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和製ジャズ温故知新.再編Vol.16/銀巴里セッション
終戦の色が少しずつ薄くなる1963年、「銀巴里セッション」が開かれる。
主催は「新世紀音楽研究所」。何とも固い名前である。
1954年日本のジャズのスタートをきったのが「モカンボセッション」とすれば、この「銀巴里セッション」は日本のジャズそのものを創作し始めた記念碑的セッションと言える。
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ギタリスト高柳昌行、ベースの金井英人を中心に、日野皓正、菊池雅章、
富樫雅彦、稲葉国光、山下洋輔、中牟礼貞則ら日本の将来をになう若手が
集結、セッションをする。
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このセッションは「銀巴里セッション1963」として録音に残る。
それぞれのメンバーが個性を発揮し、自己のグループを後年結成することになるが、この時最も存在を示したのが、高柳昌行である。そんな彼も1991年58歳で病死する。
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この時期、現代音楽の場も草月アートセンターを中心に武満徹、八木正生、三保敬太郎、黛敏郎を中心にクラシックの新しい動きを模索するためジャズとの接点を探るべく「草月ミュージックイン」として活動をおこなう。
特に作曲家として世界に名高い武満徹は、セロニアス・モンクのサウンドを研究し、後の自分のサウンド「タケミツトーン」を作り上げる。
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こうしてジャズ、現代音楽、美術、評論のジャンルを巻き込みながら日本独自の音楽を作り上げようとする流れが生まれるのである。
次回Vol.17に続く。