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日々のこと(5)自分の感性を信じるか

自分の事を好きなのか?嫌いなのか?そうでもない、どっちつかずくらいの好きの具合かな。
たぶん、1年前よりは自分の事を好きだと言える。そしてもっと好きになりたいな♪と思っている。

それはきっと、自分という人間が何を感じて何を選びたいかに興味を持ち、感じたことを手に取り、その気持ちを扱うを始めたからだ。
自分に矢印を向けることを避けてきたからこそ、今私は自分の感性や感覚があることにちゃんと気づくことができた。
遅いかもしれないけど、それでもいいんだ。ここまで来ることができた。

今日、眠っていた私の感性がニョキッと現れた。
好きだった石鹸があった。大好きな石鹸だった。その石鹸が廃盤になってしまうと知ったときに、とても残念だったので残りの半分を使わづに取っておいた。
その残り半分残していた石鹸。大切過ぎて何年も使うことができなかった。
先日、大切に残しておきたい気持ちにも限度があるし、やっぱり使ってあげないと品質が落ちてしまうだけだ。品質はすでに落ちているだろう。よし!使おう。その夜に使った。天然のオイルがたくさん入っているその石鹸は大切にしすぎたあまり、オイルが酸化してしまい、良い香りを漂わす石鹸ではなくなってしまっていた。
酸化してしまったけど、石鹸は最後までつかった。
酸化した香りをまとう石鹸でも、その奥の奥には、当時感動した香りが小さな存在感として残っていた。

その数日後の今。
ふと、あんなにも大切に愛でたものは今までで初めてだったなと思いだしたんだ。

一度、私の心の中にこんな言葉がポワンっと浮かび上がったことがある。
「モノに恋をするわたし」
この言葉は、本当だった。
これほどに大切で失いたくないと感じるモノに出会うことは、なかなか無い。
私は「モノに恋をする人」なんだって。自覚した。

そして、これが私の感性の1つなんだと自覚してみることにした。
大切に大切に取っておきたかった石鹸。それは私がその石鹸に心を奪われていたからこその行為、行動だった。
使ったらなくなってしまう。
あの香りに出会えなくなってしまう。
この本能だけの、この気持ちこそが、見失ってはいけない。
私の大切な感性の1つであること。

今わたしは、自分の仕事にモチベーションが見出せず、方向性も分からずにやっている。その1番感じているネックな部分が、自分のパッションが無いことである。その仕事に対して感じていないからだ。

これほど苦しいものはない。
今、私はパッションを感じたいと思っているのに、パッションを感じない事を日々やっているのだから苦しい。当たり前だ。

この点に重要性を置くかどうかは、人によって違うもの。だから他の人がどう感じようが私は興味はない。

だけど、自分のパッションを感じずに日々暮らしていることを、私は流すことができない。

今日は良い気付きを得られた。
私のどこかにも、探せばどんな小さなパッションも見つけることができる。
そこに気がつけば、パッションのストックがたまって具現化したいことや、こうなれば私はパッション昇華してるにも結び付けることが可能であると知った。

自分の感性を信じることをあきらめてはならない。


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