の自分たちを守ってくれるものとして農閑期に働いていたとされています。農民たちは小麦とビールの対価も支給されており、ヘロドトスが当時述べていたような「奴隷たち強制労働させていた」のではなかったと現在は考えられています。そして、古王国は末期に王権が弱まり衰退していきます。
古王国時代には、スフィンクスも建造されていました。人間の頭とライオンの胴体が特徴的で、王宮・神殿・墳墓の守護神とされていますが、スフィンクスへの本格的な信仰は新王国時代からです。
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中王国(前2100〜前1700年)
前2133年頃にテーベを都にエジプトが統一され、350年ぐらいして衰退します。末期に異民族ヒクソスが侵入し、これはエジプトにとって初めての異国からの侵入でした。当時のヒクソスの侵攻をエジプトの歴史家マネト(プトレマイオス朝)が「神の一撃」と表現していますが、ヒクソスは暴力的に侵攻をしたのではないと現在では考えられています。
冥界での復活に必要な「死者の書」
この頃、主にヒエログリフで書かれた「死者の書」がミイラとともに棺に納められるようになりました。死後の審判をおこなう冥界の王オシリスによって、「真実の羽」と「死者の心臓」を秤にかけられます。そこで合格と判定されれば再生できると考えられていました。
そして、その再生のためには肉体が必要になるので、ミイラを作っていたのです。体が腐らないように内臓などは取り出して、脳なども捨てられていたそうです。このことから、当時は心は脳ではなく体の方(心臓)にあると考えられていたことがわかります。
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新王国(前1567〜前1085年)
ヒクソスの侵入をきっかけに馬と戦車(戦闘用の馬車)が使われるようになりました。この新たな戦法でヒクソスを駆逐すると、新王国時代へ入っていきます。当時はまだ鞍や鎧が発明されておらず、馬に乗って戦うことは不可能でした。軍事強国として領土拡大したエジプト新王国の都はテーベにあり、テーベの守護神であるアモンの信仰が次第に強くなっていきます。アモン信仰の中心地として、カルナック神殿があります。
領土拡大を続け、メソポタミアのユーフラテス川辺りからアフリカのスーダンぐらいまでを領土にしたトトメス1世は、王の埋葬場所をピラミッドから新たに建設した秘密の岩窟墓に移すことにしました。これは「王家の谷」と言われ、その後多くの貴重な財宝は盗掘されてしまいました。
この頃、メソポタミアにはカッシート王国、ミタンニ王国、ヒッタイト王国などがありましたが、前1468年頃から共同統治から単独統治へ移行したトトメス3世の積極的な対外遠征(17回以上)で領土が最大になります。
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史上初の一神教へ(アメンホテプ4世の宗教改革)
テーベにあるカルナック神殿のアモン神官団の権限が次第に強くなり、神官団は王権と対立するようになります。前1351年頃に即位したアメンホテプ4世は、テーベの地方神であるアモンから太陽神アトンを国家神とする方針を立てます。彼自身の名前もアトン神への貢献のためにイクナートンに改名し、アメン神勢力の強いテーベからテル=エル=アマルナへ遷都します。これが史上初の一神教と言われており、アマルナ革命と言われました。ここでは、アマルナ芸術という写実性を重視する芸術が重んじられました。イクナートンの王妃であるネフェルティティの胸像が残されています。
若き王ツタンカーメン
イクナートンの息子であるツタンカーメンは8歳で即位した若き王です。彼は大臣と将軍に補佐される形で統治を行い、アメン神への信仰を復活させます。18歳で亡くなった彼にはアンケセナーメンという妻がおり、王を補佐していた大臣アイとの再婚が迫っている中、ツタンカーメンの死後にヒッタイト王に手紙を送ったとされています。シュッピリウマ1世が手紙を受け取ってエジプトに送ったザナンザが殺害されてしまう話については、ヒッタイトについてまとめた記事のところでも紹介しました。
ちなみに日本では、ツタンカーメンの墓が有名です。有名なファラオは「王家の谷」に埋葬され盗掘されることが多くありました。しかし、ツタンカーメンは無名の王だったために盗掘されないまま残っていたのです。20世紀初頭にカーターがパトロンのカーナボン卿に扉を開ける情景は有名です。
ヒッタイトとの抗争「カデシュの戦い」
こちらもヒッタイトの歴史のところで触れましたが、前1286年にシリア西部のカデシュでエジプトとヒッタイトが戦いました。この戦いの様子はアブ・シンベル大神殿の壁画に記されています。ヒッタイトからのスパイの言葉を鵜呑みにしてカデシュに進軍したラメセス2世は、ヒッタイトから攻撃を受けますが、自身が神々の力を借りて戦い切ったと壁画に残しています。しかし、領有を争ったアムル国はヒッタイトの属国になるため、エジプトは負けたと考えが一般的だそうです。
カデシュの戦いから16年後、ラメセス2世はヒッタイトと前1259年に世界最古の和平条約を結びます。これは、エジプトのカルナック・アメン大神殿とトルコのボアズキョイの両方から出土されています。条約の構成は現在と似たものになっており、外交が得意であったヒッタイトがこれまで属国と幾度も条約を結んでいたため、既に内容がしっかりとしたものになっていたそうです。
約3000年にわたって栄えたエジプトですが、海の民の侵入で衰退していきます。そして前671年にはアッシリアに占領され滅亡します。
古代エジプト最後の偉大な王とされるラムセス3世は後継者争いの中で暗殺されたと考えられており、彼の石棺がルーブル美術館にありました。
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現代におけるナイル川の問題
エジプトの古代文明を支えたナイル川ですが、現在は人口増加の影響で電力不足に苦しむエチオピアと水不足に苦しむエジプトで対立が起きています。
さらに2024年に明らかになったナイル川の研究として、古王国や中王国時代のナイル川に支流があった証拠が発見されたそうです。かつての古王国や中王国の時に建てられたピラミッドの多くは今のナイル川からは離れた場所にあるため、その謎が解かれるかもしれません。
まとめの「論述問題」
日本で受験指導をしていた時は、論述問題というのは偏差値の高い大学で行われていることが多かったのでハードルの高い学習だと思っていました。しかし、オランダでインターナショナルスクールに通う子たちの社会の試験問題などを見てみるとそれがベースになっています。それがきっかけで次第に論述試験が本当の理解度を測るのに適した形式だということが理解できるようになってからは、世界史の授業で論述問題を採用するようにしました。こういったトレーニングを通じて、生徒の表現力も高めていくことができると思います。そのため、それぞれの単元の論述問題について、過去の大学入試の問題をインターネット上で探してここでの学習に適していると思ったものを掲載しますので、そちらにも学んだことのまとめとして取り組んでみたり生徒たちの表現力の向上に役立てていただければ思います。
論述問題は決して難しいものではなく、理解したことを整理して自分の言葉で表現するのには適した形式です。私自身もあまりこういった形式の学びを経験していないので手探りで解答を作成しています。この記事で学んでおられる皆さんも自然な形で、思考して論理的に表現する力を身につけてもらえたらと思います。
記述①ナイル川の自然特性(60字以内)
ナイル川の自然特性を利用する形で展開した農業についてまとめる問題です。
(解答例)
ナイル川は毎年同じ時期に氾濫し、上流から肥沃な土壌がもたらされる。それを利用して小麦などを生産する灌漑農業を行った。(58字)
記述②古代におけるメソポタミアとエジプトの暦(90字以内)
古代メソポタミアと古代エジプトの暦と発達の背景の違いをまとめる問題です。
(解答例)
どちらも農耕のために暦を発達させる必要があったが、メソポタミアにおいては月の満ち欠けに基づく太陰暦を採用し、エジプトではナイル川が氾濫する時期を予測するために太陽暦を採用した。(88字)
記述③「死者の書」の特徴(40字以内)
「死者の書」の特徴をまとめる問題です。
(解答例)
生前の行いをパピルスに記し、冥界からの復活を願ってミイラとともに副葬された。(38字)
記述④「ロゼッタ=ストーン」の特徴(60字以内)
ロゼッタ=ストーンの特徴を60字以内でまとめる問題です。
(解答例)
19世紀にナポレオン軍が発見し、3種類の文字で書かれており、そのうちギリシア文字を手がかりに神聖文字の解読につながった。(60字)
記述⑤アメンホテプ4世の宗教改革(90字以内)
アメンホテプ4世の宗教改革の内容について、以下の語句を使って90字以内でまとめる問題です。【テーベ 多神教 遷都】
(解答例)
多神教の1つであるアモンを崇拝する神官団の政治介入を嫌ったアメンホテプ4世は、アトンの一神教を採用しイクナートンに改名した。また、都もテーベからテル=エル=アマルナに遷都した。(88字)
論述①エジプトにおけるシリアからの影響(400字以内)
紀元前17世紀から紀元前12世紀にかけてのエジプトとシリア地方との関係について、以下の語句を用いて述べる問題です。400字の論述は内容をまとめるのがかなり難しいです。(筑波大2003)
【テル=エル=アマルナ 戦車と馬 アメンホテプ4世 「海の民」 ヒクソス】
(解答例)
中王国末期にシリア地方からヒクソスの侵入を受け、それをきっかけに衰退したエジプトであったが、やがて彼らが持ち込んだ戦車と馬の戦法を用いてヒクソスを追放することができ、前16世紀頃には新王国の統治が開始された。その後も異民族の侵入に備えて、シリア地方に出兵を繰り返していた。前14世紀にはファラオのアメンホテプ4世が、都テーベを拠点とするアモン神官団の政治への介入を嫌い、太陽神アトンのみを信仰する改革を行った。これは当時の多神教が一般的な信仰であったのに対して、一神教としての信仰を進める宗教改革であった。また、アメンホテプ4世自身も自らをイクナートンと改称して都をテル=エル=アマルナに遷都した。そして紀元前13世紀頃から東地中海で活動していた「海の民」がエジプトに侵入し、長期にわたる戦いの中で次第に新王国は衰退していく。(363字)
論述②メソポタミアとエジプトの文化比較(400字以内)
メソポタミアの歴史と文化の特徴を、エジプトの場合と比較しながら、以下の語句を用いて400字以内でまとめましょう(筑波大2000)
【統一国家 アッカド人 ナイル川の氾濫 都市国家 太陽暦 シュメール人 六十進法 メネス王 農耕社会 天然の要害】
(解答例)
まずメソポタミアの歴史について、交易が盛んになったことでシュメール人によるウル、ウルクなどの都市国家が誕生した。しかし、抗争が多くアッカド人のサルゴン1世までは統一されず、さらに異民族からの侵入を受けたために王朝交代も頻繁に起こった。一方でエジプトは、砂漠に囲まれた地形という天然の要害があったため異民族の侵入をあまり受けることがなく、メネス王によって統一国家が形成され、比較的長期にわたって安定した統治が行われた。また文化面においては、両地域とも大河川の氾濫による農耕社会の成立が基盤になっており、メソポタミアでは星の位置から洪水の時期を予測するために月の満ち欠けに基づいた太陰暦や占星術が発達し、現在の時間の区切りにもなっている六十進法が発達した。そしてエジプトでは、ナイル川の氾濫時期を正確に予測するために太陽暦が採用され、洪水後に必要な測地術も発達した。(386字)
学びを深めるためのリンク集
https://www.eg.emb-japan.go.jp/j/egypt_info/basic/gaikan.htm
https://www.gsi.go.jp/common/000143706.pdf
https://www.kyuhaku.jp/j-kouko/img/ouchi/hiero.pdf
<学習参考資料>