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日々のこと(2)苦手を知るを許した
最近、私の苦手な事をちゃんと知るとか見るとかをやっている。
それは、もっと私、ポップに生きたいんです。それに尽きる。
自分がヌメッっとしてる、その感じいつまで、その感じ?もう辞めたら?
確かに、確かに!もういいか~笑。
いっつも、脳内空っぽがデフォルトのほうが、私っぽい気がする!
苦手な事
・予定の為に服を探す事
―予定に相当なワクワクが無いとかなり、しんどい事に向かっていく作業
になっていること。
・妥協する、これでいいかと割り切ること
―あきらめが悪い。全体像を把握することが苦手だから一つの事、ポイン
トにこだわるときがある。
・誰かに指示を出して動いてもらう事
―自分がどれだけのタスクをやればいいのかの全体の把握をすることが苦
手だから、人に指示なんて出してられない。
・人混みに居ること、行く事
―目が疲れることが嫌いです。私自身もカフェに行くけど、ピークタイム
のカフェにいる人口密度の高さを見た時に、緩く過ごしたいの時に何だ
これは、嫌!になるのです。(時間ずらしますねぇ)
・人に気を使わないこと
―自動的に発動してしまうので、そのバランスを取ると意識している。毎
日そんなことやってらんねぇ。と行きたくない場所には行かない。会わ
ない。
・周りの空気を読まないこと(常に読んでる感じてる)
―これも自動的に発動してしまうので、関係ありません。モードに切り替
えスイッチをONにする。
・気分を顔に出さないこと(出ちゃいます)
―結構顔に出る。良いことだし、悪いことだし。どっちでもいい。そうだ
からしょうがない。これくらいは全然いい。
苦手なことを否定してみるのではなくて、そんな私がいる。それだけだったと最近ちゃんと気づけたのだと思う。
苦手なことはネガティブでもポジティブでもなく。ただ苦手なんだ。ということだけを思えばいい。だけど実は苦手なことを一番受け入れられていなかった存在は私自身だったのだ。
そんな私は嫌だ、他と比較したり、もっとこうだったらと求めている。誰と比べてるの?と聞かれると、その誰かは分からない。答えられない。
自分でも分からないのに我、否定モードに自然に入っている事に気づいた。
これが苦手だから、誰かに生きていけないと言われましたか?
そんな人とは出会ったことはない。自分が自分に作ってしまったジャッジの基準みたいなもので首を絞めていたのかと思うと、なんとまあ、狭い世界でジタバタもがいていた私がいる。これはきっと誰かの評価を気にしている私です。
それこそが個性をつくる一部になっていることに、だんだんと体に体内にしみこんでくると生きることが、生活することに、小さく許しができる気がしてきた。
こんな私はいやだ。は
こういう私もいい。でいいじゃない。
これが苦手だと。いちいち悩まなくていい。
これってきっと、あなたはあなたらしくと言われてもピンとこなくて、自分の目の前に自分をしっかりおいて自分の声で言ってあげることで体に染み込んでくるのかな。