和製ジャズ温故知新.再編Vol.8/ジャズとGHQ
戦後から2年後の1947年GHQ終戦連絡中央事務局の要請で、『日本ミュージシャンズ・ユニオン』が結成される。 同じく1947年、ジャズ雑誌として長年発売された『スイングジャーナル』が創刊される。(現在廃刊)
『日本ミュージシャンズ・ユニオン』、これは言ってみればバンドの格付け審査で、審査はGHQスペシャル・サービスの立会いで、特別調達庁から委嘱された紙恭輔、渡辺弘、ディック・ミネ、南里文雄らが行なう。
現在の渡辺プロダクション(ナベプロ)を始めとする戦後の芸能プロダクションの専属タレントの報酬制度は、この格付け審査を踏襲したものである。
また、この時期非公式に日米親善を目的として、多くのダンスパーティーが開かれる。このパーティーには、アメリカ側から占領政策の中枢を占める高官が、日本側からは皇族、政財界の実力者が顔を揃える。
この政策のメッセンジャーをつとめたのが、渡辺弘とスターダスターズをはじめとするジャズメンたちである。
■演奏:渡辺弘&スターダスターズ ■編曲:黛敏郎
この編曲をしているのは、のちに日本の現代音楽のパイオニアとなる
黛敏郎。
戦後占領軍の力で発展しようとしたジャズバンドは、その代償として占領政策の忠実なメッセンジャーを務めることになるのである。
このことが、後にアメリカナイズの風潮として日本の上流階級を腐蝕し、庶民階級にも外国崇拝舶来ブームの風潮を拡げていく。その影響は日本社会に長く尾をひき、戦後の音楽芸能の世界にその後も深く広く根を張ることになる。
次回Vol.9に続く。