湘南爆走族〜ジーティーサンパチ〜
通勤時や仕事での休憩時、
就寝前などほぼ1日中 YOU TUBEをザッピングし「あーでもない、こーでもない」と、
自分なりのおもしろ動画をほぼ毎日探しております。
ある日オススメ動画に出てきた東映ビデオチャンネル。
その動画
【前編】「湘南爆走族6 GT380 ヒストリー」
なんと…
これは……
80年代中頃に生まれた私には1990年製作は決してタイムリーではありません。
時は1990年代初頭、従兄弟のゆーじ兄ちゃんが実家を出て独立する事になり、恐らく不要になったのであろうこの作品を含む
ヤンキーバイクアニメのVHSが数本と
長渕剛の弾き語りコードブック1冊が我が家に流れてきたのです。
私の出身地は「ヤンキー文化」が強く根付いており中学、高校時代の周りの友人たちは50ccスクーターのHONDAゼッペケやYAMAHAゼットアールやSUZUKIゼッツーにメタリックなブルーやレッドのパーフィル(多分パワーフィルター)や
ナンバープレートがパカパカ上下する蝶番みたいなのが着いていたり
リミッター解除しただのしていないだの、
今思えば「ホンマに原付なんかにそんなもんあんのかい!」とよく分からない「ヤンキー文化」があったものの、
このヤンキーバイクアニメのVHSを頂いた当時は、
こういった「ヤンキー文化」に全く興味が無く、
ましてや「エレキギターカッコイイ!」と思っていた私にとっては長渕剛コードブックすら本棚にスルーしていたのです。
当時のゆーじ兄ちゃんは
10代後半で8つ程歳が離れた小さい私をよくコンビニに連れて行ってくれるのですが、
道端によくツバを吐く気合の入ったお兄ちゃんでした。
ちょうどその頃から親戚同士の集いにも徐々に顔を出さなくなっていったのを覚えています。
思春期やなぁ…。
そんなゆーじ兄ちゃんから継承した気合いの入ったビデオの存在に気付くのはその数年後…
あれは高校1年生の8月の夏休み。
夕方頃まで自宅に家族は不在で思春期真っ盛りの私は
自宅にあるVHSを片っ端からチェックし洋画のエッチなシーンを探していました。
母は熱心な洋画フリークで
深夜枠のよくわからないB級洋画を録画していたり、
隣人のおばちゃんオススメの映画をダビングしたり、
とにかく沢山の洋画のVHSが自宅にはありました。
お陰様でB級から名作までご年配の方とでも共通の話題として映画トークや俳優トークが出来る様になりました。
タンキューママ(thank you mama)
その日は9:30頃に目が覚め、
既に自宅には誰もおらず
日課の「ネタ」探しに精を出そうとビデオラックを漁っていると
遂に辿り着きました。
年月が経ち初めてそのビデオテープを再生しました。
それ以来何度この回を繰り返し見た事か。
継承した湘爆ビデオは他にも数話あったのですが
ダントツでこのGT380(ジーティーサンパチ)の回が最高です。
これを機に江口洋介の由来や
アキラa.k.a織田裕二の存在や
若かりし頃のリキタケウチの顔面偏差値の高さを知る事になるのです。
この一年後の夏休みには17歳で普通自動二輪の免許をゲットします。
気合いの入った同級生とも当時気合い系バイク雑誌Mr.bikeBGを貸し借りし合ったり(チャンプロードはちょっと違う)
2個上のパイセンのゼファーにタンデムしたり
結局初めてのバイクは
近所のオバチャンに譲っていただいたYAMAHAの50ccのスクーターJOG(前カゴ付き)になり、その後父親のボロボロのSUZUKIハスラー50、そしてコネを使って高3の頃購入したHONDAのアメリカンで無事400ccデビュー。
そんな青春を過ごしたのでした。
年齢も40手前になり改めてこのアニメを見たのですが、やはり素晴らしい回です。
急にこの回を見るとそれぞれのキャラクターが解りにくいかも知れませんが、それでも最高の出来です。
残念ながら8/15までの限定公開のようです。
この回からスタートして同じように江口洋介さんや織田裕二さん、竹内力さんにまで辿り着くと素敵な思い出になると思います。
そんなゆーじ兄ちゃんは20代で長距離トラックドライバーになり、その後某焼き鳥チェーン店でフランチャイズ店の店長、40代になり始めの頃に病が原因で亡くなりました。
あぁ、ゆーじ兄ちゃん。
こんな「おセンチ」な気持ちになれたのも、あなたがVHSと長渕を流してくれたおかげです。
素敵な文化を教えてくれてありがとうゆーじ兄ちゃん。