縁は異なもの味なもの #シロクマ文芸部
これまでのおはなし
愛は犬棒かるたで深まっていく――。
S校文芸部部長大牧は、新学期の図書準備室で机の上に「いろはかるた」を並べていた。
「犬も歩けば棒にあたる。論より証拠。花より団子・・・」
そのとき、急に扉があいた。ちなみに準備室の扉は片側開き戸タイプのドアである。他の教室の窓つきの引き戸タイプと違うので、文芸部法度には「入室の際はノックをすること」とある。
「ああっと部長。失礼しました」
中学3年の八代大和だ。身長が伸び始めたところで制服が追い付いていない。ソックスの足首が見えている。
「いいよ、入ってきて。中学は今終わり?今日なんか講習会あったよね」
「あ、はい。何してるんですか?」
「かるた覚えてるんだ」
「かるた、ですか?」
もうすぐ受験のため部を引退する部長が、かるたなどしているのだからそれは目を丸くする。
「あのぅ、部長がやってるのは百人一首、ですよね」
「うん、まあそうなんだけどね。かるたも覚えなくちゃいけなくて」
「覚えなくちゃいけないんですか⁉」
八代は動揺した。夏休み前にN校部長と大牧部長との百人一首対決を見て、密かに憧れを抱いた八代は、大会など細々したことについて部長に一度聞いてみたい、と思っていたのである。先輩と二人というシチュエーションで好機到来かと思いきや、百人一首のほかにかるたも覚えなくてはならないらしい、と知って少々二の足を踏んだ。
文芸部員として恥ずかしいのだが、そもそも八代は現代国語はともかく古典と漢文がまるでダメだった。正直どう勉強していいのかもわからないし、文法が全然頭に入ってこない。先日の対決の話を母親にしたら、百人一首でも勉強すれば、古典もわかるようになるのではないか、と言われ、それもそうかなと思ったところだったのだ。まあ「いろはがるた」なら簡単だろう。それも百人一首のウォーミングアップの一環なのかもしれない。
「覚えなくちゃいけない、ってわけじゃないんだけどね。それより八代くん、部誌の最終点検、終わった?落丁乱丁なかった?」
「はい。大丈夫でした」
「うん。ありがとう。立木くんがポスター途中で困ってたから、手伝ってあげてくれる?立木くんは今日塾で帰っちゃったから、明日」
「はい」
「もうすぐだね、文化祭」
「そうですね」
大牧部長って先生みたいだよなと八代は思う。身体も大柄だし、なにより雰囲気が落ち着いている。百人一首の時は着物を着ていて、大人みたいだった。自分と2学年しか違わないなんて思えない。前かがみになって札を見つめる真剣な眼差しや、札を飛ばす様子がまるで石狩川で鮭を取るクマみたいで――森のくまさん――いや、どっちかというとシロクマっぽいな。色白だし。
「八代くん」
「はい」
「これから、N校文芸部が文化祭の打ち合わせに来るんだ」
「そうなんですか。わかりました」
「僕は職員室に用事があるから、彼女たちが来たらよろしく。僕は30分くらいで戻るから」
八代の心臓が跳ね上がった。自分ひとりの時に女の子たちが続々と来るなんて状況は、想定外だった。
じゃあ頼んだから、と言いおいて部長が出ていくと、八代は部室に唯一ある鏡の前に立った。贈・鈴木医院、という指定校医の名前が黄土色の字で書いてある古い鏡は、全身どころか顔くらいしか映らない。八代はもぞもぞとズボンのすそを下げようとした。裾出ししたのに、つんつるてんになっちゃったわねぇ、という母親の笑い顔を恨めしく思い出す。さっさと長いズボンに買い替えてくれればいいのに。
そのとき、ノックの音が響いた。来た。やばい。なんかドキドキしてきた。顔が赤くなっていたらどうしよう、と思う。それでも平静を装って、自分からドアを開けた。
「どうもーっ!打ち合わせに来ました!」
元気に告げたのはN校副部長、越野だ。彼女の後ろに、N校文芸部の部長がいる。今日はふたりだけのようだ。少しほっとする。少々馴染みのある感じになってきた彼女たちなら、さほど緊張はしない。
一条はやはり今日も、薄手の本で口元を覆っていた。彼女の顔を見たことがあるのは、百人一首の試合中だけだ。一条朱里と言う名前は、あの時知った。大牧部長とつきあっていることは、最近知った。
「あ、どうぞ。部長は今職員室で」
なんとか、当たり前みたいな顔で言えた。
「そうなんだ。はーい、待たせてもらいまーす」
越野はそう言うと、勝手知ったる感じで椅子に座った。その隣に、部長も腰かける。
「今日は、鬼の副部長さんはいないんですか?」
休みだというと「あ、そう」とどうでも良さそうな返事が帰ってきた。立木のことはなぜかみんな「鬼の副部長」と呼ぶ。確かにクールでピシッとした印象だが、そんなにキツい性格ではないのに、と八代は思う。むしろ対外的な対応は全部立木先輩がやってくれるから、部員はすごく楽だ。いつか立木が部長になり引退したら、たぶん順番的に部長は自分になる。そうなったら、立木のようにうまくできるかどうか、自信がない。そしてなにより、文芸部法度の第三条「卒業までに異性とデートをする」が、重荷だ。まったくできる自信がない。
「あっ、そういえば、アニメ同好会って、今日は活動してるのかな?」
越野に問われ、なんで急にアニメ同好会の話なんだろう、と思った。
「はあ。わかりません。もう少ししたら、兼部してる部員が帰って来るんで聞いてみます」
「S校って兼部できるんだね」
いいなあ、と越野は言った。そのときだ。
「犬棒かるた」
と、突然、一条がぼそりとつぶやいた。
「ええっとそれは。すみません。部長がさっき並べてたんです。何か打ち合わせに必要なことかもしれないんで、帰って来るまでこのままでもいいでしょうか」
八代は育ちがいい。丁寧に訊いた。
N校部長は、1枚の札を取り上げた。そしてまたぽつりと言った。
「惣領の甚六かと思えば。鑿と言えば槌」
え、なんて?という目線で助けを求めて越野を見ると、越野もちょっと意外そうに「坊ちゃん育ちで世間知らずかと思ったらすごく気が利く、と言ってますよ。意味はちょっと分かりません。部長、なんで?」
一条は本の向こうでくすりと笑ったようだった。
なんだかいつも御簾の向こうにいるような人だと思った。
それからしばらくして、部長と顧問の上川、そしてアニ研兼部中の中学2年、東雲が入ってきた。
「お待たせしました。じゃあ始めましょうか」
大牧部長は教師っぽいのだが、さすがに本当に教師と並ぶと生徒に見える。大牧は何気なく机の上のかるたを片付け、席に着いた。なんだ、別にミーティングに必要なものじゃなかった、と八代は自分の気遣いが無駄だったことを知った。
上川は中学で現国、高校で古典を受け持つこの学校のOBだった。私立なので転勤がない。長くこの学校にいる40代と思しき先生だ。
「ああ、お初にお目にかかります。きみが、短歌甲子園中学部門優勝の一条朱里さんか」
「こんにちは。このたびはよろしくお願いします」
本を顔から外し、ことわざ以外の言葉を話した一条朱里を初めて見た一同は、思わず彼女に釘付けになった。
「そしてきみが、副部長の越乃さん」
「はい。よろしくお願いします」
顧問が同席してのミーティングは初めてで、部室はさすがに緊張感に包まれた。
上川同席で行うのは、学校側のコンプライアンスと共同イベントに食い違いがないかの最終すり合わせだった。図書館の利用時間やマナー、ルール、机や椅子の使用許可や配置、ポスターを貼る位置や期間など、意外と細かいことがあるものだなと、八代はちょっと他人事みたいに聞いていた。
上川は、学校のルールを守ればある程度のことは許容するし、ポリコレ警察みたいなことを言うつもりもない、ただ他校との共同イベントは一応顧問の許可制と言う形だから話してハンコ押すだけだよ、第一君たち文芸部の座談会イベントで何が起こるって言うこともないでしょう、せっかくの文化祭だから思い切り楽しんで欲しいと言った。
確かに。文芸部座談会で炎上案件が起こるとは思えない。
うんうん、と真面目な八代は頷いた。
それじゃあ後で書類にハンコ押しとくからねと言って、みんな後はよろしくねと上川は出て行き、ミーティングも終了になった。
「うちの学校でも、これやるんですよ、やっぱり。再来週、よろしくお願いしますね」
と、越野が大牧に言った。
「はい。もちろんです。よろしくお願いします」
そういう大牧はまた教師のように見えた。比較対象があるとないとで人の印象って変わる、と八代は何かにメモしたい気持ちになった。文芸部に入ってから、こういう「なんかいい感じのこと」に気づいたときはメモを取るようにしている。ネタ集めだ。
N校のふたりが帰って行くとき、また本で口元を覆った一条と大牧が、なにやらアイコンタクトをしたのにも気づいてしまった。見てはいけないものを見たようで、ちょっと視線を逸らす。
八代はよく気が付く。そしてよく気が利く。校正や落丁乱丁のチェックを任されるのはそのせいだった。
「じゃあ、今日はこれだけだよ。刷り上がって八代くんに点検してもらった部誌があるから、それみんな1冊ずつ持っていって、家で読んできてね。なんか気がついたことがあったら教えて」
大牧が言って、今日の部活はおしまい、となった。この後部室で最終帰宅時間までダラダラしてもいいし、帰ってもいい。
大牧はさっき片付けたかるたをまた机の上に広げ始めた。
「あれ。1枚ない」
そしてそう言った。
「さっき、N校の一条先輩が持って行ってましたよ」
さりげなくそう言うと、ああ、といって大牧は、ふふっ、と笑った。
「なんですか。なにかまずかったですか」
いや、と、大牧はにやにやした。
「このまえ、ふたりでディズニーシーに行ったんだよ」
隠しごとの苦手な大牧はおおらかに言う。デートじゃないか、と八代は思う。
「そこでちょっとケンカしちゃってね。でも」
無くなったかるたの1枚は、「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」だったという。忘れるから許してやる、ということなのだろうと大牧は笑う。
八代は大牧ほどの人でも、そして相手が一条でも喧嘩をすることに驚いたし、第一、ふたりはどうやってコミュニケーションを取っているんだろう、と思った。喧嘩ができるほどふたりが話している姿が全く想像できない。
そういうのは、これですね、と、それまで黙って聞いていた東雲が札を取り上げて、大牧に渡した。
それには「縁は異なもの味なもの」とあった。
文芸部ネタは、やっぱり文化祭の季節にしか出せない気がしたので、連投ですが「S&N校文芸部シリーズ」です。
いつのまにシリーズに・・・
今回はなんかバタバタした中での創作で、ちょっと推敲が足りない気がしますが、すみません。出しちゃいます。あとでちょっと変えるかもしれません。それもnoteの醍醐味。
もしかしたら鬼の副部長の学年が若干前回書いたときと違ってるところがあるかもしれません。スミマセン。今回ちゃんと練り直しました。
小牧さん、今回もよろしくお願いします。
いつもありがとうございます。