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『Q&Aで読む日本外交入門』刊行記念鼎談 日本外交の課題を考える #3

 2024年2月に刊行した『Q&Aで読む日本外交入門』。それを記念して『本郷』171号に収録された鼎談を、4回に分けて特別公開いたします。

 編者である片山慶隆・山口航両先生に加え、『日米安保と事前協議制』などの著書があるロイター通信日本支局長の豊田祐基子先生をお迎えし、日本外交の課題について語っていただきました。

 ロシアによるウクライナ侵攻や台湾問題をはじめとした東アジアの安全保障環境など、緊迫化する国際環境のなかで日本の外交はどうあるべきか。過去・現在・未来を考えます。

台湾有事問題とパブリシティ

 豊田 二〇二一年、安倍晋三元首相が、「台湾有事は日本有事」と発言しました。国内世論に対し、緊張度を増す台湾海峡情勢と日本の関わりを認識させた点で意味がありました。しかし、このことは今に始まったわけではなく、沖縄返還合意の際にすでに台湾へのコミットメントを日米共同声明上に明記しているわけです。本来であればどこかの段階で政府の本来の意図を説明する機会が必要だったわけですが、国民は蚊帳の外でした。また、世論上では台湾有事の際に日本も中国を攻撃しなければならないという論調がまれに見受けられます。備えをする必要はありますが、戦争のコストを度外視したナンセンスな考えで、外交に関する教育を国が怠ってきたことの現れだと考えています。

 山口 台湾有事の際、日本に何ができるのかは、真剣に考えなければならない課題です。台湾の世論では、自衛隊派遣などの日本の助力を期待する声が一定程度存在します。しかし、それは日本では基本的に難しいと判断されるでしょうし、現実問題として自衛隊と台湾軍との公式の関係もありません。にもかかわらず、日台の人々は各々の希望的なイメージで捉えてしまうことがあります。人々の期待のコントロールができていない現状は、危険だと思います。
 そうした意味でも、ナラティブの設定が弱いというのは同感です。また、ここでも国内世論と国際世論のズレがある気がしています。近年、国際的にうまくいった例として、FOIPという指針を日本が設定できたことがあげられます。多くの国々を巻き込み、トランプ政権(共和党)・バイデン政権(民主党)をまたいでアメリカでも受容されました。しかし、日本国民がFOIPのことをどの程度知っていて、かつ国内の支持調達に成功しているかというと、心許ないところです。

 片山 ナラティブの設定が弱いという件、外務省などの官僚が極端に失言を恐れるあまり、発信を避けているということもありそうです。
 外交交渉には秘密が付き物なので細部まで説明せよとは考えませんが、その大枠などをメディアに通して説明するのは重要な仕事ではないでしょうか。

 豊田 台湾問題にからめて、二〇二二年一二月の安保三文書の改定で海外からの岸田文雄政権への関心が集まり、特にアメリカを中心に評価が高まりました。そうしたことは現在の国内の政権評とは対照的で、まさに国の内外でのギャップを体現する政権となっています。なお、台湾との連携という意味では、有事の際の在留邦人の避難行動一つとっても議論が進展していないのが現実です。
 繰り返しになりますが、正しい外交情報・状況が世論に浸透していないのは問題で、それが原因で有事の際の舵取りを誤らせないか心配です。そもそも国民に支えられない外交が危機を乗り越えられるのか甚だ懐疑的です。民意を取り入れずとも、結果的に事が上手く運ぶことはあるかもしれません。しかし、それはもう誰のための外交であるのか、わからなくなってしまう。

 山口 理解のあり方が、プロの専門的な議論と素人の印象論とで、両極に振れているのも気にかかります。特に軍事や安全保障に関わることは、第二次大戦の記憶による一般的な忌避感が手伝っているのか、中程度の認識が広がらず国民に知識が蓄積されていないようにも感じられます。そうすると戦争か否かなど、単純な二極論に陥りやすい空気がうまれてしまうのではないでしょうか。
 また、現実問題として、仮に北朝鮮のミサイルが着弾した場合の具体的な対応など、自治体では準備ができていないという話も聞いたことがあります。先の台湾有事も含め、そうしたことは今すぐに準備しておかなければならない課題であるはずです。

 豊田 ウクライナでの戦局をまるでゲーム感覚で細かく語る日本独特の報道を見ていると、我々にはもっと話し合わなければならない別の問題があるのでは、と思ってしまいます。より身近な台湾や北朝鮮の問題に現実的に向き合うということです。やはり日本人は軍事・安全保障に関することに、どこかナイーブな一面があるように感じます。

 片山 湾岸戦争の際の報道も、ゲーム的な性格を帯びていたことがよく言われます。現在も、やはりどこか他人事のように扱っている印象です。
 それは、軍事的な事態へのリアリティーの持ち方如何にも影響されると思います。かつて戦時中の日本においても、当初は銀ブラを楽しむ反戦論者がいるなど、どこか緊張感がない様子も垣間見られます。ただし、徐々に戦局が悪化し身近な人間が戦死したりするなどした段になって、現実問題として戦争のことを捉えだしてくる。

 豊田 戦後世代の日本が軍事的な危機を体験していないというのは、今の安全保障に関する認識全般に影響を及ぼしている気がしています。米軍基地や基地が集中する沖縄の現状に対して、一つの絵を共有できていない。かつ、そうした認識の断絶を平坦にする努力を政府はしてこなかった。有事とは何か、戦争のコストはいかなるものなのか、国内では断絶を抱えたまま、危機と隣り合わせの国際環境に囲まれているのが、日本の今の状況です。
 ただ現在に至っては、核を巡る議論など従来タブーとされていた事柄に関する意識が変化しているのも事実です。軍事問題に関するアレルギーが徐々に緩和されている現状であるからこそ、何を守るための抑止力なのか、そのあり方も議論できる環境が整いつつあるといえます。

(#4へつづく)


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