多様性暴走バス #夜行バスに乗って【企画参加】
友達とカフェに入って、隣の席に自分の母親と同じような年頃の女性がひとりで座っていたら、ほぼ100%、話は聞かれていると思っていい。ひょっとして、運悪く小説家や脚本家志望の人物や、邪な人間が隣になることもあるかもしれない。話す内容には気をつけた方がいいだろう。
今、そう、たった今も、私は隣の席に案内されてきた娘のような年頃の若い女性同士の会話に耳を傾けてしまっている。
私はその時、某有名珈琲店で仕事をしていたのだけれど、彼女たちが席についてからは、もはやただ画面を見つめているだけで何もできなくなりつつあった。もう、耳が。耳が持っていかれてしまって引きはがせない。私の耳のチューナーは正確に二人の女性客の唇から発せられる音に同調している。
もちろん聴きたくて聞いているわけではない。本当だ。断じて盗み聞きではないのだ。若い彼女たちの声はくっきりと大きく、ちょっと甘えた話し方で、鈴を鳴らすように笑い合ってよく響き、否が応でも耳に飛び込んでくる。私だって今友達と一緒だったら、彼女たちと同じように周囲にお構いなしに話に花を咲かせていることだろう。が、生憎、今はひとりで、遮るものが何もない。不可抗力と言うものだ。
ふたりはどうやら大学生のようで、ひとりはショートカットで白黒ボーダーのカットアンドソーン、もうひとりはよく手入れされたウェイブの髪を肩下まで伸ばし、袖のふんわりしたブラウスを着ていた。ボーダーの子はネイルが真っ赤で、ふんわり袖の子は口紅が真っ赤だった。
仮に、赤爪ちゃんと紅子と呼ぼう。とっさにつけた名前だからあまり突っ込まないでいただきたい。
赤爪ちゃんは席に着くなり、一方的に話し始めた。終始、彼女がひっきりなしに話す話を、紅子が聞いている感じだ。
「あ、忘れちゃうとこだった、お土産お土産」
オーダーを済ますなり、赤爪ちゃんはバッグをごそごそと探り、透明な袋でラッピングされた小さな袋を紅子に渡した。えーありがとう、と紅子が受け取る。私はそれを、壁に飾られた絵を見る体で横目でちらちら、確認した。
「帳面町に帰る前に北海道行った時のお土産」
赤爪ちゃんのお土産は、紅子にヒットしたようだ。
「なにこれシマエナガ?」
「地元のお土産、全然いいの無くて。○○、こういうの集めてたでしょ?」
「えー、いい、いい。可愛い。ありがと」
———まずい。赤爪ちゃんが紅子の名前を呼んだ「○○」のところを聞き逃した。最近の子のニックネームなのだろうが年寄りの耳には聞き取れない。「りーみょん」とか「りーむ」とか言った気がするが、まあいい。
それより気になったのが、帳面町、という地名だ。驚いたことに、赤爪ちゃんの地元は帳面町らしい。私はその隣の青鳥町の出身だ。青鳥町は今は市町村合併して江楠市になっている。なんてこった世間は狭い。ますます耳をそばだててしまう。
「朝早くバスタに着いたんでしょ?疲れてない?」
紅子がお土産を仕舞いながら赤爪ちゃんに問いかける。今度は紅子が呼んだ赤爪ちゃんの愛称が聞き取れない。「なんとかぽよ」と言った気がするが、それもまあいい。
「うん、だいじょぶ。それよりさあ、聞いて。昨日の夜、9時発だったのね。そう、あそこの高速夜行バスのバス停から。前に一緒に行ったことあるでしょ?」
「知ってるー、なんかバス会社のポスターが面白くて、笑えるやつあった。社長が武田信玄のキャラ化されてて」
ふむふむ。紅子は赤爪ちゃんの地元に遊びに行ったことがあるらしい。ていうか私、そのバス停、知ってる。信玄似の社長のバス会社のことも、知ってる。二頭身の信玄似社長キャラを思い出し、モニターに隠れてにやりとしてしまう。
「今回も笑えたよ。『春と風林火山号に乗って新宿に行こう!』っていうポスターで・・・」
「え。ハルトってどういうこと?」
紅子には「ハルト」というのが独立した名詞に聞こえたらしい。私も一瞬そう聴こえたが、ああ、季節が春だから「春」なんだろうなと頭で勝手に変換した。でもそうだとすると「春と」というのがやっぱり変ではある。「春に」か「春、」「春だ!」とかじゃないのかなと思っていると、
「運転手さんの名前がハルなんだって」
と、赤爪ちゃんが言った。
「マジぃ?」
ふたりはひとしきり笑った。私もうっかり笑いそうになり、慌てて冷めきった珈琲を口に運び、資料を確かめるふりをする。つられて笑いそうになったとはいえ、実はちょっとなにが面白いのかわからなかった。とりあえずなんでも面白い年頃なんだろう、と思う。
ちょうど食事が運ばれてきたので、彼女たちはそれぞれパスタセットのサラダを食べ始めた。それを横目に、私は珈琲のおかわりを頼む。
「でもその運転手さん超かわいかったの!!!ヤバいくらい」
「マジ?どんくらい?」
「ルセラのチェウォンレベル」
「うそマジ、すごい」
ルセラ?ちぇおん?聞き取れたけど全然知らない。可愛さのレベルがわからない。慌てて検索をかけると、確かに可愛い。こんな運転手さんなら一緒に旅したいわ、確かに。
「私、後ろのほうの席だったから、早めに行ったんだ。いろんな人が乗り込んでくるの見るのも好きだし」
「ああ、※※ぽんって、待ち合わせとかいっつも早いよね。時間遅れたことないし、偉い子よな」
※※ぽん?赤爪ちゃんは「〜ぽん」だったのか。なにぽん??
「今回のバス、なんか変な人多かった。オーバーツーリズムっていうの?帳面町なんてド田舎なのに、外国の旅行客もいたし、日本人もめっちゃ怪しい人だらけでさぁ」
「なにそれウケる」
紅子は赤い唇で嬉しそうに笑った。
「でも、出発してすぐ、私寝ちゃったんだけどさ」
「あ~、みゆぽんらしいわ」
来た!みゆぽん!
赤爪ちゃんの名前は「みゆぽん」だ。なんだかよくわからないけれど聞き取れたことにホッとする。それからみゆぽんはひとしきり、バスの中に乗り込んで来た変わった人たちのことをあれこれ紅子に説明した。
「多様だねえ。多様性の時代だわ」
紅子はいちいちそんなことを言いながら笑っている。
ちょうどおかわりの珈琲が来たので、私もそれを聞きながらゆっくり珈琲を飲んだ。モニターを見つめて書類を作成しているふりをしているが、もう全く仕事はできていない。さっき起ち上げたWordに「風林火山号。ハル、どんだけ可愛いねん。どんなバスやねん。なんやねんその人たち」という文しか打っていない。関西人でもないのになぜか関西弁風のツッコミをしている自分にツッコミたくなる。
するとみゆぽんが、
「夜行バスって何回かサービスエリアで止まるじゃない?寝てたから何回目かわからなかったけど、目が覚めて降りてトイレ行ったのね。あ、バスの中にもあるんだけど、ちょっと外にも出たくなったし、止まってるバスの中でトイレ行くのってなんか嫌じゃない?なんか注目されてるみたいで。けど、真夜中だからさ、いくらサービスエリア明るくても、ひとりだと怖いじゃない。だから誰かトイレに行く女の人がいないかなあと思ってきょろきょろしたけど、あんまりいなくてさ、なんかおばあちゃんがトイレ行くみたいだから着いてったの」
と、それまでとは少し違った口調で話し始めた。
「え、まさか、怪談?」
確かに、赤爪ちゃんことみゆぽんの声はだんだん低くなって、怪談のムードが漂って来ている。
「違う違う。でね、なんかおばあちゃん話しかけてくるから適当に話し合わせてトイレ行って帰ってきたでしょ、サービスエリアの休憩中のバスの中って微妙な明るさなんだよね。寝てる人もいるからさ。で、おばあちゃん前の方の席で、ここです、って言って座ったからそこでおやすみなさーい、って言って、で、自分の席に戻ろうとしたんだ。そしたら、真ん中あたりに差し掛かった時、ゴトッ、て変な音がするわけ」
「ねえ。完全に怪談なんだけど」
「違うって。もしかして私、通路通る時にどこかにぶつかっちゃったのかなって、なんか落としたのかなって見るじゃない?―――何だったと思う?」
「頭蓋骨とか、生首?」
紅子が平然と言う。
「ちょっと、りあみょ。それ怪談通り越して殺人事件」
みゆぽんもさすがに引き気味な声で紅子をとがめた。そしてついに、紅子の名前は「りあみょ」であることが判明する。
そのころには、私はもうすっかり、「みゆぽん」と「りあみょ」と一緒に座って話している気分になってきていた。
「じゃあ日本人形とかのホラー系とか?」
また「りあみょ」がクールな声で思いついたことをあげる。おいおい、とさすがに私も「りあみょ」に突っ込みたくなった。日本人形って何。確かに落ちてたら怖いけど。
「いやだから怪談じゃないって。それがぁ・・・」
「あ。わかった。金塊。徳川埋蔵金」
「りあみょってほんと、そういう話好きだよね」
ついにみゆぽんがちょっとだけ呆れたような声を出した。
「同じ学部のナカガワって知ってる?」
りあみょは急に、どうでも良さそうな言い方でどうでもいい話をした。どこの沿線に住んでいるとか、誰それと仲がいいとか。
「え。知らない」
みゆぽんは話に水を差されてちょっとそっけない言い方をした。私も知らんわ、ナカガワ。男か女かもわからんわ。大学生あるあるだ。急に知らない人のことをさも有名人かのように話し始めて、「知らない?」とかいうの、あれ何。マウントか。謎のマウント。
「その人、超ホラーとかオカルト好きで」
「え。つきあってるの?」
「ってわけじゃないけどぉ、最近会うって言うか」
―――いやあの。ほんと、話逸れてるから。逸れまくってるから。りあみょはもうナカガワの話はしないで、頼むから。「ゴトッ」は何なのよ。何が音を立てて落ちたのよ。なんでこんな風に話が離れていくかな。気になるじゃないのよ。気になって気になって何にも手につかないじゃないのよ!
「あ、それでなんだっけ。で結局何が落ちたの?」
唐突にりあみょが話を戻したので、私は耳の集音機能を3倍にした。
「じゅう」
と、ごくごく小さな声で、みゆぽんが言った。
「ん?何?」
わたしもりあみょと同じ気持ちで、心の中で前のめりになる。
「銃。ピストル。拳銃、っていうんだっけ。あのほら、撃つやつ。武器。あれが、私の足元に転がってたの」
みゆぽんはひどく早口でそう言った。
一瞬、向かい合った二人は息を飲んだように、黙って見つめ合う。みゆぽんが、また口を開いた。
「周りにいた人結構見てて。みんな、うわって顔で。でも現実のことじゃないみたいで。だって日本であり得ないでしょ」
「うん。だね」
「なんか、一瞬、しーんとしちゃって」
私も、珈琲を飲むふりで固唾をのむ。まさか。まさか過ぎる。でもこの子は無事で、にこにこ笑ってここにいるわけで。
何にもなかったのは明白なのに、いまさらだけど焦る。
「それ落としたの、真ん中の席に座ってた男の人で、その人すぐに拾ったんだけど、めっちゃ怪しいわけよ。フードとか被って。もう絶対ヤバいと思って、でも身体全然動かなくて、完全に通路で固まっちゃって」
「それでどうしたんだよ~」
―――いやぁ、ほんとほんと。どうしたのよ、みゆぽん!
私は気持ちは完全にりあみょと同化していて、心の中で叫んだ。
「そしたらその人、急に私に向かって、すごいちっちゃい声で、僕、俳優ですって言うの。これ、舞台で使う小道具なんです、ほんとです。違いますから。玩具ですから、って」
「それ信じたの?」
「りあみょなら信じないの?」
「信じる。信じるしかない。他に選択肢がない」
「でしょ~?だから私も、うん、って言ったよ。はい。わかりました。じゃあ、って」
「それで?」
「席に戻ったよ」
「怖いじゃん!」
「怖かったよ!」
「その後ほんとに何もなかったの?」
「何もなかった。『空港大占拠』みたいになんか怖いことになったらどうしようって思ったけど、その時のこと見てた周りの人も全然騒いでなかったし、やっぱりのあの人は俳優で、あれは玩具なんだ、って思うことにして――」
「で?」
「朝まで寝た」
「みゆぽん、あんた―――すご」
「だよね。私、昔から怖いことあるとすぐ寝ちゃう子でさ」
「すごい。すごすぎる。尊敬する」
私も心の中で思い切り頷いた。りあみょに完全同意。同じものを目撃して、同じことを経験したら、私だったら平然と寝ることなんてできそうもない。
「バス降りたら警察いたから、誰か通報したのかもね。まあでも、ほんとに何にもなかったし。時間通りに着いたし。やっぱりあれは俳優さんだったってことで―――」
みゆぽんがしゃべっている間に、私の指は勝手に「バス 拳銃 事件」と検索していた。通路を挟んで私の隣に座っていたりあみょも、どうやら素早いフリックで同じことをしていたらしい。
「ちょっと、みゆぽん。ヤバいよ。それ、マジだったよ」
りあみょが小さく叫んで、みゆぽんにスマホを差し出した。
「うっそぉぉ!!!」
画面を見て、みゆぽんが興奮している。
モニターを見つめる私も若干興奮気味だった。
PCで検索したニュースサイトには、こんな見出しが出ていた。
ちょっとみゆぽん、何もなくて良かったよ、無事でよかったよと隣に向かって言いたくなったが、モニターを見つめながら必死で耐えた。みゆぽんのご両親が聞いたら血の気が引く話だろう。
「すごいねー、みゆぽん。バスに乗って銃とか持ってる人に普通、会わないよ」
りあみょは冷静にそう言い、優雅に食後の紅茶を飲んでいる。なんて性根の座った女の子だろう。みゆぽんは「ぎゃああ」と言いながら、取り憑かれたようにマホの検索とスクロールを繰り返していた。
私は珈琲を飲み終え、また仕事に向かうふりをして、耳のチューナーの周波数をやっと彼女たちから外した。
そしておもむろに、今度はスマホを取り出し、noteを起ち上げる。
今聞いたこの話を、誰かに話したい気持ちを抑えきれない。
ジョジョで言えば「あ・・・ありのまま今起こった事を話すぜ!」という「ポルナレフ状態」が我が身に起っていた。
別に事件としては何も起こらなかったわけで、私も後から聞いたらへえ、そんなことあったんだ、ふうん、と思うだけだと思うのだが、本物の凶器を目撃した人の話を偶然聞いてしまって、混乱している。なんだか興奮冷めやらない。
私はnoteにこう、書き始めた。
了
長くなりました。このお話の主人公は夜行バスに乗ってないけど豆島さんの夜行バス企画には乗っかります。