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夢とは何か
「七夕の国」という映像作品が公開されている。原作は岩明均(いわあきひとし)による漫画で、僕はその漫画の方は読んだことがあった。
とても魅力的なストーリーだったので、細部を思い出したくて、この度久しぶりに読み直した。
この作品の中では、夢が重要な役割をする。
そこでは、その夢がどのような夢なのか、何を意味するのかが明示されないまま、感覚的な表現で話が進んでいく。
夢というのは、基本的にそういうものだろう。
不確かで、あいまいなもので、捉え難いもの。
その不確かなものを捉えようとする過程によって、精神の疾患を治療する試みの一つが、夢分析である。
フロイトによって始まり、ユングによってまた違ったアプローチが試みられていった。
特にユング派では、夢分析を通して、クライアントに変化が見られていく。
ユング心理学に親しむ中で思うようになったのは、夢が個別の体験だということである。
当たり前のようだが、時として人は、夢を普遍的な現象と捉えることがある。
夢は、脳の状態を表している。夢は、記憶と関係している。夢は、レム睡眠と深く関わっている。
あたかもそれらが真実のようであるが、これらは夢という現象のほんの一端を示しているだけである。
フロイトの精神分析やユングの分析心理学、脳科学などのアプローチによっても、夢というのは依然として捉え難いものである。
僕はその要因の一つが、夢の個別性にあると考えている。
簡単に言えば、夢とは何かとは、人によって違うのではないかということである。
人間という大きいくくりで、共通点を見出すことは難しいのではないか。それは精神分析や分析心理学の文脈においても、脳科学の文脈においてもである。
あまりにも個別の実態や仕組みが異なるので、そこに普遍的な理論を見出すのは難しいのではないか。
もっと言えば、その夢の複雑な実態や仕組みを分析できるほどには、人間はまだ夢を捉えることはできていないのではないか。
だから、夢を捉えるには、さまざまな夢に共通したものを見出すというアプローチではなく、個別の夢を深く捉えていくというアプローチの方が真実に近づきやすいように思える。
それは、結果的にはユングの夢分析に重なるように思う。ただ、それが専門家の導きによる夢の捉え直しという過程である必要はないだろう。
そんなふうに思ったときに、僕は自分の夢を捉え直すことにした。専門家の導きによるそれを行う選択肢を持たない現状ではあるものの、ある程度は自分の夢に迫れるのではないかと思ったのだ。
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