【シン・ウヨク論4】 あなたは確実に貴族の末裔である
いわゆる右翼でも、ネトウヨでもない新しいウヨクの形、として「シン・ウヨク」というスタイルを提唱している吉家ですが、その理論的なバックグラウンドを説明する第4回目。
なぜ私達は「ウヨク」化しなくてはいけないかについてのざっくりとした概論は、第2回で説明しました。
それは簡単に言えば、
「私達は、ほぼ全員が天皇家の血筋を受け継いでいる」
というものです。
これは、ほとんどの人が意識していないし、また江戸時代の徳川家の支配によって苗字を使用禁止にされたことで、これまた「ほとんどの人が忘れてしまう」ように仕向けられている結果なのですが、かなりの高確率で事実です。
そして、もっと恐ろしいことは
「庶民というものは、実は常に絶滅しているのではないか?」
ということです。
私達は、ふだん自分のことを貴族だとも、高い身分だとも思っておらず、「庶民」だと感じて生活していますが、厳密に言えばそうした「庶民」は、
はるかかなたの昔からずっと庶民
だったわけではなく、すべての庶民は、
「貴族のなれのはて(天皇子孫のなれの果て)」
である、と考えられる、というのです。
さて、プレジデントオンラインさんに、興味深い話が出ています。それは
「江戸時代の大半の庶民は、子孫を残さず死んでいる」
ということを示しています。
詳しいことは記事を読んでもらえばわかりますが、江戸や大坂といった都市に供給された若者は、常に「本家を相続できない、次男や三男」たちであり、またそうした次男や三男の多くは
子孫を残さず死んだ
ということがわかると思います。
つまり、都市は、あふれた本家以外の者たちの最終処分場ともなっていた、ということです。(かなり言い方はきついですが)
では、現在生き残っている私達はいったいどこから来たのか。それは、少なくとも江戸時代ごろ、あるいはそれ以前は、私達の先祖が「本家筋」の人間であったということを意味します。
それをずっと繰り返しで遡ってゆくと、最終的には「武将の末裔」「貴族の末裔」「天皇家の末裔」に繋がります。
逆に言えば、ある時点で没落していった(庶民となった)貴種の末裔は、子孫を残せず絶滅する、ということを繰り返しているということなのです。
そしてまた、その「庶民」となるべき没落者は、いつの世も次々に供給されている、ということなのかもしれません。
紹介した記事では、これを裏付ける衝撃的な内容が書かれています。
”少なからぬ「雇われ商人」が、結婚をしたり子供を作ったりする前に、「死んでいた」からである。悲しいことだが、江戸時代に限定すればこれは間違いない。”
そう、これは、苗字や先祖をこれまで1000家以上も実際に臨床で調査している私の見地とも合致します。江戸時代のみならず、戦国時代においては戦乱で多くの若者が、子孫を残さずに死んでいます。
本当に、常に庶民は「子孫を残さずに死んでいる」のです。
これは、別に江戸時代だけのことではなく、現代でもそうです。現代における下流庶民となった派遣社員や非正規雇用の若者は、その多くが
「結婚をせず、子孫を残さずに30代、40代を迎えて死ぬ」
ことが珍しくありません。そして次々に、都市にはそうした若者が供給され、死んでゆきます。
こうした事実から、現在生き残っている私達が成すべきことは、かなり明白であろうと思います。
◆ まず、自分が貴種の末裔であることを自覚し、没落しないように、自分の氏族、あるいは自分自身を盛り立てるように努力すること
◆ 結婚し、子供を生み、育て、貴種の系統を永続させること
◆ 没落すれば、それは脱落であり、絶滅であるということ
恐ろしいことですが、日本の国体というのは、国家の成立以来これの繰り返しに過ぎない、ということなのです。
そのためには「五穀豊穣・子孫繁栄・国家安寧」が不可欠であることは言うまでもありません。
神道というのは、ただ単純にこれを願って祈っているに過ぎず、また古代祭祀の継承者である天皇家は、おなじくこれを願って祈っているまさに象徴的な役職をずっと続けている、ということです。
そうなると、おのずと私達は、国家主義とか、帝国主義とかそういう恣意的な思想はまったく抜きにして、
「私達の一族が、脱落せず、栄えてゆけばよいなあ」
という思想だけを根幹としてきたことがわかります。
これこそが「シン・ウヨク」の考え方なのです。