8月31日の夜に寄せて~「死にたい」に寄り添う(テキスト版)
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はじめに
「鬼の目に木琴」(Podcastの番組名)始めてまいります。
今日は9月1日でございます。昨日が8月31日ということで、9月に入りました。
8月31日には、毎年NHKで「8月31日の夜に」っていう番組がやってるんですね。
これは何かというと、10代の若い人たちが、いろんなことに悩んだりとか、苦しんだりとか、何かそういう抱えているものを共有しましょう、というような番組なんですね。
じゃあなんで8月31日の夜になのかというと、9月1日というのが非常に大事な日なんですね。
というのも、この9月1日というのが、18歳以下の若者が自殺をしてしまう。その人数が非常に多い日だ。言い方を変えると、非常に若者の自殺のリスクが高い日だということなんですね。
ということで今回は、若者の自殺についてのお話となっております。
ちょっと話題が話題ですので、少し抵抗があるとか、いろいろ思い出してしまうとかいうこともあるかもしれませんので、この先につきましては、注意して聞いていただければと思います。
主な内容としては、若者の自殺がどういう状況になっているのかということとか、報道がどういう影響を与えているのか、あとは自殺のリスクがどういう要因によって高まっているのか、なんてことを、ある程度お話をしたいと思っております。
教育の畑で生きてきた
僕自身の専門性というのは開示しておきたいんですけれど、まず基本的には、教育の畑でずっと生きてきた人間です。
高校の教員を13年間して、あとは不登校専門の塾だとか、あとは少年院とか、そういうところで働いてきたんですね。本当に地方の中等教育のいろんな現状を見てきたりとか、経験してきて。
また、今は東京都にいまして、東京都のいろんな若者たちの現状に接してきた。もちろん僕自身が直接経験しているなんてものは限られるんですけれども、それ以外に、もちろん自分自身も勉強しているというところですね。
心理学を学ぶ
あとはもう一つ専門性として、通信制大学で心理学を学んでいます。
あとは卒業するだけというところなんですけれども、基本的にはカウンセリングとかそういうところをメインとして勉強したかったというのがあって、基本的な心理学の課程っていうのを修了しているところです。
ある程度学部レベルの心理学について、本当に基本的なことについてはある程度知っているというところですかね。
精神疾患について
あとは最近の関心事というところで言うと、精神疾患というのはまず一つあって。そもそも、学校の臨床の場というのは、精神疾患の話題というのは当然出てくるんですね。
クラスの生徒とか、いろんな関わっていく生徒とかいろんなところでそういう、精神的な疾患を抱えている人というのはいっぱいいるわけで、当然ですね。
僕が教師になりたての頃は、まだそこまで一般的じゃなくて。学部レベルでね、もちろん教育学部で、いろいろ学んではきているんだけれども。臨床ではあまり、最初は取りだたされなくて。
ただ自分自身は勉強はしていたから、もしかしたらこういう背景があるのかな、ということは見立てをしたりはしていたんですけれども。
ただそれがやっぱり数年たって、中学校からの申し送りとかでも、いろんな、かなり複雑化してきた現状がありますね。
患者として
というのもありつつ、そういう知識自体はまずあったのと、自分自身もこう仕事をしていく中で、けっこう、こう、やっぱりちょっと気分が落ち込むなというのもあって。
診療内科に受診して、うつ病と診断された時もありますね。今もまだ治療というか服薬は続けているんですけれども。
状態は比較的安定はしているというか、当初から早めに動けなくなるくらいまでになってから診療内科に行ったというよりは、まだなんとかなる段階で行けた。
それでもね、今思うともうちょっと早く医者に行けばよかったかなとは思っているんですけれど。
ですので、まあ、とにかく自分自身も患者として、精神医療というものに携わるというかね。関わってきて、治療の過程とか、経過なんかもいろいろ体感しているところですね。
性的マイノリティーについて
あとは性的マイノリティーですね。僕自身も、なんかこう、いわゆる、なんだろうな。ストレートの、マジョリティのセクシャリティーではない。
じゃあ他に何かっていうとなかなか難しくて、今の自認としてはパンセクシャルのほぼゲイ寄りみたいな感じなんですよね。でもなんかゲイかって言われると、なんとなくちょっと違和感がある気もして。
このあたりはね、なんか、まあ、すごくグラデーションだし、何かに決めなきゃいけないというわけでもないと思うんですけれども。いずれにせよストレートの異性愛者ではない感じはしてるんですよね。
ただそれで困ったことっていうのはそんなになくて。ないんだけれども、やっぱり自分自身が、なんだろう、こう、社会的なマジョリティではない、社会的な性的なマジョリティではないっていうことはなんとなく感じつつ。
でもだからこそ得られたものとかコミュニティとかもあったりするので、結果的にはプラスだなと思うんですよ。
僕の場合は本当にそのセクシャリティ以上にもっと悩むことというか、困難が他にいっぱいある印象があって。意外とそのセクシャリティ自体は自分の困難のリスクとしては比較的ない方かな、と思っていたところですね。
ただやっぱりそういうこともあるので、性的マイノリティの人権とか、あとはその、いろんな社会構造とか法的な課題とか、そういうことには関心が非常に高い人です。
依存症について
あとは特に本当に最近関心があるのは依存症の問題ですね。
いろいろきっかけはいくつかあるんですけれども、一つには自分の周り、仕事をしていて、教職員、学校の先生っていうのはやっぱりどこか依存症体質の人が多くて。タバコの依存とかアルコールの依存っていう傾向があって。
もちろん依存というのは悪いことではないということは前提なんですけれど。とにかく、そういう拠り所が非常に必要な人が周りにいたということですね。
またその後にいろいろ勉強していくうちに、特に今は10代の若者が薬物の依存で、市販薬の依存ですね。特に市販薬のハームというか、害があるということが分かってきて。そういうことにも関心というかこれはかなり問題だなという問題意識があるというところもありますね。
あとはもちろん薬物依存とか、大麻とか、覚醒剤についての、どちらかというと薬害っていう以上に、偏見とか差別とか、そういう問題というところに非常に関心がありますね。
社会的マイノリティーへの関心
少年院というところで少し働いたりもしたところもあって、できることはないかなということをすごく考えていたということもあって。そういうところにも非常に関心がありますね。
そういういわゆる社会的なマイノリティーというもの、精神疾患を持っていたり、依存症であったり性的マイノリティーであったりとか、そういうところから、障害とか貧困とか国籍とか、あとは性別とか、それこそ女性差別とか、そういう問題についてもすごく関心がある人間です。
そんなパーソナリティーというか、背景がある人ですね。
僕のバックグラウンド
だから基本的には教育をベースとしながらも、近年は特に心理学の専門性というものを高めるところがあるというところがありますね。というようなバックグラウンドがあります。
どんな人が話しているのかというのも大事だと思うんですよね。その人なりの偏りってどうしても出てくるし、偏見というのも少なからずあったりするので。
そういうようなバックグラウンドがある人物が話しているということを、少しご承知おきいただければと思います。
令和5年の自殺の状況
少し具体的な話に入ってまいりますね。
まず若者の自殺の状況というのが、どういうことになっているのかということで、ちょうど令和5年の自殺の状況についてデータがありまして。
令和6年、今年ですね。令和6年3月29日付けのもので、厚生労働省自殺対策推進室と警視庁生活安全局生活安全企画課の連名で出されている資料で、「令和5年中における自殺の状況」という資料がありまして、その中のデータを少し引用したいんですけれども。
まず令和5年の小中高生の自殺者数ですね。大体何人くらいだと思いますかね。
自殺が大体年間何人くらいかというと、大体3万人くらいです。一時期3万人を超えていたんですが、最近は少しずつそれが下がっている、2万人台になっているというふうなところですかね。
そのうちの小中高生、今データとした小中高生の自殺者数が何人出て出るかというと、513人なんですね。
少し年を遡っていきますと、令和5年が513人、令和4年が514人。一人多かったんですね、一昨年の方が。令和3年が473人、令和2年が499人、令和元年が399人です。
データからわかること
こう見ると、まず分かることが、コロナ禍に一気に増えたんですね。コロナ禍でまずこの小中高生の自殺者が増えたというのが明らかにあります。
また、ほぼ一昨年、昨年と最高の数になっているということなんですね。これはその前の段階から比べてもかなり多いです、というような状況なんですね。
これが多いといえるのかどうなのかというところなんですけれど。もちろん割合で言ったらですよ。もしかしたら少なく感じるかもしれませんけれど。
まず一つは少子化でどんどん子供の数が減っているけれども、自殺している人が増えているということで、量的に見ても何となく増えているということが言えますよね。
513という数の重み
ただ自殺者数というのは量的な問題だけじゃなくて、質的な問題。この513という数はただの数じゃないんですよね。一つ一つが命なんですよね。これ結構大きなことで。
小中高の内訳なんですけれど、小学生が13人。小学生で自殺した人が年間13人というのは、結構重たい数字だと思うんですよ。中学生で153人、高校生で347人です。
3万人とか比べるとすごく少なく感じますけど、これが10代の若者と思うと、また重たさが違うところもあると思うんですね。
もちろん、年を重ねて自殺する方が命は軽いのか、ということではないですけれど、やっぱり子どもたちが自ら死を選ぶ状況っていうのは、これは何とかしなきゃいけないと思うんですよね。
月別のデータ
またもう一つデータとしてあるのが、月別に見た時に自殺者数ってどのくらいなのかっていうのもデータがあるんですね。
令和5年ですと特に多い時期がですね、4月とかね、4月が53人です。あとは夏休み前後、7月が43人、8月が52人、9月が54人、10月が61人になってます。
平成27年度版「自殺対策白書」より
これまたちょっと別なデータなんですけれども、平成27年度版の「自殺対策白書」っていうものの中で、18歳以下の日別の自殺者数がデータとしてあるんですね。
ちょっと具体的にはどういうデータなのかっていうのが、実数がちょっと分からなかったんですけれど、ただ言えることは、圧倒的に3つの、日にち単位とかで、3つの時期に圧倒的に自殺者数が多いんですよ。
1つは4月の新学期が始まる時。次が5月の連休明け。そして9月1日、つまり夏休み明けなんですね。
特にその中でも夏休み明け、しかもそれも、9月1日が圧倒的に高いんですね。圧倒的です、グラフを見ると。圧倒的に9月1日というこのピンポイントが、自殺者数が多いんですね。
夏休み明けの負担
もう納得な気はしますよね。4月の新学期が始まるとき、連休明け、そして夏休み明け。そして夏休み明けが一番大変だと。
例えば不登校になるタイミングっていうのも、割と2学期からが多いんですね。
不登校自体が、これは問題行動とするかどうかっていうのは、難しいところで。一応現代では問題行動とはしない。それだけで不登校ということだけで問題行動とはしないっていうことは、教育機会確保法などのそういうものによって、一応明確になってるんですけれども。
全くそれだけで問題にはしないけれども、やっぱりそこに問題がないかといえば、それもまたちょっと違うところで。
何かしらやっぱり2学期に入る瞬間っていうのは、非常に何かしら負担があるんだろうなっていうことは伺えるわけですね。
NPO法人OVA
またちょっと違う切り口からお話したいんですけれども。ちょうど8月31日、昨日のNHKニュースで出されていたものなんですけれども、NPO法人OVAっていうNPOがあるんですけれども。
こちらはインターネットゲートキーパー事業っていうのをやってらっしゃるところで。
いわゆるウェブですね、インターネットを活用して、若者世代に対しての心理的なケア、情報サポートを届けるっていう、そういう事業をやってらっしゃるNPO法人なんですね。
「SOSフィルター」
そこがやっている事業の具体的なものの一つとして、「SOSフィルター」っていうものをやってらっしゃるんですね。
これは何かっていうと、ちょうどこの夏休み期間でしょうね。8月から3つの自治体の小中高校生にタブレット端末……タブレット端末は今、小中高で普通に、特に公立であれば、私立でも基本的に先行してあるところが多いと思うんですけど、タブレット端末大体みんな持ってるんですね。タブレット持って学習に使ったり、課題に使ったりしてるんですけれども。
それに「SOSフィルター」っていうのをインストールしたっていうんですね。
これ実数で4万5千台くらいのタブレット端末にインストールした。3つの自治体にっていうことですね。4万5千人分くらいの子どもたちに、その機能を実装させたっていうんですね。
これ何かっていうと、何かしら端末を使って検索をすると、例えば検索ワードとして心理的な不調とか、何かしらトラブルとかに関連するワードがあったときに、有効な相談先につながるような仕組みがあるっていう。それが「SOSフィルター」っていうものらしいんですね。
それで少しでも相談につながればいいなっていうことがあって、やってるものだと思うんですね。
今、例えばGoogleとかの検索でも、例えば「自殺」とか何かそういうワードを検索すると、自殺に対しての相談窓口が最初に出てくるようになったりですね。そういうふうな仕組みが、今はだいぶできてきてますけれどね。それがもっとすごく洗練されたものだと思うんですね。
検索ワードからうかがえること
ニュースの中では、法人の調べによると、8月中旬から8月末にかけて、非常にそういう心理的な不調であったりトラブルに関するようなワードが、かなり検索されるようになったって言うんですね。
具体的には「自殺」とか「うつ病」、「適応障害」、「裸を撮られた」とかね、そういう検索ワードが、かなり検索されるようになったって言うんですね。
だからやっぱり明らかに、子どもたちに関して、この夏休み半ばから2学期にかけて、かなり不安が高まっているとか、心理的な緊張が高まっている、ある種の自殺のリスクが高まっているということがわかるということなんですよね。
こういうデータから見ても、体感としても、そういう肌感覚としても、想像力を働かせるにしても、夏休み明けに向けていろんな不安が強まっているということが言えるんじゃないかということなんですよね。
夏休み明けの不安の要因
その要因としてはいろいろあると思うんですね。もちろん夏休みの課題どうしようということもあるだろうし。
やっぱり多いのは人間関係ですよね。
一旦1学期が終わって、例えばいじめられていたりとか、何かしら心理的な負担があるような人間関係があったりとか、喧嘩をしたりとか、さまざまな心理的な負担があったものから、夏休み期間中だけはちょっと離れていたのに、もう一度その空間に戻らなきゃいけないとなったときに、非常に負担が増える、不安になってしまうということは容易に想像できますよね。
また、相談できないということもあったりするんだと思うんですね。もしかしたら学校であれば友達にちょっと愚痴ったりとか、というタイミングがあるかもしれないし。
もしかしたら信頼できる先生とか学校のスタッフ、学校というのは必ずしも、学校の教員だけではなくて、いろんなスタッフがいますので、誰かしら1人でも相談できる人がいれば、もしくはちょっと愚痴を言える人がいれば、緩和できるものも、(夏休みは)1人になってしまう。
孤立する夏休み
ある種の夏休み期間中って孤立する時間でもあるんですよね。非常に閉鎖されたところになってしまうというのも、夏休み期間の特徴かもしれませんね。
その中にあって、非常に不安感が高まってしまう。例えば仕事をされている方であれば、休みが明けて、ドキドキしたりするというのがあると思うんですね。そういうことが休みが続くとあるんですよね。
そういうことがあるので、非常に緊張感が高まっている。
でもそれだけではないと思うんですよ。もちろんいろんな要因があります。いろんな要因があるけれども、ただ事実として非常に2学期というのは緊張感が高まると。
今日は日曜日なので、今日から学校ってところは少ないかと思うんですね。9月2日から学校だというところが多いと思うんですけれども。そうなるとやっぱり9月2日っていうところが、かなり全国的に緊張感が高まる。
もちろん時期的にずれるところはあると思うんですよ。本当に地域によって全然違うので。僕が生まれ育ってずっと働いてきた山形なんかだと、もう特に学校始まっていたりするんですね。8月下旬くらいからはもう学校始まっているので。
そういうずれはあるにせよ。ただやっぱり特に都市部ですね。都市部の学校、東京なんかだと8月いっぱい夏休みってところも多いですからね。
夏休み明け
もちろんそういうものに対して学校も無力かっていうと、いろんなことはやるんですよ。
なんか声をかけたりとか、あと学校に登校日を設けたりとかですね。いろんなことはやってるんです。やってるんだけれども、やっぱりそれでも防げないことがあるっていうことなんですね。それはあるんです、やっぱり。
もちろんこれはですね、本当に自殺っていうのは一つの結果というか、現れ方なんですけど、それ以外に不登校だってあるし、登校しぶりだってあるし、あと登校したけれども体調不良であったりとか、登校したいけれども体調が悪くて行けないってこともあるし。登校してから9月の間は落ち着かないとか。
先ほどもね10月に向けて、実際の自殺者数が去年も多かったというのもありますけど、やっぱり学校行事があったりとか、いろんなことがある時期でもあるので、気が抜けないところではあるんですよね。
危機意識を持つこと
だからこそ、特にこの緊張感が高まる時期っていう時に、社会的な問題にするというか、社会的に声を上げていくというか、危機意識を新たにする。
例えば台風の時期の前に台風が来やすい時期だから、台風に向けての備えをしておこうね、みたいなことと同じように。
やっぱり特に気をつけなきゃいけない時期に、もちろん1年を通していつでもいろんなリスクがあるんだけれども、特にこの時期に気をつけておきたいっていうところなんですよね。
だからこそこの時期に、もちろん、子どもたち自身がどう防御するかっていうこともあるし、子どもたち自身に直接どう働きかけるかってこともあるんですけれども。
それ以上に、社会的に、我々が、一般的な大人というか、多くの日本人が知っておくべきことがあると思うんですね。日本に住む人たちが知っておき、社会的な課題にしていかなきゃいけないってことがあるんですね。
「ももさんと7人のパパゲーノ」
これについて問題意識を持って伝えてるのが、現状やっぱりNHKくらいなんですよね。NHKでは冒頭に申し上げた「8月31日の夜に」っていうのをずいぶん前から企画としてやっていて、今日もその番組がやってたんですね。
その番組だけじゃなくて、関連したいろんな特集番組とかもやってるんですね。その中に「パパゲーノ」の話がありまして。「ももさんと7人のパパゲーノ」っていうNHKの番組があって、これは2022年に最初に出された番組なんですけれど。
なかなか一口で言えないんですけど、「死にたい気持ちを抱えたまま、どう生きていくか」ってことが一つのテーマなんですね。
死にたい気持ちに向き合う
死にたい気持ちっていうのと、どう向き合ったり、抱えたり、それと生きていくかっていうのが、一見矛盾しているようなことでありながら、すごく大事なことで。
例えば僕自身も死にたいと思う瞬間っていうのは結構くるんですね。ただそれとわりと長く付き合ってきてるというか、どうそれと付き合っていけばいいのかが分かるというか。
それをやっぱり否定するっていう方向だと、なかなかうまくいかないんですよね。死にたいっていうものをなくそうと思ったりとか、死にたいっていうものを否定しようと思うところからだと、たぶん苦しみがなかなか続いてしまうこともあったりするので。
それとどう向き合うのかっていうことをテーマとした番組なんですね。これを毎年やってくださっていて、これ本当に大事だなと思うんですけれど。
パパゲーノ効果
「パパゲーノ」って、これ元は何かというと「パパゲーノ効果」っていう理論があるようなんですね。
これは2010年にトーマス・ニーダー・クローテンターラっていう方がいらっしゃって、この方が一応出している。この方は自殺についての研究をされている方で、その方が2010年に出されている概念というか、理論なんですね。
パパゲーノって何かっていうと、モーツァルトのオペラの「魔笛」ってあるんですけれど、その登場人物ですね。
「魔笛」っていうモーツァルトのオペラがあるんですけれど、割と喜劇的なんですよ。モーツァルトの最後のオペラかな。最晩年のオペラですけれども。非常にメロディーというか音楽的にもユーモアがあるというか、明るい感じの展開があって、RPGのようなストーリー展開だったりするんですけれど。
その中で非常にある種の道化役というか、コミカルな役として、「パパゲーノ」っていう男性のキャラクターが出てくるんですね。
この方がですね、いろんな恋に落ちたりとかしたりするんですけれど、ある時「パパゲーナ」っていう理想というか、恋愛の相手と出会うんですね。ネーミング的にパパゲーノとパパゲーナで、そのままだろうって感じなんですけれど。
パパゲーナという愛しい女性と結ばれかけるんですけれども、一旦それと別れることになるんですね。その時にパパゲーノが自殺しようとするんですよ。自殺しようとするんですけれど、その後にパパゲーナとまた再会して、ハッピーエンドっていうお話なんです。
そういうところから、要するに自殺しようと思ったんだけれども、助かった、自殺から免れることができたっていうような話として、パパゲーノっていう単語が使われてるんですね。
じゃあ「パパゲーノ効果」って何かっていうと。これはですね、例えば報道などメディアの影響によって、自殺への対処法とか、自殺を企図したけれども、そこから助かった人の話を聞いたりとか、何とか自殺に対して向き合っている話とか、そういう話を報道によって知ることによって、自殺率が下がるっていうような理論なんですね。これを「パパゲーノ効果」って言うんですよ。
例えば、僕自身も「パパゲーノ効果」っていうものをある種信じてというか、こういう効果を狙って、こういったポッドキャストで発信するっていうことは大事だなと思うし、SNSなどで注意喚起するというかですね、そういう情報を広げるっていうことは大事だなと思うんですよね。
本当に苦しみの最中にある人に対して、自殺への対処法とか、何か人的リソースであったり、何か情報に対してつながることができれば、自殺率が下がるんじゃないかっていう、そういう理論なんですね。
それをパパゲーノ効果っていうところから、「ももさんと7人のパパゲーノ」っていうようなドラマのタイトルになってるんですけれども。
ウェルテル効果
もう一つ、パパゲーノ効果よりは残念ながらというか、歴史が古いからなんですけれどもよく知られてる効果に、「ウェルテル効果」っていうのがあって。
これは1974年にデイビッド・フィリップスさんっていう人が、これは社会学者の方ですね、この方が立ててる理論で。
ウェルテルっていうのはゲーテの『若きウェルテルの悩み』っていう作品から来てるんですけれどもね。
『若きウェルテルの悩み』っていうのも非常に、私も結構前に読んだからあんまり概要を覚えてないんですけれども、平たい話が最終的には自殺するんですね。いろんなことがあって、結構長い小説なんですけれど、いろんなことがあって最終的に自殺するんですね。そういうところからネーミングが付けられたらしくて。
(ウェルテル効果は)自殺したという情報が、読み手や周りにどう影響を与えるかということで、この方は社会学者なので、報道に注目するんですね。
報道、新聞とかそういうものによって、自殺をした人、有名人が自殺したとかね、そういうことがあった時に自殺率が上がるっていうんですね。そういう理論なんですよ。
報道のガイドライン
これはもう日本でもよく知られてるというか、これは報道がかなり失敗してきてるところで。
あまりにもセンセーショナルに自殺ってものを扱うことによって、不用意に扱うことによって、「自殺しましたよ」ってことを、かなり劇的にというんですかね、ドラマチックにとか、ある種、過激に、刺激的に報道することによって、自殺率が上がるっていうことが言われているんですね。
これはもうかなり報道に責任があるということで、今では自殺に対する報道のガイドラインっていうのはあって。ガイドラインできてからも、全然報道がちゃんとそれをやらないもんだから、そのたびに声を上げてきた歴史があるんですけどね。今ではやっぱりそういうことが、かなり徹底されるようになってきましたよね。
報道ガイドラインっていうのも、すごくちゃんとされるようになってきました。
具体的には、例えば自殺の報道があった時に、それをケアするとか、悩みがあったりとか、すごく不安に思ったりとかね、すごくドキドキしちゃったりとか、刺激は強かったなっていう時に、相談に乗ってくる窓口とかの存在をちゃんと明示するとか、それも焼け石に水かもしれないけれども、でもそういうことをちゃんとやっていくっていうことによって、ウェルテル効果ではなくて、パパゲーノ効果を狙うと。
報道によって自殺率を上げるのではなく、自殺率を下げるってことにつなげていくというふうなことが、今ではされるようになったわけですね。
ただやっぱり今でも自殺ってものは、どこかタブーなところもあったりとか、もちろんセンシティブな問題ではあるんだけれども。
自殺を他人事にしているというか、自殺を目に見えないことにして、可視化しないっていうことによって、現状の問題、いろんな問題が隠れてしまっていることはあると思うので。
報道、メディアの役割はすごく大事だと思うので、一応それをちゃんと考えていきたいな、注目していきたいなと思っていますね。
メッセージを出していく
そういうことも考えつつ、我々というか、今は自殺のリスクが低い人とか、あとはその大人、10代じゃない大人に何ができるのかっていうところなんですけれど。
一つには、その10代の自殺というものについて、大人や社会というものが、関心を持っているんだよと。
「問題意識を持っていますよ」「本当にこの10代が苦しんでいるとか、自殺が多いということを、すごく大変なことだと思っているし、心配しているし、何とかしていきたいと思っているよ」っていうメッセージを出すことっていうのが、非常に大事だと思うんですね。
やっぱり、それを発信しないと、「自分たちは心配されていないんだ」ということが思われて仕方ないですよね。
だから、「関心があるんだよ」「心配しているよ」ということを、かなり積極的に、子どもたちに届くまで、メッセージを出していくということは非常に大事だと思うんですね。
声を上げていく
もう一つは、社会的マイノリティへの差別とか偏見とか、暴力というものにちゃんと声を上げていくことって、すごく大事だと思うんですね。
例えば、印象的だったのが、性的マイノリティの問題で、同性婚の裁判というのをやっているんですけれど。
同性婚を実現するための裁判において、なかなか、同性パートナーにとっての同性婚という権利が認められないというような、裁判の判決が出たときがあるんですね。
そうしたときに、すごく、若い人がそれにショックを受けていたのが印象的で。逆に僕なんかだと、「そういうことはあるよね」と。「でも冷静に捉えれば、そんなことはあるけれど、全然そこから声を上げていくことで何とでもできるし」と。
ある程度大人だと見えているものはあるけれども、直接的な、断片的な情報を受け取った10代の方とか、若い人たちとかが、「性的マイノリティという存在は、差別されても仕方ないんだ」というメッセージとして受け取ってしまうということは多々あるんですよね。
だからそういったときに、「いや違うよ」「それはおかしいんだよ、そういう判決が出るのは」「そういう差別や偏見や暴力には、ちゃんと大人は声を上げていくからね」「ちゃんと社会を良くしていくから、安心して大人になって」というようなメッセージを出すってすごく大事だと思うんですね。
差別、偏見、暴力に声を上げる
そうやって、いろんな差別、偏見、暴力というのはあって、代表的には女性ですよね。
「女性が幸せになれますよ」「女性がちゃんと働いていけるし、子育てしていけるし、自分の生きたい人生を生きられるし、いろんな権利があるし、いろんなことができますよ」ということをちゃんとメッセージとして声を上げる。
女性に対する差別とかハラスメントとか、そういったものにもちゃんと声を上げて、「それはおかしいよ」「それにはちゃんと大人が味方になるからね」と声を上げるって本当に大事だと思って。
それはあらゆること、精神疾患、鬱病とか統合失調症に対する差別、偏見。依存症に対する差別、偏見。障害者に対して、貧困に対して、性的マイノリティに対して、国籍に対して、犯罪被害者や、犯罪加害者や、その家族たちや、いろんなものたちに対して、偏見や差別や暴力ってものが、はびこっているわけですよね。
それを放置するんじゃなくて、そういうものにちゃんと声を上げること自体が、それがそういうマイノリティ性を持った人、そんなマイノリティー、社会的マイノリティーって言い方しますけどね。
社会的マイノリティー
例えば女性って別に、人数がじゃあ、優位に少ないっていうか、圧倒的に少ないのかって、そういうわけじゃないですよね。
ただ社会的に、数が少ないものとされているというか、可視化されないでいる部分があるというかね、いないものとされている部分があったりするわけですよね。
例えば政治の世界であったりとかね、学問の世界であったりとか、まだまだジェンダーギャップっていうのはあるわけで。
もちろん女性ですらそうなんだから、いろんなことにおいて、誰もが大抵はね、何かしらのマイノリティである人が、ほとんどなんですよね。
そういったものに対して、「それはおかしい」と声を上げることが、結果的に、若者に対して希望を与えることであり、自殺のリスクっていうものにも、影響していくことだと思うんですよね。
だからそういうものに対して、ちゃんと声を上げていくってことは、僕はすごく大事なことだなと思うんですよね。
死にたい気持ちをうちあけられたら
もしね、実際に死にたいっていう気持ちを、打ち明けられたらとか、死にたいっていう人が、そばにいた時とかね、そういう時に、じゃあどうしたらいいのかってこと。
それって難しいことだし、答えはなかなかね、すぐには出せないことであるかもしれないけれども、一応、ある種の、ある程度の、理論というか、エビデンスに基づいたものとして、ある程度ね、今現段階でのある程度、あることとして。
まず第一に、「死にたいっていう気持ちの、カミングアウトを受け止める」ってことですね。
あえてカミングアウトって言葉を使いましたけど、例えば性的マイノリティーの文脈とか、また病気の文脈なんかで、カミングアウトって言葉が使われることがありますけれど。
その時にやっぱり、カミングアウトにどう向き合うかってことの、一つの答えとして、まずは受け止めるってことがありますよね。
それに対して、カミングアウトっていうこと、自分が何かこう、人に打ち明けていないことを、公にするっていう時には、かなりの心理的な負担であったり、勇気がいることであるから、まずそれをぜひ受け止めてあげてほしい、っていうことですね。
受け止めた上で、次の言葉とか行動を取っていくってことが、できればいいんじゃないかってことは、よく言われていることなんですけれど。
まずはちょっとその死にたいって気持ちを、条件反射的に否定するとか、条件反射的に助言をするとかっていうんじゃなくて、まず一旦受け止めるってことが、まずは言われますね。
物理的な環境を整える
その後の展開っていうのは、なかなか定型的なものっていうのは、難しいかと思うんですけれど。
ただ一つ具体的にはあるのは、まずは「物理的に自殺ができないような環境を整える」っていうことですね。
だからできる限りそばにいるとか、周りに危険なものがないような空間に誘導するとかね、落ち着けるような場所を用意するとかね、そういうことっていうのはやっぱり大事なんですよね。
例えば、人身事故とかがありますけれど、電車の人身事故を防ぐために、やっぱり結構大事なのが、かなり効果的なのが、自動でゲートが閉まるようになったことっていうのは、かなり効果的だったっていうことも聞いたことがありますね。
もちろん根本的な原因とか、いろんな対策はあるけれども、物理的に自殺できないようにするっていうのは、非常に当たり前なんだけれども、効果的だっていうことなんですよね。
助けを求める
あとはもう一つは、打ち明けられた人に、やっぱりまずできることっていうのは、「助けを求める」ことだと思うんですね。
プロであってもね、プロの精神科医とか、カウンセラーであっても、やっぱり死にたいっていう気持ち、死にたいっていう言葉を受け止めるって、かなり負担なんですよ。そんな簡単にできることではない。
それをどうするかっていうときに、いろんな方法があるけれども、やっぱりまずは「助けを求める」っていうことが、効果的だと思うんですね。一人で抱え込まないこと。医療でも基本的にチームで当たりますよね、そういうときはね。
だから例えば、自殺の相談窓口っていうのは、自殺したいという気持ちが起きた人だけではなくて、その周りの人もちゃんと相談していいんですね。
だから自殺の相談窓口に、相談された人が助けを求めるとか、ちょっと相談するとかっていうこともできるし。あともうちょっと動ける人であれば、そういう相談窓口とかに行く、精神保健福祉センターとか、あとは医療機関とかですね、でもいいと思います。110番とかでもいいし。
実際に相談窓口とかも、電話なんかだと、なかなかかからなかったりするし、LINE相談とかメール相談とかも、ちょっと返答に時間がかかったりは、どうしてもしてしまうところがあるので。
やっぱりちょっとその間、かなり不安だったりすると思うんですね、相談された側も。だからなるべくそういうところを、いくつも当たるとかね。本当になかなかつながりにくいのは、確かなんです。
だからどうかそこを諦めずに、相談された人が一人にならないように、相談された人の気持ちを、ちょっと打ち明けるって、本当にこれ大事で。
もし自分がその相談に乗っているときに、平気だと思っても、ぜひ後からでもいいから、利用していただければと思います。ちょっとでもそういうのを解消しておいた方がいいんですよ。
そういうプロであれば、そういうのをちょっと愚痴ったりするんですよ。例えば学校の先生とかね。いろんな相談を受けて、それを一人で抱え込むっていうのは、本当によくないから、同僚に相談したりするんですね。守秘義務の範囲内で、いろいろ相談したりするんですよ。誰も彼もじゃなくてね。集団守秘義務って言ったりするんですけど。
そういうこともあったりするので、ましてやプロでもない人が、職業としてではなくて、自分自身が友人とか家族から打ち明けられた時に、それを一人で抱え込むって、すごく大変なことなので。
それはもうね、いろんな人に、なかなかね、友人にっていうと、なかなか相談しにくいとかあるかもしれないので、相談機関とかね、専門家に相談してみるってことを、ぜひしてみてほしいなと思いますね。
今そういうところって、いっぱいあるから、何でもいいんです。あの、質とかどうでもいいから、とにかくね、誰にでもいいから打ち明けるとかって大事ですので、打ち明けてください。
まあ、最悪ほんと誰でもいいです。本当に。自分自身が抱え込んじゃって、自分が辛くなるよりはいいので、誰でもいいから相談する。家族とかでもいいしね。信頼をおける人でもいいし。
もちろんね、その相談、その死にたいという気持ちを打ち明けてくれた人の、人権にも配慮する必要はあるけれども。
ただ、自分自身も守っていくってことも大事なので。相談される人ね。今やっぱり、そういうケアをする側を大事にするっていうのも、非常にこう、専門家としては大事なことなんですね。
非常に大事なことなので、ぜひね、相談されたら、逆にそれを誰かに相談するというか、専門機関に相談するっていうのも、非常に大事なテクニックではありますので。
だからこう、そういうことも、ちょっと心に止めといていただけると、慌てないで済むかなと、何か死にたいんだよねっていう気持ちに対して、なんかこう、慌てずに済むかもしれないですね。
その都度できることを
とはいっても、もちろん正解はないので。うん。その都度できることをやるしかないです。
うん。それは本当に、医療従事者であったり、福祉の関係の人だったり、教育現場であっても、すごく悩ましいというか、思い通りにならないことも、多いことではあるんですけどね。
ぜひそういうことも、ちょっとですね、なんか、知っておいていただければなと思うんですけど。
ただ言うてもね、僕が今言ってきたことっていうのも、一つの側面ではあるんです。
ただやっぱり、何か語られるよりは、比較的専門性がある、人間だとは思うので、その専門性がある人間が、発信するべきことっていう、そういう責務もあるかなと思って、少しお話をさせていただきました。
勉強しなきゃいけない
ただ、もっともっとやっぱり、勉強しなきゃいけないことって、いっぱいあるんです。複雑だしね。いろんなこと複雑だし。
僕がこういう時に思い出すのが、「風の谷のナウシカ」ってあるじゃないですか。ナウシカがね、これもね、ジブリの話をし始めると、すごく長くなっちゃうんですけど。
その「風の谷のナウシカ」で、コミックス版で、ナウシカがあるとき言うんですね。「なんて自分は、人は、もっともっと多くのことを、知らなければならないんだろう」と。
映画版で語られるところだけだと、いわゆるナウシカって、その世界の真相に近づいている、一人なんですよね。かなり、「腐海」っていう、その世界の真実に近づいている人間なんですけど。
実はまだまだ、もっともっと、いろんな世界の不思議なこととか、世界のいろんな複雑なこととか、真相っていうのはたくさんあることを、知っていくんですね。
それでやっぱり、ナウシカですら「もっともっといろんなことを、学んでいかなきゃいけない」ってことを吐露するんですね。
本当に、勉強するって本当そうなんですけど、どんな業界でもね。特に支援をする仕事、人間に関わる仕事とか、人文学的な学問っていうのは、本当にいくら勉強しても、まだ知らないこととか、もっともっと勉強しなきゃいけないことって、まだまだあるなって思うんですよね。
すごくそういうことはあって、だからこそ、僕たちは学び、勉強しなきゃいけないし。
それをね、学んでない人が、「じゃあ学んでないから、分かんなかったです」っていうのも、ちょっとおかしいと思うし、やっぱり学んでいかなきゃいけないと思うんですよね。
特に、若い世代のために、大人が動かなきゃいけない、学ばなきゃいけない、ってことはあって。
もちろんそれで、一気に何でもかんでも、勉強しなきゃいけないとか、ってことではないんです。ないんだけれども、ただそれは諦めちゃいけないっていうんですかね。
学ぶことは諦めて、「もう分かんないし」とか「それは複雑なことだから」とか「それは人に任せて」っていうことではなくて、やっぱ諦めちゃいけないところはあって。
自分自身を守る
ただもちろんね、コンディションはありますよ。僕だって本当そうです。僕自身もコンディション悪い時とかだと、こんなポッドキャストも撮れないし、動画とかもできないですけどね。
ただやっぱり、たまたま今、できる環境とか、コンディションにあるから、こういうことを勉強したり、発信したりできるわけでね。
自分自身を守ることは本当に大事なので、それは本当にテクニカルな面でもね、自分自身を守るっていうのは、本当に基本中の基本というか、一番大事にすべきことだと思うので。
ただプラスとしてね。もしできるのであれば、何かこう、いろんなことに思い馳せたり、誰かのために思い馳せるってことが、時として自分を助けることにもなったり、自分自身を生きやすくすることにもつながったりすると思うんですよね。なので、そういうこともね、ちょっとしていけたらなと思います。
末木新『「死にたい」と言われたら 自殺の心理学』ちくまプリマ―新書
この後っていうか、今後、少し紹介もしたいと思ってるんですけど、こういう自殺とかについて、あと子どもたちのことについて、ちょっと知りたいなって人に、書籍案内だけちょっとだけしておくんですけれど。
まず、一つ目がですね、「ちくまプリマー新書」。
筑摩書房から出ているやつで、「ちくまプリマー新書」ってやつが、子どもたち向け、特にヤングアダルト世代とか、そうですね、十代向けにも書かれている本のシリーズで、「ちくまプリマー新書」っていうのがあるんですけど。
その中で、末木新(すえきはじめ)さんっていう方の書いてらっしゃる、『「死にたい」と言われたら 自殺の心理学』っていう本があります。
(末木新さんは)自殺について研究されている、研究者の方なんですけれどもね。東大の院では心理学コースを出られている方なので、臨床系のこともやられている方なんですけれどもね。
その方は(自殺について)研究されていて、非常にエビデンスというか、統計的なものも踏まえた、この説明になっているんですよね。
だからある種、理性的に自殺というものを受け止めている本なので、僕も結構これは学ぶところが多かったというか、分かりやすかったですね。理論的にはわかりやすいというところがあった。
本人としては、ちょっと冷たく感じてるようなところもある、みたいな書き方をしていたんですが、僕自身はそこまで思わなくって。非常にわかりやすいし、冷静に自殺というものを受け止める上で非常にいい書物だなと。
「ちくまプリマー新書」って比較的読みやすい本ではあるんですね。もちろん、だからといって、めちゃくちゃ読みやすいわけじゃないんですけど。そんな、中高生だと誰でも読める、みたいな感じでは全然ないんです。けれど、比較的読みやすいので、ぜひお手に取っていただくのもよろしいかなと思います。
松本俊彦編『「助けて」が言えない 子ども編』日本評論社
もう一冊が こちらは日本評論社から出ている『「助けて」が言えない 子ども編』っていう本で。
松本俊彦先生、依存症界隈の人では有名 というか、僕も大ファンで、何度も講演だったりとか対談とか、先日も新宿の紀伊国屋書店で行われた対談イベントに行って、ツーショットも撮っていただいたくらい。
人間的にすごく尊敬できるというか、学問的にも素晴らしい方だと思うし、学術的に素晴らしい 方でもあるし、研究者としても素晴らしいし、人間的にも言動がすごく信頼できる方で。
ちょうど昨日あった、「8月31日の夜に」というNHKの番組でもコメンテーターの一人として出演されていて。いやもう、マジでいいこと言うなと思って。その方が編者として出されているものなんですけど。
これ、もともと雑誌の連載なんですね。企画として出されていて。「こころの科学」っていう臨床(心理学)系の(雑誌があって)。
心理学系のいろんな学会誌とか、カルチャー誌とか、雑誌とかあるんですけど。その中の一つ ですね。「こころの科学」っていう雑誌があって。
その企画の中で、「助けてが言えない」っていう企画があってですね。これはいろんな バージョンがあるんですけれど。
我々って、「助けて」って言えないじゃないですか困った時に。
僕自身も、本当にね、そんなすごい、「助けて」って言えない人間で。本当にもう、未だに言えないし。
でもこれも、だいぶ言えるようになったなと思うんですけど。特にね、親に対して「助けて」って本当に言えなかったんですよ。本当もうここ5、6年で。違うね、もう3、4年かな。ここ3、4年でようやく親に「助けて」って言えるようになったというか。
ところが、人間ですね。本当に人に「助けて」ってなかなか言えないんですよ。そういうことに正面から向き合った企画なんですけれど。
それの「子ども編」ってことで、子供がね。「助けて」って言えないんですよ。言えないんです。何でなのかとか、助けてと言えないことの背景にどんなことがあるのか。
例えば、この本で取り上げてるものとしては、ヤングケアラー、虐待、性暴力、いじめ、不登校、自傷、オーバードーズ、ゲーム依存、セクシャルマイノリティーとかね。本当にいろんなことに、子供たちは「助けて」って言えない状態にあると、そういうものに対して、紹介している文章なんですね。
こちらはKindle Unlimited(Amazonの電子書籍定額読み放題サービス)でも 読むことができるので、もし利用されてる方がいらっしゃったら、そちらで読んでいただいてもいいかなと思うんですけれど。結構、これはいい本だと思います。
僕も隅から隅まで読んだっていうよりは、気になるところだけパラパラって読んでるんですけど。それでも本当にいいと思います。
自分が興味が、例えばセクシャルマイノリティーの方だったらセクシャルマイノリティーに関わるところだけでもいいし、パラパラ目次を見て、なんかこのケースってすごく興味あるなとか、そういうところに対してだけ読んでも全然いいと思います。
(略)
自殺者をゼロにする
よく言われるのが、自殺者をゼロにするっていうことは、きっと不可能なのかもしれないですよ。きっと不可能かもしれないけれども、やっぱ、諦めちゃダメだと思うんですよね。
核兵器とかもそうだし、平和とかもそうなんですけど。やっぱなんかね。無理かもしれない、この世界が完全に平和になることとか、核兵器がゼロになることは無理かもしれないけれども、かといって諦めちゃダメだと思うんですよね。そういうことってあると思っていて。
だからやっぱりゼロを目指して。少しでも減らしていくってところもあるんだけど、でもやっぱり、これはゼロを目指すべきだと思うんですよ。
少しでも自殺者を減らすっていう観点はもちろんあるんです。現実的に減らしていくって方法と、ゼロにするって方法。
例えば核兵器も、核兵器をゼロにするっていうのと、核兵器を減らすっていうのは戦略が違うっていうのは分かるんですよ。
ただやっぱり、こと自殺に関しては、やっぱりゼロにしていきたいなっていうところはありますよね。
これは他人事じゃないんですよ。僕自身だって自殺っていうものが身近にあるというか。なんだろうな。
自分自身がいつ自殺するか分かんないと思うんですよ。本当に。それは分かんないから。全然それは他人事ではないんです。僕にとって。だからそうした時に、やっぱりそれを許容できないですよね。
なんか自殺はやむを得ないっていうもの。それだってね。それはやっぱり戦争はやむを得ないとか、核兵器の使用をやむを得ないと同じくらい、許容しちゃダメなものって、やっぱあって。
差別はやむを得ないとか、暴力はやむを得ないとか。それと一緒だと思うんですよ。
そういうものって、やっぱあって。世の中には。やむを得なくないことっていうか、やむを得ないと言っちゃいけないというか。そういうものってあると思うんですね。だからそういうものの一つだと思っているので。
やむを得ないこと
やむを得ないこともありますよ。僕だって。今これね、実は結構1時間10分くらい録音してるんですけど。途中で気づいたのが、マイクが拾ってないんですよね。
音声は録れてるんですよ。だけど本当はマイク繋いでるはずなんだけど、マイクじゃなくて、パソコンの内部マイクで録音されてることに途中で気づいて。もうちょっと音質良かったはずなんです。
だけど、もうね。しゃあないじゃないですか。もうね。いいですよ。このまま出しますよ。さすがにね。だいたい4、50分くらい録音した段階で気づいたんですね。あれ、と思って。
あと途中ね。ちょっと切れちゃったりとかしてるんですよ。実はね。ちょっと、聞いてると、なんか、「ん?」って思うとこ、あると思うんです。
けど、めんどくさいからしません。その、編集とかも、そこだけ切りとるとかも。こんなね。1時間10分もね。一人で話しててね。今更もう、今更ですよ。仕方ないってなる。こういうのは「仕方ない」でいいと思うんですよ。
こういうのはね。積極的に「仕方ない」にしていって。そう。ちょっと内心ね。「はぁ……」と思ってるけれども。まあ、そういうのは。仕方ないって。
でも。まあね。やっぱり譲れないものってあるから。譲っちゃいけないというかね。人間としてね。そういうものは、ちょっと守っていきたいかなと思っております。
サイヤ人みたいな感じ
ということで、いや、お聞きいただいてありがとうございました。ちょっとね。何だろう。そんなに元気の出る話ではなかったかもしれないけれども。
僕自身はこういう話聞くと、割と元気が出る方で。人によると思うんですけど、なんだろうなぁ。なんだろうね。やっぱちょっと、「戦おうぜ」って思うんです。こういう話の方が、なんか怒りが湧いてくるんですよね。
なんだろうな。なんかこう自殺って、やっぱ防げないものじゃないと思うし 。その背後にあるものが、差別、偏見、暴力だったりするから。いやこれは戦う。「戦おうぜ」と思うんですよ。戦うとね。割と僕は結構元気になる方なんですよね。
そう、なんか。戦闘民族。サイヤ人みたいな感じでね。結構、戦闘モードの方が元気が出る派なんですよね。割とね。
なので、こう、もしこういうのをお聞きいただいてね。ちょっと「戦おうぜ」と思っていただいた方は。同じです。多分、サイヤ人です。ということでした。
ということでちょっと特別回的な感じですけれども、「鬼の目に木琴」でした。
(略)