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納豆から広がる世界

こんにちは。
今日は本当に欲しいものはすぐに見つからない。
それを納豆に感じた話です。

いつも書き始めってどんな心境になるのか。
不思議に分からないです。この文章の意味も分からない。

これを書こうとパソコンを開くきっかけも不思議です。

発端は、私が自分のお金の循環を変えたい・変化させたいと
思ったときに人に言われたことがありました。

「私はこれでいい」ではなくて
「私はこれがいい」と思っていつでも選ぶことだと。
すると変化していくよと教えてもらいました。
なるほど、そうなんですね。と返したものの
腑におちていないのですから
その本当の意味を理解するには時間がかかりました。

「で」と「が」の違いです。

これは自分実験のスタート。
簡単にしかもすぐにできるとすれば日々の暮らしです。

スーパーに行ったとき、商品を手に取るスピードは
きっと誰しも数秒・数十秒でしょうか?
そのタイミングで
「私はこれがいい」を発動させてみる。
実際にやってみるとジワジワと気づいてきたので
今書いています。

でも大きいんですよ!これが!
(腑に落ちた今だから、結構、声を大きくして言いたい♪)

やってみると気づきます。
「私はこれがいい」で選ぶものは
いつも選ぶものとは全く違うものです。

これは、数秒の間にも
値段や今日の買い物の収支のバランスなんかもあるのでしょう。
そういう、モノを手に取るに至るいくつかの優先順位の段階において
「私はこれがいい」という自分の欲求を
後回しになっていたことに、まず気づきました。
この順位は人それぞれなんだと思います。

当時の私の食料品の買い物をする際の一番の優先順位は「値段」です。
全てにおいて値段ではないですが、
納豆は「値段」で選んでいました。
例えばスーパーのプライベートブランドの納豆だと
一番安かったりします。
その納豆を私は迷うことなくサッと選びかごに入れていました。

でも、納豆一つ買うにしても
「私はこれがいい」を発動させてみると、
そのプライベートブランドの納豆には一切見ることもなく
候補に挙がることもなく私には選ばれないのです。
「私はこれがいい」のラインにその納豆は乗ることすらないのだと
自ら気づくのです。

この選ぶ基準を取り入れたことで
選んだ納豆は日々違うものになりました。
今日はこの納豆にしてみよう!
食べてみると、思ったよりもおいしくない。
ひきわりはあまり好みでない。と知ることもあります。
良い悪いが交互にありました。
なかなか自分の好みの納豆って出会えないものだとも感じました。
自分の求めるものって
欲を研ぎ澄ましていくことでたどり着けることだとしたら
私はまだまだ、納豆に対しては
こんな納豆が食べたいを模索中であります。というのが現状報告です。

今分かっていることでいうと、
・たれはうす味がいい
・たれの量は多すぎなくていい
・もしかしてたれは要らない派かも
・からしはついてなくていい
・ひきわりは好きでない
・大粒よりも小粒派

自分の欲求を尊重することは、
「値段」に埋もれてしまっていた
私が感じる本当においしい納豆ってこれ!に近づくために
解像度を上げてる行為ですよね。

発見&気づきとなりました。

今のまま続けていくと、
これが私の好きな納豆に出会えた!というときにはすぐに
ピコッと自分のアンテナが立つ気がしています。

これ地味に大きな気づきのような気がしています。

ここまで読んでくださりありがとうございました♪

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