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【夢と目標の闇】夢や目標は必要?

 夢や目標を持つことを当たり前のように鵜呑みにしていないでしょうか。
 たとえば、学校で「あなたの将来の夢はなんですか」と何の説明もなく当然のように質問していたり、答えなければいけない質問であると思い、頭を悩ませていないでしょうか。

 多くの人が当たり前のように問いかけている質問は前提の説明なしに投げかけられており、問い自体の良い悪いを議論する余地がありません。そのため、夢や目標に対して無意識的に盲点を生んでしまうのではないでしょうか。

 かくいう私も学生の頃は夢や目標を問う質問に何の疑問を持たずに答えていましたし、夢や目標を持てていること自体に満足感を得ていたように思えます。

 夢や目標を持つことが良いという光の部分については既に語られ尽くしているであろうと思いますので、今回は夢や目標を持つことの弊害である闇の部分について実体験と他者の意見を交えてご紹介したいと思います。

夢・目標とは何か

 まずは、ここでいう夢や目標は何かについて説明させていただきたいと思います。ここで言う夢とは、「本人にとってまだ非現実的ではあるが、どうしても実現したいこと」のことを指します。目標とは「実現したいことを現実にするために目指すべき到達地点」の意で扱いたいと思います。

夢や目標はいつ生まれたか

 誰もが夢や目標を持とうとすることが当たり前のように語られている現代では、夢や目標はいつ生まれたのか?という問い自体にハッとさせられる方もいるかもしれません。

 夢のようなものは、もともと持つものではなく”見る”ものとされており、神から与えられしお言葉として扱われていました。「ようなもの」と表現しているのは、このときはまだ”夢”という言葉で表現されていなかったからです。
 また、夢は国の行く末に対して責任を担う王のみが見られるものであり、夢を持つ権利が大衆に与えられる時代は4世紀末ごろとされています。そのころも夢は”見る”ものであり、人間を超越した外的存在から与えられる予知夢的な考え方から出ることはありませんでした。

 夢が個人の持つ叶えたい願望の意で扱われるようになったのは、20世紀以降のこととされています。19世紀に明治維新により倒幕がされ、社会は変えられるのだという実感が伴ってきたことや社会よりも個人の自由を選択する余裕ができてきたことが影響していると思われます。

 こうみると、現代で取り扱われる”夢”とは生まれてまだ日が浅い概念であることがわかります。

 個人が目標を持つことに関心を寄せるようになったのもまた日が浅く、アメリカでは”目標追求”という言葉が本に登場する回数が増えたのは1950年からとされています。それまで1000冊あたりに登場する回数はゼロに近く、2,000年を迎える頃には3回に増えています。
(日本の書店を見ると目標達成に関する書籍が多く陳列されているので、肌感覚としては本統計以上に目標というワードが取り扱われている気がします。)

夢や目標を持つ弊害

①持った時点で欠損を得る
 夢や目標を掲げた時点で、まだ叶えられていない・達成できていない”私”を生むことになります。

 人によっては、夢や目標を叶えられていないことが続くと欠乏感や劣等感に苛まれることさえあります。劣等感が積み重なると死を選ぶことさえあるのが恐ろしさです。私も、いつのまにか劣等感まみれになっていたという経験をしました。
 
②未来に縛られる
 実現したい夢や目標を持てば持つほど実現しなければという強い想いに駆られることがあります。実現しなければいけないという責任感から、夢や目標を実現することに関連する行動しか取りづらくなり、新しい機会を見逃しがちになります。

 意図的な行動の範疇を超えて行動することが思うもよらない幸運を引き寄せることもあるのですが、一見意味のないと思う行動が取れないため、セレンディピティを生むことができません。

 私自身、夢に縛られることによって他にやりたいと心の底では思っている仕事や活動にも手を出せずじまいでした。
 夢や目標の達成に直接的に効果があるのかはわからなくても手をつけてみたら、主活動で身につけてきた能力と掛け合わせて独自の価値を生み出せるようになるかもしれません。そういった可能性を閉じてしまうのが一度立てた夢や目標に縛られるということなのかもしれません。

③怠惰を生む
 夢や目標を持てば頑張れるというのが通説ですが、夢や目標は怠惰を生む側面があります。

 本記事を書こうと思ったのは、この視点を知ったときに衝撃を受けたからです。以下は目標について言及していますが、夢もまた同じく捉えられると思います。

 将棋界のレジェンドである羽生善治さんは目標をつくらないそうです。目標をつくることは同時に制限をつくることに等しく、到達してしまえば、後は頑張らなくてもよいという気が抜けてしまう恐れを生んでしまうとお話しています。

 目標をつくる狙いの一つは、気を引き締めて何をやればよいかを判断し怠けないことにありますが、達成してしまえば目標を立てるにせよ立てないにせよ同じなため、必ずしも目標を立てる必要はありません。羽生さんの場合は目標を立てることよりも”自然体”で続けることを重んじているそうです。

目標にとらわれず自発的にチェックをしていければ、義務でもなんでもなく流れるようにスムーズに進めるのではないでしょうか。
羽生善治 著『迷いながら、強くなる』より

目標に囚われすぎず、自然体で取り組むことが体をこわばらせることなく続けていけるコツなのかもしれません。

まとめ

 今回は夢や目標の闇の部分、弊害についてご紹介しました。もちろん夢や目標を持つことは良い面があります。

 普段日の当たらない側面を捉えたうえで、自分はどうしたいのかや、どう向き合いたいのかを考えるきっかけにしてもらえると嬉しいです。

 また、夢や目標は行動した先に後々宿る場合もあります。
 スターバックスを成長させたハワード・シュルツ氏は『スターバックス成功物語』で「自分が会社の経営者になろうとは夢にも思わななかった」と語っていますし、アメリカのニュース雑誌『TIME』で「世界で最も影響力のある100人」(2015年)に選ばれた片付けコンサルタントの近藤麻理恵氏は、『人生がときめく片付けの魔法』で「まさか片付けが仕事になるとは」と告白しています。

 もしかしたら、自然体で続けていたらいつの間にか辿り着いていた場所が夢と表現されいるのかもしれません。

 さいごに、私は、夢や目標を持つことは幸せになる手段として向き合うことにしています。そうすれば、夢や目標という手段に囚われすぎず、肩の力を抜いて過ごせるのではないかと思っています。
 
本記事を読んで、みなさんは夢や目標とどう向き合いたいと思いましたか?コメントにてご意見伺えると嬉しいです(^^)

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