第4回ヨーロッパ周遊記(2023.05)元高校歴史教員が感じるイタリア🇮🇹ヴェネツィアの魅力[315]
5月の連休を使った最後の旅行先は、イタリアのヴェネツィア(英語ではヴェニス)です。
中世のヨーロッパの貿易中心地ヴェネツィアの魅力について、今日は記録しておきたいと思います。
ヴェネツィアの基礎知識
貿易で巨万の富を得たヴェネツィア
ヴェネツィアは、「アドリア海の女王」と言われ、かつて貿易によって大きく繁栄した国家です。
レヴァント貿易(東方貿易)というイタリアよりも東にあるビザンツやイスラームとの貿易を中心に、アドリア海・地中海・黒海の貿易を支配していました。
東方からは、当時ヨーロッパでかなり貴重とされていた香辛料を運んでいました。また、11世紀に聖地エルサレムを奪還するためにローマ法王が十字軍遠征を決定しました。その第4回目の遠征時に、ヴェネツィアは船の提供や軍隊に同行したため、莫大な利益をあげたそうです。
その後、ヴェネツィアは「ラテン帝国」としてクレタ島やキプロス島を植民地にしました(確かにクレタ島のイラクリオン要塞にはヴェネツィアとの関係が示されていました!)。
衰退からイタリア併合まで
16世紀には、オスマン帝国(イスラーム国家)が進出し、国力が衰退しました。さらに、香辛料の高騰やキリスト教の布教拡大を目的に始まった大航海時代では、貿易の中心はポルトガルやスペインをはじめとする西ヨーロッパに変わっていったのです。そして、オーストリアの支配下に入りヴェネツィア共和国は消滅してしまいました。
その後は、オーストリアからの独立や、イタリア統一の動きの中で、19世紀にはヴェネツィアはイタリアに併合されることになったのです。
ちなみに、日本を黄金の国ジパングと記録した「東方見聞録」を書いたマルコ=ポーロはヴェネツィアから東方へやってきました。
ヴェネツィアの街並み
ヴェネツィアに入ると車道はありません。島に入るとすぐに駐車場がありそこで車を停める必要があります。ヴェネツィアの中は水路が張り巡らされており、歩道と合わせて移動します。そのためスーツケースやベビーカーで移動する人は少し大変かもしれません。
移動は徒歩か水上バス、水上タクシー、ゴンドラなどになります。水上バスは、24時間乗り放題などの種類が選べるので、どう移動するかを考えてチケットを購入すると良いです。
ただ、水上バスは日中非常に混んでいるので、並んで待っていても乗れない時があります。
教会や大聖堂がたくさんあり、後から場所や名前を調べるのがとても大変でした。そのため、ひょっとしたら名前と写真が一致しないものもあるかもしれません、、、
ヴェネツィアで見た場所
今回も訪れることができた場所もあれば、前を通っただけの場所もありますが、撮影した写真を元に記録していきます。
リアルト橋
観光名所のリアルト橋です。とても美しい橋でした。
ため息橋
ここはかつて囚人が運ばれていたルートらしく、ここでため息をついていたことからこの名前がついたそうです。
サン・マルコ広場
ここはとても大きな広場で、レストランやお店も並んでいました。
また、バイオリンやピアノ演奏もレストランから聞こえてきて、非常に優雅な時間でした。
お恥ずかしいことに、旅行後にこのサン・マルコ広場にあるサン・マルコ寺院の横の通路に、なんとローマ帝国のディオクレティアヌス帝が始めたテトラルキア(四帝統治)の像があることを知りました、、、てっきりイタリアのローマにあると思い込んでいたのですが、どうやら十字軍遠征の際にヴェネツィアコンスタンティノープルから持ち帰ったものとされています。
Chiesa di San Nicola da Tolentino
こちらは散歩している時に見つけて入った教会です。あまり有名な教会ではなかったので名前を探すのに苦労しましたが、荘厳な雰囲気に忙しい日常で疲れ切った心が癒されました。教会の中は非常にゆったりとしていて時間の流れを忘れさせてくれます。
地球温暖化の影響を受けるヴェネツィア
洪水は身近な問題
水の都ヴェネツィア。これだけ水路があれば洪水などは大丈夫なのかなと思っていると、やはり水路の近くの家には、このような防水のためのガードがありました。
冬から春にかけて発生する高潮「アックア・アルタ」によって浸水被害が起こるそうです。最近では、地球温暖化の影響などで水位の上昇がこれまでよりも大きくなっているそうです。
滞在先で事件が
私たちは直接見ることはありませんでしたが、滞在時に運河が緑色に変色する事件が起こりました。原因は現時点で分かっていないものの、自然発生的なものか環境団体などの抗議活動の可能性などもあるそうです。
お土産屋さんにいろんな仮面
HITACHI(日立)の列車が走っていた
やはりかつてヨーロッパの貿易中心地であり、莫大な富を築いたヴェネツィア共和国の迫力は凄まじいものでした。率直な感想としては、貿易で名を馳せただけに水路による移動が中心だったことと、単に莫大な利益を上げたからこそ立派な建物が建てられたんだと思いました。
なかなか南ヨーロッパは世界史の中でも理解するのが難しいところなので、実際に目で見て感じたことを学びに生かしていきたいと思います。
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