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僕の「即興演奏」の特徴について

初めてYou Tubeライブを行った。チャンネルを作って約2年になるけれども、ライブを行うという発想は意外なことにあまりなかった。同じライブなら、インスタライブの方が手軽だったので、気が向いたときはそれでことたりていたこともある。

しかし、今回You Tubeでライブをやってみようと思った。それは、将来的にリアルでのライブをやってみたいと思うようになったことに起因する。

リアルでのライブをやってみたいと思ったときに、その構成やコンセプトを試したいと思った。僕のやっている卓上木琴による即興演奏は、ニッチ中のニッチで、他の演奏会やライブと同じような仕組みでは成り立たないような気がしていた。

試みとして、ありがちながらも導入として卓上木琴と即興演奏の説明、その後に即興演奏をやってみるという構成にしてみた。

しかし、やってみると、いろいろと滞りがあることが見えてきた。

そもそも、僕のやっていることは「即興演奏」なのか? ということが一つの大きな課題であった。

ライブの告知をしたときに、ありがたいことに、ジャズ楽団のアカウントと、作曲家のアカウントがリツイートしてくださった。そのときに、ふと思ったのだ。え、ジャズや作曲の文脈で受け取る方いらっしゃらないかしら。それぞれのアカウントをフォローしておられる方々の思い描く「即興演奏」とは、たぶん違うけど大丈夫かしら。

実は「即興演奏」というのもおおざっぱな言葉である。インドの仏教もカンボジアの仏教も鎌倉新仏教も真言宗も浄土真宗もぜーんぶまとめて「仏教」というのと同じくらい、おおざっぱな言葉である。その実態は文脈によって大きく異なる。

ジャズにおける「即興演奏」は、主要なテーマの変奏を指し、特にコードという枠組みの中で自分の表現をすることである。そこでの理想形は様々あるけれど、テーマやコードを活かした表現が前提である。特に優れた技巧に価値を置く聴き方も一般的だと思う。

クラシック音楽における「即興演奏」は、楽譜で指定された範囲は守りながら、その範囲で自分の表現をすることである。そこでは独自性という価値基準もあるけれども、あくまで楽曲全体とのバランスや、作曲者の作風とのバランスは課題となる。自分の表現という部分は、ジャズに比べれば少なくなると思う。

また、特に作曲家や作曲的発想によって行われる即興的な演奏という意味合いでの「即興演奏」がある。これは、演奏者が持つ様々な音楽的要素を自在に組み合わせて、その場限りの音楽を作り上げる行為を指す。

例えば、クラシック音楽の古典的な作品やポップスの作品からメロディや和音、リズムを引用し、その変奏を用いながら組み合わせたり、そのような文脈にとらわれない独自のメロディや和音、リズムを加えたりしながら、その場で作曲していくような行為である。ジャズやクラシック音楽の中の即興よりも、いっそう自由でクリエイティブな営みとなる。そこでは、引用の豊富さや、変奏の豊かさ、構成の妙が楽しまれる。

それらの他に、比較的僕がやっている音楽と近いのが、通称「インプロ」と呼ばれるような、フリーインプロビゼーションの世界だ。こちらも訳せば「即興演奏」というのだけれども、こちらは極力既存のメロディの引用はもちろんのこと、12の音階を用いた和音や、五線譜で表現可能なリズムを極力用いない点に特徴がある。ある意味ではそういった枠組みの中で即興的に音楽を作るのが、「インプロ」である。

結果的に現代の音楽、特にノイズ・ミュージックや電子音楽、環境音楽などと接近することになる。建前としては、より既存の音楽から脱出を図る方向の音楽なのだけれども、結果的には現代音楽の中の表現と重なることになり、現代的な響きを指向することになっているように思う。

一応、僕の指向する音楽に一番近いのが、「インプロ」ということになる。しかし、ここでさらに話をややこしくしているのが、僕の選んだ楽器だ。

「インプロ」は音階から離れようとするのだけれども、木琴には音階しかないのだ。管楽器や弦楽器のように、微分音程はできない。特殊奏法はできないことはないのだけれども、僕の基本スタンスは、特殊奏法を良しとしない。その結果、指向する音楽は「インプロ」的でありながらも、素材は単純な「音階」なのだ。しかも、ビブラフォンやマリンバのように、音の持続や余韻は期待できない。ものすごくシンプルな音階だけを素材としているのが、僕の音楽の特徴の一つなのだ。

それでも、僕はクラシカルな表現や、過去の引用を嫌う。ここでの過去とは自分の演奏も含める。できることならば自分自身が一度なぞった道さえも、たどりたくない。だから、回を重ねるごとに、表現を生み出すのに苦労することになる。これまで700以上の演奏を録画してきたが、今もまた、それまでとは違った表現を指向している。そして、結果的に過去の引用から抜け出せない自分に苦しんでいる。

このような表現に至った理由としては、楽器に触れられる時間の少なさにある。今はスタジオを借りられ、自分の体力に余裕がある時期しか演奏ができない。結果的に、数か月に1回、多くて1週間に1回ほどしか楽器と触れ合えない。

そのような中で、僕は既存の楽曲をつきつめるのを諦めた。「練習」という時間はもったいなく感じた。数少ない演奏できる時間を、全て「本番」にしたかった。その中で選んだのが、「即興演奏」だった。

これまでたくさんの楽譜のある音楽には触れてきたし、作曲的な観点から見れば「こんな曲、絶対自分には書けない」と思う古典がいくらでもある。演奏家としては、管弦楽や吹奏楽をやりたい気持ちがないわけではないが、音楽を作るにあたっての人間関係や練習の過程を考えれば当分はいいかなと思う。

体系的に真摯に勉強を重ねてきたわけでもない、単なる実務家の自分にとって、作曲家としても、演奏家としても、今の状況ではその道を歩むのは現実的ではなかった。

一方で、より内省的な音楽には居場所がある気がしていた。

僕は数少ないその時間の中で、その時の自分の感情や思考と向き合う。なるべく音楽への先入観やイメージから逃れて、自分の中にあるものを、なるべくそのまま音楽に昇華させたいと願う。同時に、音そのものから影響されて、自分の内面と身体で反応し、次の音につなげていきたいと願う。

特殊奏法をなるべく用いないのは、特殊奏法はある意味では物珍しさ、文脈からのわかりやすい逸脱として、自分の内面の発露を妨げてしまうように感じるからだ。

しかも、限られた2オクターブ半の音階、それも同時に鳴らせる音が最大4つという制約がある。その中で表現しようとするときに、手がかりとするのはマリンバの楽曲の奏法や音づかいだ。打楽器歴が長いと、マリンバの楽曲には多く触れることになる。その語法は、他の楽器の音楽とはかなり異なっていると思う。打楽器奏者にとっては当たり前の言語だけれども、親しみのない者には受け取りにくい語法だと思う。

結果的にどうしてもマリンバの楽曲の語法を引用せざるを得なくなるのだが、そこからさらに逃れようとするのが、日々の課題の一つである。

そうして生まれる音楽。あらゆる過去から逸脱しようと試みる音楽。今現在の自分の内面をダイレクトに表出することを試みる音楽。それが、僕のやっている「即興演奏」なのである。

だから、指向としては「インプロ」に近いものの、語法としてはマリンバのによる現代曲を用いるという、ちょっと一般からは離れすぎたジャンルの音楽なのだ。「インプロ」の価値観も、「マリンバによる現代曲」の価値観も、どちらも特に大衆音楽とは対極に位置するとも言えるかもしれない。

たぶん、「インプロ」やマリンバの楽曲に触れている人であれば、僕の指向する音楽を感受しやすいと思うのだけれども、それだってかなりのマイノリティである。にもかかわらず、そのこと、つまり自分の音楽がマイノリティの中のマイノリティだということを自覚しきれてないのが、自分の困ったところである。ついつい自分の特殊な指向性を普遍的なものとして論じてしまいがちだ。「僕の音楽はマリンバの語法を用いたインプロ的なアプローチで内面の表出を指向したものなんですよ」で通じると思ってしまっている。というか、その説明すらいらないと思っているふしがある。

そんな自覚のもとに、ライブでは卓上木琴の紹介や、即興演奏の説明をしてみたのだけれど、これがいけなかった。説明すればするほど、自分がやっている音楽との違いが浮き彫りになってしまう。「僕の音楽はマリンバの語法を用いたインプロ的なアプローチで内面の表出を指向したものなんですよ」に行きつくための段階が多すぎる。これを言葉で説明しきって、かつ理解を得られるようなら苦労しない。僕のチャンネルの登録者だってもっと増えている。

語りがまごついたのは、英語力の不足ばかりではない。言いながら、「なんか違う」と思ってしまっていた。言葉で語れば語るほど、実態から離れていってしまう。

そんな反省をもとに、どのようにライブを構成するかを吟味していきたいと思っている。言葉少なく演奏に集中するのもいいか。いや、ある程度言葉で枠組みを作った方が良いのか。聴衆の理解を助けるようなアナウンスはあった方が良いのではないのか。いや、そのせいで本質が見えなくなってしまっては本末転倒ではないか。

そんな葛藤を得られたのは、ここに来て初めて、「聴衆」を意識したからかもしれない。この2年間、演奏に当たっては、思った以上に意識していなかったんだと思う。あくまで自分と向きあうのに必死で、聴き手のことなんか考えていなかった。

ライブというのは、聴衆との相互作用である。講演会と同様、聴衆の質によっても、演奏の質が変わる。僕が聴衆を信じ切れていなかったこともまた、敗因であると感じている。これもまた、リモートの難しいところである。聴衆の姿や反応こそが、即興演奏の需要な要素であるはずだからだ。

とはいえ、もう少しライブ配信という媒体を用いて、構成を練りたいと思う。また、長尺での演奏にも馴らしていかねばなるまい。


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