余命1年―私が私に暗示をかけたこの言葉。それは、私にとって魔法の言葉
『29歳の誕生日、あと1年で死のうと決めた。』著:葉山アマリ(泰文堂、2011/6/1)
「源氏名はどうしようかしら?」
「源氏名?」
「お店での名前よ。ニックネームみたいなものね」
私はちょっと考えてから答えた。
「あまり……アマリにします。余りものの”アマリ”」
著者、葉山アマリさんの名前の由来です。
“余りもの”とは一体、何のことなのでしょうか?
29歳の誕生日。
派遣社員で生活はカツカツ、テーブルの上には支払いの催促状、恋人も友人もおらず、父親の介護を母親に押し付け一人暮らし。
六畳一間のアパートでコンビニで買ったイチゴのショートケーキを一人で食べる。
イチゴが床に転げ落ち、長い髪の毛がついたイチゴを拾いあげて「洗えばいける」流し台にかけこむ。
床に落とした小さなイチゴを必死になって食べようとしている、でっぷり太ったアラサーの女。それがいまの私の姿。
「何してるんだろう、私………」
ダメだ、と思ったときには、自分の意志とは裏腹に涙が一つ頬を伝い、押し留めていた激しい感情の流れが堤防を決壊させた、
『……みじめだ……』
公共料金の支払いに事欠き、何百社も就職活動しても断られる。
30代になれば、今よりもっと就職は厳しくなる。
今のこのカツカツな生活よりも、今後レベルが上がる可能性は、ゼロに等しく思えた。
これ以上、年を取ることが、怖くて怖くてたまらなかった。
「私は生きている価値が、あるのだろうか?」
手がゆっくりと包丁に伸びて、周囲からは音が消え、包丁を握った手が小刻みに震える。
そして、うなだれ、包丁をおろす。
生きる勇気も、死ぬ勇気もない、とことん、中途半端な人生。
その時、テレビで流れていたラスベガスの光景に引き込まれ、思う。
死ぬ前にラスベガスに行こう。
29歳、最後の日を目いっぱいこれ以上ないくらい派手に過ごして死にたい。
カジノで全てを失っても構わない。
人生の全てをかけて勝負しよう。
そして、30歳で思い残すことなく命を断とう。
この日から、著者の人生のカウントダウンがはじまり、あらゆる変化が起こっていきます。
70㎏まで太った著者が銀座のホステスになり、お金を貯めるためにヌードモデルまで行います。未婚の派遣社員の立場に劣等感を抱きながらも、同窓会に出席して、素晴らしい友人に出会います。
迷ったり、勇気が無くて一歩踏み出せないときは
「どうせ死ぬんだ。無駄な感傷はや甘えは捨てよう。」
「思い残すことが無いように死にたい。」
そう思い、どんどん行動していき、多くの人に出会い、かけがえのない友人を作り、今までしてこなかった経験を積み、自分が変わっていきます。
それはあきらめや開き直りにも近い感覚だったのかもしれません。
余命1年。
迷ったり、悩んだりしている時間はもうありませんでした。
人生が有限であるものと意識し、全力で生き抜いた著者の「死ぬ気」の1年。
余命1年という強烈な自己暗示は著者の悩みや迷いも消し、今まで持てなかった勇気を生みました。
あと一年で死ぬという期限を決めたことで本当に大事なものだけが残ったのです。
その軌跡を読者の皆さんも読んでみてください。
余命1年
あなたなら何をしますか。