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ヒマワリ畑 #シロクマ文芸部

 ヒマワリへイトクラブに所属している。
 その名の通り、ヒマワリを嫌いだという人の集まりだ。
 まさかそんな人がいるはずがないと思っている人が多いが、本当にある。

 どんな活動をするか、といえば、ヒマワリをヘイトするだけだ。
 ヒマワリが嫌いだと公言するだけでよい。
 しかし残念なことだが、ヒマワリを嫌う人は少ない。そして嫌いだという人を嫌う人も多い。ヒマワリは夏の風物詩だし、今は特に平和の象徴としての役割も担っている。ヒマワリを擁護する声の高らかな中で、嫌悪しているなどとはおおっぴらには言い難い。

 絵の具で塗ったような水色の空に入道雲。真夏の照りつける日差しの下、すっくと立って少しずつこうべを垂れていく、ヒマワリ。
 フィボナッチ数列に従って並んでいる種。パキッと冴えたような花びらが、種が成熟していくにしたがって、垂耳兎たれみみうさぎのようになっていく。

 ああ、暑い暑いとヒマワリが暑さを押し付けてくるのだと、へイトクラブのオーナーは言う。わしはヒマワリが嫌いなんだ、とにかくあの花の真ん中を見ていると、まじないをかけられたようにいろいろ思い出してかなわんのだと、90歳になるクラブのオーナーは言うのだ。
 オーナーは、僕の曽祖父にあたる。
 そしてへイトクラブは、ぼくと曽祖父のふたりだけで結成されている。いわば、秘密結社だ。

 毎年、「今年がわしにとって最後の夏だ」と、曽祖父は言う。「また歯が抜けた。ころりんと抜けたんだ。何の抵抗も痛みもなくだ。今年が最後だと思う」。またある年は「何にもしとらんのに小指の骨が折れた。何にもしとらん。ちょっと壁に手を突いただけだ。わしは今年が最期だと思う」。
 僕は「そんなこといわないでよ」と、曽祖父に言う。歯が抜けても小さくしたビーフステーキを食べるじゃないか。骨はちゃんと、くっついたじゃないか。だから大丈夫だよ、おじいちゃん。おじいちゃんはまた来年も、ヒマワリを見て、嫌いだ、やっぱり嫌いだというんだよ。

 いやだのう、とおじいちゃんは言う。嫌だ嫌だ。ヒマワリなんてみたくない。そう言いながら、ぼくと曽祖父はヒマワリ畑のわき道を歩く。なんだって近所に、こんなヒマワリ畑があるのか知らないが、なんだって毎年、曽祖父はここをぼくを連れて歩くのか知らないが、この道を通るたびに、「おい。たっくん。ヘイトするんだ」と曽祖父は言うのだ。

 たっくん、というのは、ぼくが小さい頃の呼び方だ。ぼくは曽祖父にとって孫の子で、本当なら少しだけ遠い存在だと思うのだが、僕が生まれてすぐに祖父が亡くなって、気落ちしていた曽祖父のところに父がぼくをよく連れて行くようになって、物心ついてからは、僕は曽祖父と、ヒマワリを嫌悪している。

 僕は祖父を知らないので、曽祖父がおじいちゃんだ。おじいちゃんはよそのおじいちゃんよりいつも年寄りだったけれど、誰より物知りで面白い。
 戦後は、船乗りだったのだという。世界中の港に行ったことがあるという。ちゃんと習ったことはないが、いろんな国の言葉を少しずつ喋れるのだといって、ぼくが子供のころは、各国の挨拶を教えてくれた。聞いたこともない国の聞いたこともない挨拶。ぼくはなんども曽祖父に発音をせがんだ。

 おまえのじいちゃんには、姉ちゃんがいたんだよと曽祖父は言う。わしの青春は全面一色に戦争だった。学徒動員される寸前、戦争が終わった。もう覚悟して出征するとなって急いでお前のひいばあちゃんと結婚してな。その時ひいばあちゃんは身ごもってな、娘が生まれたんだ。和子とつけた。戦後のもののない時で、構ってあげられんで。わしがおかにあがるたんびに、自分より背の高いヒマワリ畑に行きたいとせがんで、かくれんぼしたな。和子、あの子の顔、よう思い出せんな。曽祖父は立ち止まり、遠い目をした。

 戦争中はな、わしも戦争に行ってお国のために身を挺して戦おうと思っておった。あのころはそれが当たり前だった。でもある時な、近所の兄ちゃんが戦争行って、頭が変になって帰ってこられた。昔はほれ、近所の子供らはみんな一緒に遊ぶんだ。年嵩からよちよち歩きまで一緒に遊ぶ。ヒマワリ畑でかくれんぼしたり、チャンバラごっこしたりしたもんだ。だからその兄ちゃんからもよう遊んでもらった。優しかったよ。その兄ちゃんが帰ってきて、ヒマワリ畑の中大声上げて走り回ったことがあってな。あの時ほど、恐ろしかったことはないな。涙が止まらんようになった。あの頃はな、傷痍軍人という戦争で傷を負った元軍人さんがいっぱいおった。どこにも行くところが無くて、仕事もなくて、道端に座ってる人もおったよ。片足がないとか、両手がないとか、包帯まいとったり。いっぱいじゃ。でも、あの兄ちゃんのあの姿ほど、心が締め付けられたことはない。あの人の中ではまだ戦争が終わっとらんのだと思ったら、永遠に戦いの中にいるんだと思ったら、どうにもたまらんかったよ。
 帽子の下から流れたのが汗なのかどうかわからなかった。

 時折、曽祖父はそうやってヒマワリ畑の傍で話をする。暑いから帰ろうと言っても、話をするまで帰らない。家では戦争の話も、長女の話もしたことはない。戦争のドラマや映画や、話になると、ううん、うん、と曖昧な咳払いとともに部屋を移った。戦いに行かなかった負い目なんか話しても仕方ないからなと、いつかヒマワリの隣でぽつりと言った。

 じいちゃん、今度ぼくに、子供が生まれるんだよとぼくが言うと、曽祖父は、ううん、と首を横に伸ばして僕を見上げた。
 たっくんの子か。わしはヒイヒイジイになるのか。
「うん。生まれたら、名前つけてね」
「わしが。わしがか」
 そう言って、わしなんかつけられん、親がつけろ、と言い、それでも少し嬉しそうに口の端が上がった。
「たっくん。ヘイトしたことだし、帰ろうか」
 ヒマワリの傍で懺悔するのが、ヒマワリを嫌悪することだということでも言うように、曽祖父は方向転換をした。最近足腰が弱くなり、くるりと方向転換することはできなくなった。
 少しふらついたので手を伸ばすと、白い蝋細工のような手が、僕の腕をぎゅっとつかんだ。思いがけないくらい強い力だった。
 ああ90年生きてきたんだと僕はそのとき思った。
 曽祖父の人生、曽祖父の経験、曽祖父の思い出を、僕はヒマワリ畑で受け取っている。
 ヒマワリを嫌悪しながら、曽祖父は戦争を嫌悪している。
 いつか僕の子や孫が、ヒマワリへイトクラブに入るだろうか。
 その日まで僕はこの記憶を、大切にヒマワリ畑に結び付けようと思う。

#シロクマ文芸部

 ピリコグランプリとコラボと知りました。
 こちらはまた後程~ 




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