『Q&Aで読む日本外交入門』刊行記念鼎談 日本外交の課題を考える #1
揺れ動く国際環境と日本
――本日は、二月(二〇二四年)に刊行されます『Q&Aで読む日本外交入門』(以降『外交入門』)の刊行記念鼎談にお集まりいただき、ありがとうございます。編者の片山先生・山口先生、ゲストとして豊田先生にお越しいただきました。二〇二〇年代に入りロシアのウクライナ侵攻やガザ戦争など大規模武力衝突が現実化しております。日本においても東アジアの緊張化が叫ばれ、対岸の火事ではないと思いますが、まず現在の安全保障環境や課題からうかがえればと思います。
山口 大きく分けて、①国際環境のレベルと②国内環境のレベルの、二つの論点があると思っています。
①国際環境のレベルでは、台湾や北朝鮮問題をはじめとして、東アジアの国際関係が緊張しています。それと同時に、日本外交の基軸であるアメリカとの関係にも問題が生じています。現在行われているアメリカ大統領選挙の予備選では、トランプ前大統領の勢いが健在です。その支持者の一部には、東アジアを含む国際的な安全保障へのコミット(関与)を低下させることを主張する人もいます。そうなると果たして日本の安全保障政策はどうなるのか。
②日本の国内環境については、国力の低下があります。GDPが世界第四位へ転落し、財政難や人口減少も抱えるなかで、国際情勢にどれほど日本がコミットできるのか。そして、世論がそれをどの程度支持するのかが問われています。
豊田 国際社会における「法の支配」も揺らいでいます。ウクライナ侵攻がよい例ですが、各国が相反する利害を反映した形で国際法を捉え、お互いが「正しさ」を主張し合う状況です。これは自由主義に基づく法体系を支えてきたアメリカの握力が弱体化したことも要因と思います。アメリカが非常に内向きになっています。
グローバル・サウスの台頭など、昨年は西側先進国の一極から多極化への移行を示す現象が顕著でした。そして今年は、アメリカ大統領選があります。アメリカは国内情勢が外交に影を落としやすい。
――アメリカ世論はどのような状況でしょうか。
豊田 アイオワの予備選をみますと、トランプ氏は通例の候補者討論会に不参加でしたが、トランプ的な価値観・世界観への支持の根強さを感じます。トランプ氏の予備選連勝も民意の表れですが、従来のアメリカの民主主義や国際社会への関与の語り方が変質しているように思えます。『外交入門』でも、民主主義・価値観の変質やアメリカとの向き合い方にふれておられますが、いかがでしょうか。
片山 トランプ候補はウクライナ支援の中止を訴えています。仮にそれが現実化しロシアが戦争に勝利する最悪のケースを考えますと、現在のアメリカ優位の国際秩序は大きく崩れます。それは同時に日本の安全保障にも影響を与え、これまでのようなアメリカのコミットは期待できなくなるでしょう。アメリカは二年に一回大きな選挙があり、世論が外交に与える影響は大きいです。いずれの政権になるにしても、今まで通りのアメリカの役割は期待できないと思います。
また、日本では、国内世論がそうしたアメリカの要求にどう向きあっていくかが重要になっていくでしょう。
山口 民主主義の語り方の変質は、外交を考えるうえで大きなポイントです。
私は、今は世界的に民主主義が後退している時期であると認識しています。専制主義国家が増加しているのみならず、アメリカでも民主主義が揺らいでいると言われます。昨今「分断」という言葉がよく使用されますが、アメリカの歴史は南北戦争やベトナム戦争時を例にしても、まさに「分断」の連続であった。ただし、現在と過去との差異があるとすると、民主主義の根幹たる選挙の正当性自体が脅かされていることです。必ずしも多数派ではありませんが、二〇二〇年の大統領選の結果を否定する動きが出てきたのは大きい。民主主義の総本山のようなアメリカの現状は、他国にも影響を与える可能性があります。
豊田 技術の発展も大きなインパクトを与えていると思います。SNSなどで情報を選択的に見聞きするようになった結果、エコーチェンバー(自分と似た興味関心・意見を持つユーザー間で応答し増幅する状況)をつくりだし、自身に好都合な情報だけを信じるようになっています。特に景気が沈んでいるような時は、情報操作にも脆弱になりがちです。安全保障の文脈では、近年認知戦への備えも重要になっています。
戦争の終わらせ方
豊田 今のウクライナの状況もそうですが、戦争をどう終わらせるかについてお話しできればと思います。『外交入門』にも項目立てされていますが、戦時日本の終戦工作などから何か学ぶべきものはありますでしょうか。結局はすべて失敗してしまったわけですが……。
片山 一九三〇~四〇年代のもので一番現実味があったのが、日中戦争時のトラウトマン和平工作です。この和平工作は、しっかり蔣介石まで意向が届き、最初は彼も乗る気でした。しかし、南京占領後に日本が条件を釣り上げたことで破談になりました。戦況が有利だったとしても調子にのらず、千々和泰明先生(『戦争はいかに終結したか』)のいう「妥協的和平」をどこかで模索する必要があったと思います。
逆に戦局が不利になると、ソ連を介した和平といったような非現実的な策に陥っていく。ポツダム宣言の際も戦争を継続し何とか条件をよくしようとするなど、とにかく楽観的な見方に捕らわれています。一度戦争が始まってしまうと冷静な判断を下すのは難しく、日清・日露・第一次世界大戦の成功体験も影響したのでしょう。日本の経験を現代の戦争の終わらせ方に活かすのは、なかなか難しいです。
豊田 改めてですが、「始めないこと」が一番大切というわけですね。
片山 もちろん、そうです。現代では、サイバー戦や認知戦のような形で、通常の泥臭い戦争は起きないという予測もありました。ところが、二〇二〇年代に入り、それが誤りであったことが露呈してしまった。
山口 先ほどの千々和先生のご著書では、戦局が不利になった側が、優勢勢力間の離間を図ることもあると指摘されています。けれども、基本的には成功しない。
過去の事例から終戦への教訓を導くことは難儀ですが、しいて言うなら戦争が有利なときに落とし所を考えるということになると思います。
豊田 戦争のコストの問題も大事です。様々な事例でも示されていますが、勝っても負けても甚大な被害・損害が出る。そこに真の勝者はいないということを発信し続けていくのは、普遍的に重要なことと思います。
自己認識と世界のなかの位置
――世界情勢や安全保障の課題などに話が及びました。では、どういった外交が必要なのか、日本には何ができるのか、日本の立ち位置をどう認識するのかが重要な論点になると思います。
豊田 まずは日本の立ち位置についてですが、近代以来の大国意識が強く残っている印象があります。米国は敗戦後も日本が抱えてきたそうした自意識に言及し「アジアの孤児」と呼んでいました。
しかし一方で昨今では、すでに「ミドルパワー」(中堅国家)であるという論調も多く出現しています。そうした立場を強調することが、存在感を増してきたグローバル・サウスとの全方位外交を優位に進める道具立ての一つとなっています。
山口 日本の自己認識と海外からの認識の分裂もあるのではないでしょうか。たしかに国内では、日本が「ミドルパワー」であるという前提が、若者を中心に一定程度広まっているように思います。ただし、日本のGDPは第四位だとしても、一九三ヵ国中の順位です。経済的には大国だとみなされ、相応の役割を担うことを国際社会は期待しています。国内世論が「ミドルパワー」であるから国際社会への責任を放棄してよいという方向に流れてしまうと、各国と軋轢を生んでしまいかねません。
片山 現在の外交のトップに立っている方の年代からすると、GDPは二位であったという記憶が根強いですね。八〇年代後半にはトップに立てるかという状況もあり、現状の自信喪失感は国内の世代間ギャップも大きいと思います。そうした上の世代は変に大国意識をひきずって、韓国を邪険に扱ったり、国際社会への働きかけに欠けて外交戦に出遅れたり、と悪い影響を与えている気がします。
豊田 「ミドルパワー」に関する認識の分裂は、決して外交上悪いことだけではないと思います。国際社会で果たすべき役割とは別次元で、「ミドルパワー」の外交とは、よりパワーに対して先鋭的であることが求められます。国際政治の世界は言うまでもなくパワーの論理ですから、そうした力学を敏感に読み取る意識を確立する。そのうえで、経済大国としての責務を果たすことが日本にプラスに働くのであれば、戦略的にやるべきだというふうに思います。
(#2へつづく)
【鼎談者のご紹介】
片山慶隆(かたやま よしたか)
1975年年、神奈川県生まれ。2005年、一橋大学大学院法学研究科博士後期課程修了、博士(法学)。
現在、関西外国語大学英語国際学部教授
主要著書=『日露戦争と新聞』『小村寿太郎』
豊田祐基子(とよだ ゆきこ)
1972年、東京都生まれ。2014年、早稲田大学大学院公共経営研究科博士課程修了、博士(公共経営)。
現在、ロイター通信日本支局長
主要著書=『「共犯」の同盟史』、『日米安保と事前協議制度』
山口 航(やまぐち わたる)
1985年、兵庫県生まれ。2014年、同志社大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学、博士(政治学)。
現在、帝京大学法学部専任講師
主要著書=『冷戦終焉期の日米関係』