自由律俳句(と散文)3
夕涼みに木魚が響いた
兵児帯の金魚が夜店を泳ぎゆく
月極ガレージの中で咲く花よ
川の中に親子があって川
蛙啼けば風一つ涼し
派手なポテトを持って笑っている少女
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ぐるぐると螺旋状に巻かれた異形のポテトや、原宿みたいな原色の綿飴を持った少年少女達が笑っている。
パァンッ。乾いた射的の音が森に響く。
両親に連れられた小さな女の子の、浴衣の赤い兵児帯が金魚のように揺れている。金魚は夜店の中を自由自在に泳ぎ回る。金魚の尻尾が人混みの中に消える。
「次何食べるっ?」若い声が聞こえる。1000円札や100円玉を大事そうに握りしめた子供達の、根拠のない期待のようなものが辺りに充満して、人々の顔は上気する。匂い。色々なものが混ざった匂い。ソースとシロップが人間達と森の湿気で暖められて空気の中で混ざった後、鼻腔に祭りの匂いを届ける。
七月。糺の森の夜には珍しく、今夜は鴉よりも人間の数が多い。参道に屋台が並び、普段はひんやりとした森の中に熱気が立ち込めている。僕は歩いた。色々な声が聞こえてきた。
「どうする?割り勘でから揚げ買うか、かき氷にするか」
「やばい!さっきすれ違った人めっちゃ格好良かった!」
「思ったよりも混んでなくて良かったなあ。とりあえずお参り行こか」
みなきっと普段の声色よりも上ずっているのだろうな、と勝手に思った。祭りの屋台からはたくさんの懐かしい匂いがした。そして熱気。ここにいる人間たちが作り出す熱気。
一人で歩いているとその熱量に圧倒されていくようだった。脳味噌が少し揺れていた。僕は一旦混雑から離れ、参道の隣の広い馬場の方へ移動した。少し離れれば祭りは、それは静かな音と光だけだった。美しかった。休憩所の床几に座って僕はしばらくの間ぼんやりとそれを眺めた。
森の木々の間から人々の声と橙色の灯りが漏れてくる。森は静かに包み込んでいる。あらゆる熱気を包み込んでひたすらに静かだ。なるほど、今日は人間達の日なのだと思った。いつもなら突然寝呆けたように鳴き始める油蝉も、バサバサと梢を揺らす鴉達も、今日は祭りに遠慮してか、その存在を隠している。喧騒にかき消されて川の流れの音も聞こえない。川に棲む沢蟹も今日ばかりは参道へ出てこないだろう。
遠くから微かに救急車のサイレンが聞こえた。耳を澄ませると、森の奥の方でアオバズクがホーゥホーゥと静かに啼いている。人間達の祭りの喧騒を俯瞰しながら、森は全て包み込んでいる。いつだって自然は人間よりも高い位置で僕らを見ているのだ。そしてどこまでも静かである。森と水と生物とは淡々とそこにある。
その静けさの中に包まれて、そこにある人々の熱気は、喧騒は、またそれで素晴らしい。
祭りから帰って行く途中の親子の声が聞こえてきた。
「いやや!戻る、もどるぅ!」
屋台の食べ物か、遊戯なのか、何かを諦めきれない様子の子供が泣いていた。母親が優しくたしなめている。僕はなんとはなしに子供に同情した。小学生の頃、友達といった夏祭りでうまく掬えなかった金魚や、お小遣いが100円足りなくて泣く泣く諦めたたこ焼きのことなどを思い出した。
しばらくしてもゴネ続ける少年に痺れを切らした父親が「ほんなら勝手にやらしたらええねん。そんで放って帰ろ」
と少年の母親に向かって言い放った。少年はしょげ返ってしまった。パァンッと射的の音がもう一度遠くで聞こえた。
結局彼らがもう一度祭りへと戻っていったのか、そのまま祭りを後にしたのか、最後まで見届けなかったので分からない。
僕は静かな森の世界から、再び人間達の祭りの中へ歩き出していった。
ビールを買う。夏祭りには銀色の缶が似合う。
「あいっ、ありがとねっ!」
テキ屋のおっちゃんの良く通る声。格好良い。格好良くて、痺れた。
牛串買って食う。ああ、うめぇ。
やっぱりこれだ。そうだ、今日は人間の日だ。
一気に肉体的な快楽に引き戻された僕の頭の中で、奇妙に聖と俗が混ざり合っていた。ああ、祭りだなと感じていた。あるいは酔っていただけかもしれない。とりあえず今日見たものを忘れないように、iPhoneのメモに書き残すことにした。
トルネードポテトを持って歩く
原宿みたいな原色の綿飴
ポケモンのお面が二列で並ぶ
少年たちの根拠のない期待
浴衣の兵児帯が金魚のように
いつもは涼しい糺の森に漂う熱気
匂い、色んなものが混ざった匂い
上気した顔
湿度と熱
ソースとシロップが混ざっている
1000円札と100円玉握りしめてる
パンッと乾いた射的の音
「さっきから何しとんの?」
気がつくと隣に、最初の方に見かけた金魚の兵児帯の女の子が座っていた。
「それ、さっきからずっと携帯でなんかしとる。何しとんの?」
少女の目は輝いて、興味津津といった様子で僕を見つめている。
「えっと、よく分からん。よく分からんけど、書いてる。メモしてる」
僕は素直に答えた。
「面白い?」
白い浴衣に赤い兵児帯。綺麗な黒髪だけれど光の加減で僅かに茶色がかっているようにも見える,
「うん。いや、どうだろうな。面白いかは分からない。けどちょっと気持ちいい」
少女は分かったのか分からないのかどちらとも取れる声色で「ふーん」と言った。そしてくるっと回って、下鴨神社の境内の中へ走り去っていった。後ろ姿に金魚の兵児帯が揺れて、そのまますっと見えなくなった。朱い大きな鳥居の下で菊紋様の提灯が静かに揺れている。僕はしばらく呆気に取られて少女の消えた後ろ姿を見つめていた。参拝客達は皆、何事も無かったのように変わらず祭りを楽しんでいる。
ああ、そうか。そうか。そもそも祭りは人間だけのものではなかったよな、とようやく気がついた。
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