【特集】 僕は君たちに夢を配りたい ~イノベーションの方程式~
これまで3回に渡ってお届けしてきた特集、瀧本哲史さんの生き様を肴にしながら、僕たち私たちの人生と未来について考えたシリーズも、いよいよこの4回目で最終回を迎えようとしている。
最初は「金」カネのことを考えてみた。そうすると、カネだけではダメだと判明した。そこでカネの中身である「価値」について考えた。そして前回は価値を創出できるであろう「知恵」についても考えてみた。
そして今回がクライマックスである。前回お話した、天才について。そして
天才のその先へ!
賢明なる読者諸君をいざなおうと思う。
瀧本哲史さんは天才であったが、それだけではちっとも面白くない。いやいや、彼のことをディスっているのではなく、ここから先は、彼を尊敬するがゆえに、「彼なら考え付きそうな、その先の話」をしてゆきたいと思っている。
天才とは何か、についてわたくしヨシイエさんは、前回ある程度の答えを出した。それは「量とスピード」であり、それを持っているものは、強みであるということも十分理解できる。僕たち私たちは、凡人で知らないことが多く、処理能力も遅いからである。
しかし、前回あえて書かなかったが、はっきりここで言っておこう。
天才など、役に立たない。天才であるだけではダメだ。
なぜだかわかるだろうか。実は瀧本哲史さんは、そのことにすでに気付いている。なぜなら、いくら天才だろうと、秀才だろうと、そうした人材がつぎつぎに登場してくれば
知性ですらコモディティ化する
からである。天才など、掃いて捨てるほど、どこにでもいるのだ。
ここでひとつの漫画を読んでほしい。前後編に分かれているので、どちらもどうぞ。
この漫画、佐藤真通さんという方がお描きになった中国の科挙を題材としたものだが、中国における任官試験、科挙の知性的熾烈さがとてもわかりやすく描かれていると思う。私はこの話がとても好きなのだ。
科挙においては、知識量もその速度も、「知の全て」が要求され、中国全土からその試験を受けるために、英知溢れる若者が都にやってきて戦った。
しかしだ。
それほどまでに優秀、知性のある、天才秀才を集めたとしても、今の私たちから見て、当時の中国のことを
「あの国はすごかった。あの国は満ち足りていた。あの国は幸せだった」
とはちっとも思わないのはなぜだろう。あれだけの英知を集めておきながら、その国が、あるいはその国の民が幸せであったとはついぞも聞かないのは何故か、それをぜひ考えてほしい。
そうだ。天才をいくら集めても、何の役にも立たないかもしれないのである!
結論から先に言えば、すでにわかりきっていることを知識として記憶しても、何の役にも立たないのだ。
このセカイを切り開いてゆくには、その知識・博学をもとにして
「何かを生み出す、イノベーションを起こす」
ことが必要なのである。
だからたとえば、産業革命時のイギリスにおいてそうであったように、「たったひとつの蒸気機関を発明すること」のほうが、重要だったりする。そのために、労働の中身がすっかり変化するような、そういう
イノベーションを起こす
ことこそが、未来を変える力なのである。
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ではここで、不肖ヨシイエさんが、誰も知らない知られちゃいけない「イノベーションを起こす方法」についてこっそりお話しようと思う。
イノベーションの正体は、実はシンプルだが、それは普通に考えるよりも、ずいぶんとトリッキーな、へんてこなものである。
天才は「量とスピードである」とすでに話した。ただ、それだけでは不十分で、そこにある行為が加わると、イノベーションが湧いてくる、突然発生するという特徴がある。
それは一体何かというと、
「まったく異なる何かと何かを繋げること」
に他ならない。これがイノベーションの公式である。
そして、その何か同士は、できれば離れている、一見すると無関係なもののほうが、イノベーティブであるとも言える。ぜんぜん関係ないことが、スパーンと合体するのが、イノベーションなのである。
セカイを変えた天才たちには、多くの場合この「何かがくっつく」という瞬間が起きている。
ドイツの科学者、ケクレは、蛇どうしが互いのしっぽに噛み付きながらくるくる回っている夢をみて、「ベンゼンの六角環構造」を思いついた。
カップヌードルの麺を逆さに充填すると、うまくお湯で戻せることを思いついたのは安藤百福だが、そもそもは天井が回っているような錯覚を見たという。また、カップヌードルの蓋の接着法は、アメリカで見たマカデミアナッツの蓋をヒントにしたとも言う。
もっとベタな話なら、りんごが落ちて引力を発見したニュートンでもいいだろう。
数え上げればキリがないが、天才たちの「イノベーションの瞬間」には、こうした「ぜんぜん違う事象同士の中から、課題解決の糸口を結びつけて考える」ということが起きている。
これは単なる「思いつきの偶然」ではなく、実は天才たちの脳にある「量、たくさんのデータ、情報」の中を探索し、直感的に両方から引っ張ってきてくっつける作用にあるのだと思われる。
いわゆるビッグデータの中から、法則性を見出そうとする現代のAIの作業にも似たことが、行われているとも言えよう。
https://forbesjapan.com/articles/detail/35353?internal=top_firstview_02
なんと、この話はジョブズやグーグルの社長の師匠も言っていることなのだ。
”「知性」。これは勉強ができるということではない。さまざまな分野の話をすばやく取り入れ、それらをつなげる能力を持っていることだ。ビルはこれを「遠い類推」(かけ離れたものごとをつなげる発想)と呼んだ。”
どうだ、ヨシイエさんが言ってるのとまったく同じだろう?
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なので、量とスピードを持つ「天才たち」のほうが、イノベーションを起こすには、もちろん優位である。しかし、「何かと何かをくっつけること」を無意識下で集中して考え込んでいれば、天才でなくてもそれがくっつく瞬間は訪れる。
そういう非天才型のイノベーションだって、世界ではたくさん起きているから、ぜんぜん落ち込むことはない。そこらへんの主婦が特許を取ってしまうなんてことは、ざらにあるのだが、彼女たちは身近な生活体験を通して、何かをくっつけてしまったのである。
さあ、それではひとつ、ここで無関係なお話をくっつける体験をしてみよう。
https://togetter.com/li/1552410
先日ちょびっとだけネットで話題になったこの話。めっちゃ下世話な話で、ぜんぜんイノベーディブでないところから始めることにしよう。
話は簡単だ。彼氏がいる女性のほうが、落としやすい。というギャグのようなネタである。
その理由は上記でもいろいろ述べられているが、商売に例えると
「後発商品のほうが、先発商品よりも良い性能を発揮できる、あるいは価格を安くできる」
という話とくっつく。今の彼氏より、オレのほうがいい男だぜ、と男ぶりを見せ付けることは、難しくないという話である。
彼氏彼女の話と、商品開発の話がくっつくことを示してみたが、実はヨシイエが言いたいのはこんなしょぼい話ではない。
先ほども言ったように、
「イノベーションと言うのは、そのネタ同士が離れていれば離れているほど、でかい結果を残すことができる」
のだ。
今からそれを証明しよう。
わたしはこれから、ものすごいことを言うが、それはみなさんにとって大きな希望以外の何ものでもない。
それは
「あなたは、必ず瀧本哲史を超えられる!」
ということだ。
いったい突然ヨシイエは何を言い出すのだ!と驚かれるかもしれない。あの天才瀧本さんの話をさんざんしておいて、この最終回で、単なる市井の一市民である僕たち私たちが、天才・瀧本さんを
超えることができる
と断言するのはどうしてか。
いや、それでもあなたは確実に瀧本哲史を超えることができる。もちろん、ただ何もせずにのんべんたらりと生きているだけではダメだが、
「なるほど、そりゃあ、確かに超えられるな」
と、あなたが気付きさえすれば、必ず超えることができるのである。
さあ、この種あかしがわかっただろうか。今、この瞬間生まれたイノベーションがいったい何なのか、それに気付くことができただろうか。
元ネタは、片方は「彼氏と彼女の話」である。そして、もうひとつは「瀧本哲史の人生」だ。
そろそろ答えあわせをしよう。
瀧本さんはすでに亡くなっている。彼のやってきたこと、彼の考えてきたことはすでに、悲しいけれど打ち止めで、もう更新されることはない。
ヨシイエは今、半泣きになりながらこれを書いているが、瀧本さんがもうこの世にいないということは絶望であり、そして希望なのだ。
僕たちには、後出しじゃんけんの未来がまだ続いている。瀧本さんは、もう何も生み出せない。だから勝てるのだ。超えられるのだ。
瀧本さんの著作や、ワーク、人生のすべてはもう決定している。決まっていて、それ以上変わらない。一切、増えることがない。
だが、僕たち私たちには、未来がある。彼がやれなかったことを、ほんの一つでも、成し遂げる時間とチャンスが与えられている。
だからここで、最後の希望を書こうじゃないか。
あなたはかならず、瀧本哲史を超えることができる。そこに、イノベーションは確かに存在する。
あとひとつでも、彼が気付かなかったことに気付き、彼ができなかったことをやるのだ。それがたったひとつでも、ちっともかまわない。前進だ。
それだけで人類は進歩し、彼が言ってきたことが役に立つのである。
きっと彼があちゃらの世界でこの文章を見ていたら、苦笑いしながら頷くに違いない。
そりゃあ、確かに、そういうことなら自分を超えるヤツが現れるだろうよ、と。
そして、彼はそれを待っている。その時を待っているのだ。
あなたが、瀧本哲史を超える瞬間を!
(完)