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音楽家の多面性に思いを馳せる
ラヴェルの自作演奏を聞いている。「マダガスカルの歌」というソプラノとフルート、チェロ、ピアノの演奏だが、当のラヴェルは指揮をしている。
もちろんラヴェルは作曲家として有名だけれども、指揮をする機会も多かったようだ。残念ながら録音は多くは残っていないらしい。
思えば、音楽家を「作曲家」「指揮者」「ピアニスト」などと呼んでいるけれども、どの分野でも活躍している人は多い。今では作曲家として知られていても、当時は指揮者やピアニストとしての一面を持っていたということもある。ラヴェルは作曲家だけれども、当時は「指揮者」と認識される機会があったようである。
中でも「指揮者」というのは特殊な職業で、成立も遅い。指揮をするまでには何らかの楽器で演奏技術を持っていることが一般的で、その楽器の奏者として名をはせた人も多い。特にピアニストから指揮者へ転身する人は多い。だから『のだめカンタービレ』の千秋も指揮者を目指してピアノを修めようとしている。
逆に、指揮者が実は作曲をもしていたという場合もある。例えばフルトヴェングラーは指揮者として知られるけれども、自身を作曲家だとしていたらしい。何かの機会でフルトヴェングラー作曲の曲を聞いたときには、作曲家としての一面もあることに驚いたものだ。
また、リストやショパンはピアニストとして活躍し、そのオリジナル作品がピアノ曲として残されている。結果現代では作曲者として捉えられることも多いが、当時はピアニストというイメージの方が強かったのだろうと思う。一方でリストは精力的にオーケストラ曲にも取り組んでいるから、作曲家として活躍する時代もあったんだろう。
今でも作曲家や演奏家が指揮をする機会はある。特に作曲家の自作演奏は注目される。作曲家がどのような解釈をするのかがわかって、とても興味深い。ヤン・ヴァン・デル・ローストの自作演奏を聞いたときには、思い切ったテンポのゆらぎやテンポ設定を興味深く聞いたものである。作曲者の自作演奏はいわば楽譜に書けなかった部分の表出であり、作曲者が頭の中に描いていた音楽に最も近いものだろう。
ただ、それが最良のものかというとそうでもなくて、指揮者によって独自に解釈された演奏の魅力はあるし、そちらの方が曲の魅力が伝わるということもある。指揮者の本領はやはり指揮にあるのであって、指揮者として知られる人々には独自の才があり、作曲者や演奏者が想定する以上の音楽を作り上げることができる。まさにそれが指揮の魅力であり、様々な指揮者を聴き比べる楽しみにつながる。
かつてラジオでパブロ・カザルスの指揮するブラームスの交響曲第一番を聞いたことがある。詳細は覚えていないけれども、とても奇抜なテンポ設定と緩急をつけた演奏だったと思う。チェリストとしては並ぶ者のないくらいの第一級の奏者だけれども、指揮者としての評判は決して良くなかったようだ。
ただ、音楽家に多面性があることは当然のことで、作曲家であれ、指揮者であれ、ピアニストであれ、規模の大小はともかく他分野での活動をする機会はあっただろう。そのうち後世に伝わる部分はその一部かもしれないけれども、生涯を通じては多面的に活躍してきたはずだ。そのうち肯定的に評価されるものも、否定的に評価されるものも、評価の土俵にすら登らないものもあっただろう。けれども、それがその活動の否定にはつながらない。多面的な活動が音楽家に影響を与え、その一面に影響を与えたはずだからだ。
今の世でも多面的に活躍する音楽家はたくさんいる。もう少し広げれば、音楽や美術、映像表現など多面的に活躍する芸術家も多い。さらに広げると、自分の肩書きを限定せずに多面的に働く人もたくさんいる。人生は一つのことに集中するには余りに長いのかもしれない。レオナルド・ダ・ヴィンチのようにマルチに活躍し、それぞれの世界に大きな影響を残すような人も増えるのかもしれない。
振り返ると、人類はマルチワーカーとモノワーカーを上手く使い分けてきた。産業構造によって、社会構造によって使い分けてきた。工業的に大量生産する時代には、産業資本家はマルチに事業を展開しえたし、労働者階級はモノワークに集中する方が都合が良かった。
高等教育の大衆化とともに、研究や創作と仕事を並行して行なうという発想も生まれるようになった。ラ・ボエームのように芸術家達が悲劇的環境下に身を置いて芸術に励む必要はなく、安定した収入を得つつ創作活動を行うという選択肢もある。
メンデルのように司祭でありながら、後世には遺伝学の祖と称えられるようになるものもいる。宮沢賢治のように、教師や農家、技師といった経歴の後、死後に作家として有名になったものもいる。長い人生だけでなく、死後に肩書きが変わるものも大勢いるのだ。
音楽家達も同じようなもので、生涯を一つの肩書きで過ごす人は少数派なのかもしれない。特に今の時代にあっては、一つの肩書きで過ごすにはあまりに窮屈な人も少なくない。反田恭平はその代表格だろう。彼をピアニストと評するのは一面では正しいのだけれど、その全体を表すには不十分だ。
僕の好きな指揮者に朝比奈隆がいる。若い時から音楽に親しみながらも、活動を音楽に集中したのは阪急を経てのことであり、音楽以外の経験の多面性がその音楽の魅力にもつながっている。特に好きなのがその著作で、エッセイが『楽は堂に満ちて』としてまとめられている。平易ながらも格式を感じさせる文体で、その内面の奥深さに触れることができた。
こんな音楽家になりたいと思って、芸大や音大ではなく一般大学で学問を修めたいと思うようになった。そして、様々な学問に触れられるという理由で教育学部に入学した。もちろん、芸大や音大には技術的にとても入学できなかったのだが。
今の僕はというと、作曲や指揮、演奏をする機会はあったけれども、特に評価の土俵に立つような活動にはなっていない。気持ちとしては音楽家の一面も残っているけれども、随分と薄れてしまっている感じがする。先のことはわからないけれど、今はちょっと音楽からは離れている時期なのだと思う。でも、それは音楽家ではなくなったことを意味しない。人生は長く、その死後まで社会的影響力はわからない。
ともかくも、今はマルチワーカーとして生きやすい環境にいるのがありがたい。モノワーカーはどうも僕の性根には合わないようだ。飽きっぽく、好奇心を抑えられず、集中力に疲労する僕には、マルチワーカーとしてのあり方が心地よい。
ただ困るのは肩書きで、本当はエッセイストとか、即興卓上木琴奏者とかも十分に自分を表しているわけではない。いっそのこと「アーティスト」とかにしてもいいのだけれど、それはそれであまりにも茫漠としている。何かいい肩書きがないか模索している。
もしかしたら、そんなことで悩んだ音楽家達もいたんじゃないかと思う。死後のことまではどうしようもないにせよ、生きているうちに自分の肩書きが何なのかにこだわり続けた人もいたんじゃないだろうか。「指揮者」と呼ばれたかったのに「作曲家」と呼ばれた人。「作曲家」としての自分を気に入っていたのに「指揮者」を評価された人。
名前をつけるというのはやっかいなもので、時にその人の多面性の中の一部分だけにスポットを当ててしまう。それならいっそ、名前をつけないというのもありのかもしれない。「なんかいろいろやっている人」の方が、いいのかもしれない。僕も「なんかいろいろやっている人」というのもわるくはない気がしているから、もう少しいろいろ活動を広げていきたいと企んでいる。
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