書くインタビューとダンスホールと【読書のきろく】
小説が生まれる裏側や作家の気持ちが、メールで解き明かされた
noteで興味深いタイトルの本が紹介されていた。
その時にはまだ知らなかった作家の本だったが、「作家が小説を書く裏側を覗き見られるというおもしろさがある。」と紹介されているのを目にして、ぜひ読みたいと思った。この人が紹介する本はおもしろいものばかりだとずっと思っているから、読みたいけどどうしようかなと迷うことはなかった。
3冊出版されているが、市内の図書館の蔵書に、③はなかった。でも、
もし本書を読まれる方はしっかりと①~③の順で読むことをお勧めしたい。③だけを読んでもその変化はわからないはずだし、①、②の残念な質問に対しての佐藤正午さんのツッコミや指摘から学ぶことはかなり多い。
と書かれているから、心配する必要はないなと思い、ひとまず①と、その中で扱われているという『ダンスホール』を借りた。
『書くインタビュー』は、メールを用いたインタビューで、
「これは、直接会って言葉をやりとりするのではなくて、メールを用いたインタビューです。いままでどおりに質問しようとしても、なかなかそうはいかない。こちらもいままでどおりに答えようとしても、そうはいかない。質問も回答も手間をかけて文章にしなければならないからです。」
>『書くインタビュー 1』裏表紙 より
とある通り、一通のメールごとに記されている送信日時からも、文章を練る時間がかかっていることが伝わってきた。その日のうちに往復する些細なやり取りや、翌日に返信が来るものもあれば、一ヶ月以上も期間があくこともあって、「ああでもない、こうでもない」と頭を抱え、書いては消すことを繰り返す姿が目に浮かぶようだった。
とても興味深かったのは、作家が小説の構成を練る段階の「冒頭」と「結末」の部分と、実際に完成した小説の「冒頭」と「結末」の相違点について議論を交わす場面で、作品と読み手の関係だけでは絶対に見えないものを見せてもらえたことに、書くことのおもしろさを教えてもらった。小説は奥が深い、と改めて思った。
『ダンスホール』は、この「書くインタビュー」が交わされている期間に、創造される過程をインタビュアーにも見守られながら生まれた作品で、その様子を一緒に見守ってきた気持ちになっていたから、今までとはまた違ったおもしろさがあった。物語そのものも、もちろんおもしろかったが、
「なるほど、確かに地の文の文末が『た』で統一されているとは感じない」
とか、
「こうやって小説家が登場するから、誰が誰のことを言っているのか、ちょっとはぐらかされるような印象を受けるんだな」
とか、
「用意されてたという最後のセリフは、確かになくなってたけど、ここまで読んでまた『書くインタビュー 1』の後半を読むと、感動が大きくなる」
など、小説の裏側も一緒に味わうことができた。
きっと、僕のそう感じた理解の度合いと、作家の意図や苦労には、大きな隔たりがあるだろうけど、それでもいいと思えた。
佐藤正午さんの作品も、他の作家さんの作品も、もっと読みたいと思ったし、僕もいろいろと試しながら書いて、その時の自分の感覚と向き合っていきたいと思った。
☆
『書くインタビュー』の中で明かされている、というよりも、
あと「正午さんはご執筆中『た』止めの連続を気づかせないように何らかの工夫をされたしりましたか?」というとぼけた質問に対しては、気づかせない工夫などできるわけがない、手品じゃあるまいし、と答えたいです。文末が「た」で止まっていることは、隠したりごまかしたりしようのない事実、日本語の読めるひとならだれでも気づくことのできるシンプルな事実ですから。
>『書くインタビュー 1』p.214 より
と書かれているのを、頑張って真似て、今回の【読書のきろく】は文末を「た」で統一して書いてみました。
「真似て書いたなんて、どの口が言ってるんですか?表面的な『やり方』を真似て満足しているようなら、小説を書きたいとか言わない方がいいですよ。」
と怒られそうですが、そんな体験もしながら勉強をしてるからいいんだと自分で納得しようとしている今日のnoteも、最後まで読んでくださってありがとうございました。
◇
読書のきろく 2021年25冊目
『書くインタビュー(1)』
#佐藤正午
#小学館文庫
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