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1997年に女子高生だった私が感じていた「血を求める文化」

90年代に、ルーズソックス履いて女子高生だったあなた。
今はどこで何をしていますか? そんな想いでパッションのまま書きます。

あのころの女子高生にも、いろんなレイヤーがあった。
授業をさぼって一緒につるんでいた友だちは、ガン黒コギャル。でも、自分自身はそんなメインカルチャーからは少し外れていて、ジュディマリのYUKIちゃんを崇拝する zipper女子でもなかった。ミスチルの桜井さんと付き合いたいという一般的な乙女心は持ちつつも、内心は漫画「AKIRA」のディストピアに猛烈に惹かれていた。

今でもそうだけど、ティーンエイジャーが「死」がもたらす絶対性や儚さに惹かれることはめずらしくない。

1997年。高校2年生ごろから、私は死体の写真を撮るようになった。
まだネガフィルムの時代、使い捨てカメラと呼ばれていた「写ルンです」が最初の相棒だった。
カブトムシの死骸はベランダに捨ててあった弟の工作と並べて、モノクローム写真に。「ゆうえんち」と書かれた門の手前にあおむけで転がし、力尽きた姿を表現して、センチメンタルに浸っていた。沼のほとりで羽毛が飛び散っていた小鳥とは、一緒に自撮りの記念写真を撮った。紙焼き写真は大切に保管して、こっそりいつも見ていた。

半ばちょっとした自慰行為のような位置づけだったので、人に言うこともせずに過ごしてきたのだが、ある日「この人はわかってくれていた!」という漫画に出会った。
岡崎京子の「リバーズ・エッジ」。1993年から雑誌「CUTiE」に連載されていた作品が、その後単行本化したものだった。

バブル崩壊後の郊外には、セイタカアワダチソウが茂る汚い川が流れている。主人公の女子高生、いじめられっこの男子高校生、雑誌モデルの女の子たちが、その川で見つけた死体を中心に触れ合いやぶつかり合いをしていく。
最後は胸が締め付けられるような結果になっちゃうんだけど、そこに描かれているのは、暴力やセックス、屈折した心の内で、人間の中のどろどろとした汚いものだった。

自分が生きているのか死んでいるのかいつも分からないでいるけど この死体をみると勇気が出るんだ

「リバーズ•エッジ」岡崎京子

あのころは「援助交際」という名の売春が女子高生にも降りてきて、大宮のルミネ前でも父親ぐらいの歳のスーツおじさんが「カラオケ行こう。歌うだけなら3000円、フェ〇までしてくれたら5000円」と誘ってきた。

華原の朋ちゃんが「人混みをすり抜ける 大人が誘いの手を引く」と歌っていたように、欲望のための安い買い物として自分たちに接してくる大人がいた。汚れていく魂を諦観しながら、小室哲哉のように自分を引っ張り上げ、輝させてくれる足長オジサンを心のどこかで求めていた。でも酒井法子の「蒼いうさぎ」のように、これ見よがしに鳴くようなしたたかさはなかった。

でも当然のことながら、そんなに都合よく「やあ!」とか言って足長オジサンが現れるわけもなく。このどろどろは、自分で処理するしかない。

毎月パンツを汚す生理の血を、トイレで上から見下ろしながら思っていた。

女の子、かわいい!
オシャレ&ハッピー!
部活、勉強、がんばろう!!

――じゃねえだろ、と。

短大や専門学校を卒業してからお茶くみOLで就職して、1,2年したら寿退社で専業主婦。そんな人生が当たり前だった母親の世代とは違って「女の子が自由に生きてもいい」という風潮が生まれていたあのころ。「この血の出るカラダは、将来役に立つんだろうか?」と自問自答していた。結婚になんて縛られたくないと思っていた。ムダな血だった。

血は、汚れや軽蔑の対象でありながら、同時に憐れみや愛おしさを感じる存在でもあった。

スマホもなくSNSもなかった90年代、友だちとの日常のだべりにこんなテーマが顔を出すこともなかった。想いを共有する相手は、主に雑誌やマンガ、音楽だった。

父親が趣味兼仕事で買っていた雑誌「アサヒカメラ」には、ときどきセクシャルでグロテスクで死を感じるヌード作品が載っていて、「社会的に認められる血の世界」があるんだと勇気づけられた。
20世紀が終わるころ、私は写真を勉強する大学に入った。Coccoや猟奇エログロ耽美の漫画家、丸尾末広にも溺れた。

Coccoの「raining」は、擦り切れるほど聴いた。カッターで腕を切る光景を夢想しながら。

暴力の血。
セックスの血。
生の実感としての血。
子孫繁栄としての血。

私が「血」にひかれたのは、個人的な理由だけではないのでは?
最近、同世代に取材をしながら90年代を振り返っている。その中で、ふとそう思った。
90年代の女の子には、血が持つ生々しくグロテスクな魅力を求めるような流れもあったんじゃないのか。メインストリームじゃないけど、流れのすみっこで。

教師の体罰がふつうだった、ほぼ最後の世代。
虐待防止やメンタルケアの意識がなかった時期に、暴力を受けていた世代。
金に替えられる十代の性。
女の子が良妻賢母から旅立ち、自由な人生について模索していた世代。

90年代に女子高生だったあなた。今は、どこで何をしていますか?


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【後日談】自分なりに仮説を考えてみました


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吉野かぁこ
カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!