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人生の半分を過ごしたツイッターから離れてみることにした
高校時代から居座っているツイッターから離れてみることにした。
アイコンが四角で、いいね(♡)ではなくふぁぼ(☆)の頃から大変お世話になっている。いつしか名前も変わり、エックス??とかいうのになっているが、私は変わらず「ツイッター」と呼び続けている。それほど愛着があったのだが、この頃、急にプツッと何かが切れたような気がした。
いや、愛着というより依存していた。これがないと生きていけないと思っていた。
人生の半分をツイッターに捧げているので、暇さえあればタイムラインをスクロールしまくっていた。そして、ツイッターを閉じた瞬間にまた開くということもしばしばであった。
ツイッターでは、主に食べ物や風景の写真を上げたり、その時に思ったことや意味のないことを適当に呟いたりしていたが、ふと、もしかしてこれってやらなくても生きていけるんじゃないか?と思った。というか、ツイッターしてない人は普通にいる。
それに、なんだか疲れてしまった。毎日毎日、ツイッターを眺めているだけで時間が溶けていくのがすごく嫌になった。それでも見たくなる。完全に依存だと思う。
いいフォロワーにも恵まれているし、辞めるのは惜しいのだが、ちゃんと自分と向き合ってこの現実を生きていかなければならないような、そんな気持ちになった。そう思うと、なんだかいつものツイートもする気が起こらなくなってしまった。でもそれでいいんだと思う。
ツイッターでなくても、いつもnoteや手書きで日記をつけているから、それで自分の気持ちを整理できる。
最近は、サブスクすれば長文投稿できるようになったけれど、やはり140字じゃないとなぁ。もうツイッターではないが、いつまでも「呟き」の場であってほしいなと思ってしまう。
離れてみてまだ数日だが、なくても特に困っていない。
結構、現実逃避的にやっていた所もあるので、ない方が生きていくためのあらゆる事にそれなりに目を向けることができそうだ。
ツイッター以外だと、noteとインスタグラムをよく使っている。
インスタの方は、畑で収穫した野菜や食べたもの、風景など、ツイッターに上げているものとあまり変わりはない。だけど、基本的に写真や動画を共有するSNSということもあり、自分が投稿して、フォロワーの投稿にいいねをつけるのみで、私的にはのめり込むということはない。
そういえば、フォロワーに勧められてインスタを始めたんだった。今では投稿が100件を越えていて、かなり充実したアカウントになった。勧めてくれて本当にありがとう。
長い月日を共にしてきたツイッターだが、その間に私の心も変わっていったからか、いよいよ離れるタイミングとなったのかもしれない。
自分や、今関わってくれている人を大事にして生きていきたいと思う。
私のインスタ、自分で見ても結構いい感じで好きなので、よかったら見てみてください☺️