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創作大賞感想 番外編【広島原爆ドームのチェコ人建築家とエジプト/ローロー(白川雅)】

今回、感想文は小説のみに絞っていましたが、番外編です。
前半がネタバレ無し、後半がネタバレありになっています。
(しかし今回はネタバレといいつつ完全にネタバレしていません)
ネタバレタグをつけると、避けてしまう方もいらっしゃると思うので、先に断り書きをつけることにしました。よろしくお願いします。

 ローローさんとの「なれそめ」は、おそらく私のエジプト記事を、ローローさんが見つけてくださったのが最初だったように思う。

 それからローローさんの記事を遡って読んで、衝撃を受けた。

 ローローさんの体験してきたことが活き活きと語られるそれらの記事には、エキゾチックとか異国情緒とか、そういうものを超えた生活実感があり、どの記事にも惹きつけられ、目を奪われた。そして私は、そのコスモポリタンな生き方にすっかり魅了されてしまったのだった。

 私は漫画家のヤマザキマリさんの『国境のない生き方』に感銘を受けて以来、氏を尊敬している(はてなでこんな記事も書いた)。そしてローローさんこそまさしく、その国境のない生き方を実践している方だと思っている。

 「外国に行きました、住みました」というのは、そうやって書いてしまえば簡単なことのように思える。しかし、若いころに単身エジプトに渡り、世界中の国々に居を構えながら生活し、仕事をしてきたローローさんの語学力と、世界を歴史ごとみつめる眼差し、そして生活力といったものは、おいそれと普通の人に実践できるものとは思われない。言えない、言わない苦労をし、そしてコツコツとした努力でこそ、成り立っている、と思う。そうやって体験と学びを積み重ねた広範な知識と生きる知恵、深い教養は、血となり肉となってローローさんを形作っているのだと思う。尊敬しかない。

 だからこそ、ローローさんの書く記事はどれも魅力的だ。
 初期に最も衝撃を受けた記事は女子割礼の記事で、私はあまりのショックにその記事にコメントすることもできなかった。知識として情報としては知っていた。でも、知識や情報と知っているということが何の意味があるんだろうかと思った。知らないよりはいいかもしれない。が、なによりも「事実の重さ」が私を打ちのめした。

 ローローさんの記事にはその「事実の重さ」がずっしりと詰め込まれている。

 どの記事も素晴らしいのだが、私が最も反応したのはこちらだ。

 どれほど好きだったか、というと、すべてプリントアウトして冊子のようにしていたくらいだ。好きすぎて、感想文も書いた。

 そのスエズ運河の話をからめた、壮大な歴史物語が本になったときも、当然、待ち構えて購入した。

 ※こちらは、8月末に「SOLIDA 吉穂堂別館」に搬入する予定である。

 ローローさんのなにがすごい、といって、もともとの知識量に加えて、その調査力である。何か調べたい、と思った時に、それを仮説に基づいて、徹底的に調査する。

 実は日本人と言うのは、しっかりと世界史を学んでいる人が少ないように思う。高校では選択科目になってしまうから、中学でざっと教養部分を学んだあと、世界史を選択しなければしっかり学ぶ機会が無くなってしまう。また、日本史や地理と別々の教科であるため、知識としてバラバラに詰め込まれていて、横軸として把握したり、地理的に歴史をとらえる力と言うのは、どうしても弱まってしまう気がする。

 ローローさんは違う。縦横無尽に歴史を見ることができ、大きな世界地図を持っている。自分の足で歩いた地図だ。

 今回、ローローさんが創作大賞にエントリーしたのはこちらのマガジンの記事だ。

 それは、こちらのマガジンに収められている。

 ローローさんがチェコに住んだときの顛末を描いたエッセイだ。
 この中でローローさんが「もしかしたら日本の原爆ドームを設計したチェコ人・ヤン・レッチェルはエジプトでも設計に携わっていたのではないか」という仮説を立てたことから、上記の「広島原爆ドームのチェコ人建築家とエジプト」という記事を書かれた。

 ———というかこれはもはや、論文である。
 大学で教鞭を取ってもいいと思う。

 さて、チェコでの生活の、その最初の記事の、最初の一行は、こう始まる。

「チェコスロバキアじゃないよ、チェコだよ」

ラクダの国から熊の国チェコへ転職(上)〜Loloのチェコ編①より

 2010年代のエジプトで、ローローさんはチェコスロバキア大使館だと案内したタクシーの運転手さんに「チェコスロバキアではありません、チェコです。20年も経っているのですから、間違えてはなりません」と諭しているが、さて、日本人の私たち。うっかり「チェコスロバキア」と言ってしまっていないだろうか。さすがにもう、30年以上が経っている―――とはいえ、チェコのことを、どれほど知っているかどうか、は、怪しいものだ。

 「ラクダの国から熊の国へ」。ローローさんは、灼熱の砂漠から、極寒の凍土へと居を移した。それは旅慣れたローローさんでさえも、なかなかに厳しいカルチャーギャップを感じさせるものだったようだ―――。

 さて、これから先は『広島原爆ドームのチェコ人建築家とエジプト』についてのネタバレを含む感想を書きたいと思っている。

 これから読んでみたい!!と思っている方は、ここまでで。



 どう見積もっても、これは論文ではないか、と思う。

  ある日勤め先の撮影会社から、観光ライセンスを取ったほうがいいと言われ、カレル大学の歴史の先生の講義を受けることになったローローさん。
 エジプトで散々、紀元前の世界に馴染んでいたせいか、講義をしてくれた大学の先生が西欧の感覚で「古い時代」と説明する時代が全く古く感じられないローローさんには、その講義が少々退屈でならない。
 それより寒さが身に堪え、いかんせん灼熱の砂漠から雪の世界へやってきた後で、体調を崩して倒れてしまう。
 点滴を受けながら「エジプトのように使いまわしの針でありませんように」と祈るところは、これまでローローさんの記事に親しんできた読者は思わずハラハラする場面だ。

 体調が回復するまでの間、仕事はほどほどに抑えながら建築の勉強を始める。雪の中カレル先生(ちなみに仮名)に連れまわされたおかげで、建築に興味が湧いたからだ。

 プラハの建築の本を読んでいると、こんな文章が目に留まる。

「ブルタヴァ川(ドイツ語でモルダウ川)に面したところにある、1932年完成したチェコ通産省庁舎は、建築家ジョセフ・ファンタによるものであるが、ヤン・レッツェルの広島産業奨励館(のちの広島原爆ドーム)(1915年)に影響を受けて設計された」

太字は吉穂による

 それまで何度も通産省庁舎を見ていたし、確かに原爆ドームと似ていると思っていたものの、その二つ以外にも何かに似ている、と思うローローさん。
 その後、テレビでたまたま映画「スフィンクス」を観ているときに、はっと気づくのだ。

 唐突に閃きました。
「分かった!分かった、分かった分かった!
スエズ運河株式会社のオフィス建物だ!

 来たよ。来ましたよ、スエズ。(吉穂の心の声)

 そこからが、いよいよミステリーツアーの始まりだ。
 もし仮説が正しければ、ヤン・レッツェルは日本に来る前にエジプトにいなければならないことになるが、果たして、ヤン・レッツェルは日本に行く前にエジプトにいたのだろうか。
 調べても、なかなか手掛かりがつかめない。

 しかし。
 その答えがわかる瞬間は、鳥肌ものである。
 なんと観光ガイドの試験中に、試験管からその答えがもたらされたのだった。ソンナコトッテアリマスカイナ!

「プラハの建築事務所に1年ちょっと在籍した後、エジプトでアブディーン宮廷のお抱え建築家になったのよ」

 しかしその時はそれ以上わからず、テレビの企画としての提案も残念ながら通らずがっかりしたものの、そこはローローさん。

「自分で調べるしかないかな。他の局や制作会社に企画書を書いて出してみよう」

 ここが流石だ。普通はきっと諦めてしまう。でもローローさんには諦めたくない理由があった。

 ひとつは、どうしても彼がスエズ運河株式会社のオフィスにインスパイアされて、広島原爆ドームを建てたのではないか?というのを知りたいという「好奇心」がむずむずしていたこと。
 もう一つはレッツェルがチェコ、日本、エジプトの三カ国に住んだということで、私自身と何か通じるものや親近感を僭越ながら、抱いたからです。

「在カイロ・オーストリア大使館に問い合わせて下さい」
〜チェコ人建築家ヤン・レッツェル(原爆ドーム)シリーズⅡ
〜LOLOのチェコ編⑩より

 最初はカイロのチェコ大使館に問い合わせをするも、そこからは「当時はオーストリア・ハンガリー帝国だったので、チェコ大使館は何も分かりません。オーストリア大使館に聞いてみてください」と言う返事が。

 オーストリア大使館からは親切で(長くて)丁寧な返事があったが、その建築家リストのなかにヤン・レッツェルの名は見当たらず。

 それではとヤン・レッツェルの師の名前を当たっていたところ、デミトリアス・ファブリツィオと言う名に行き当たる(ここまで行きつくにも、もう大変な努力)。
 がしかし、彼の情報を得ようにも彼の国籍がわからない。
 チェコ語夜間学校で相談してみると、イタリア人の同級生からこんな情報が。

「そもそも、昔は世界地図が違う。特に地中海辺りは全然違っている。よって例えば現イタリアでも、当時はギリシャやオスマン帝国だった地中海、エーゲ海辺りの島出身の可能性もある」

 となると、地中海全域の建築家を当たらなければならなくなる。ローローさんは例のカレル先生に相談してみることに。するとカレル先生、ローローさんを喘息にしてしまったことを気にかけていたのか、教授ネットワークを駆使して地中海建築家の研究者に連絡を取ってくれたのだった。
 すると―――

「1907年までアブディーン宮殿の主任建築家だったデミトリアス・ファブリツオは、エーゲ海の〇〇島(*さすがに島の名前のメモは残っておらず)で生まれたギリシャ系ドイツ人である。カイロのブラク地区の自宅で息を引き取り、遺体は旧市街のギリシャ正教墓地に埋葬され、まだ残っている」

 もう、ここまで来ると、「あれ?私は『薔薇の名前』か『ダヴィンチ・コード』でも読んでいるんだったかな?」という気になってくる。

 数々の経験と知識を持つローローさんでも「ギリシャ系ドイツ人」は初めて聞いたものらしい。平凡な知識しか持ち合わせのない日本人の私にはそれがどのくらい珍しいものかもわからない。

 「じゃあ今度は在カイロ・ドイツ領事館に問い合わせるの?」
 と呆れたようにチェコ人の同僚に聞かれたローローさんは、なんと。

「…いや、この場合は違うな。ドイツ領事館じゃない…。アレクサンドリアのギリシャ人協会EKAだ…」

 気が付くぅ―――??普通、気が付く、ここに??
 私はここで、激しく感動した。ここに気が付くのは、ローローさんしかいない。ローローさんしか気づけない。

 アレクサンドリアは遥か昔にアレキサンダー大王が建設した街で、別名ギリシャ人王朝ことプトレマイオス王朝が栄え、直近では1950年代にナセル大統領によるエジプトの外国人追放命令の時に、多くのギリシャ人がエジプトを離れました。
 しかし以前NOTEの記事にあげていますが、私はそれでも「しぶとく」エジプトに残り続けたギリシャ人末裔(グレコ・エジプシャン)らに出逢っており、彼らが「エジプトのギリシャの記録」を管理して持っていることも聞いていました。
 「ファブリツィオはカイロ旧市街のギリシャ正教墓地に埋葬されたということは、宗教がそれだったからなのでしょうけど、ギリシャ人としての墓を望んだということでもあったはず。
 それに19世紀、20世紀初頭のエジプトでは、ギリシャ人建築家も大勢活躍しているから、これはギリシャコミュニティに聞く方がいいと思う」
 自信がありました。
 あの人たち(アレクサンドリアのギリシャ人)たちは、自分たちがどれだけエジプトに貢献してきており、どれだけ活躍してきたか、さんざん私にも自慢しており、アレクサンダー大王の時代についても「つい先日」のように語っていたくらいです。

 うん!その記事知ってる!私、読んだ!!
 すごいよ、ローローさん!
 読みながら鳥肌を立てた私。

 そしてローローさんの読み通り、グレコ・エジプシャンこと、エジプトのギリシャ人末裔協会は、デミトリアス・ファブリツィオ・・・つまりレッツェルの上司だったであろうギリシャ系ドイツ人建築家の情報を持っていたのだった。その問い合わせの仕方も、歴史と文化、国々によって人々が感じる印象を知り尽くしたローローさんだからこその言い回し。

 ヤバすぎるでしょ。これ絶対映画化決定でしょ。

 チェコ編も全部プリントアウトしてぶるぶる震える手でページをめくりながら読み直さなければならないか―――と思ったが、おそらくいずれ、ローローさんが書籍化してくれることがわかっているので(スエズの記事も『エジプトの輪舞』になったことだし)、プリントアウトは思いとどまっている。

 最後まで語りたいところだが、その後の展開は、ぜひローローさんの記事で確かめて欲しいと思う。
 とりあえず私がいちばん興奮した箇所をお伝えしたく、感想という形にさせていただいた。

 とにかく、ローローさんの経験されたことが、すべて面白い。
 この調査の成り行きも、ストレートに語られるわけではなく、そこに繋がるエピソードがわんさか盛り込まれていて、それが見たことも聞いたこともないような体験によって彩られている。

 チェコ編全般が面白いのだが、ローローさんが創作大賞用にまとめてくださったこちらのマガジン—――

 でも十分に堪能することができる。
 これから8月になり、平和に思いを馳せる季節がやってくる。
 いまこそぜひ、読んで欲しいマガジンだ。

 それにしても、返す返すも、スエズは歴史の要だったか・・・
 ローローさんの記事は、ローローさんが世界中を巡り歩いた旅がそこに集約していく壮大な叙事詩を読んでいる気がする。
 兼高かおるさんだってこんな旅はしていまい(たぶん)。

※兼高かおるさんというのは、こんな人です(ウィキペディアより)
1959年から1990年まで『兼高かおる世界の旅』(TBS系)でナレーター、ディレクター兼プロデューサーを行う。取材国は約150か国、距離にして地球を180周もしたことになる。

 私の中でローローさんは、峰不二子になったり兼高かおるさんになったりインディー・ジョーンズになったりハーヴァード大学の宗教象徴学教授ロバート・ラングドンになったり、忙しい。
 でもその誰にも経験がないであろう数々の冒険が、ローローさんの人生の中にパッキングされていて、それを記事にして私たちに伝えてくれている。

 アメージングでスリリングな旅を、ローローさんと。
 あなたも、ぜひ体験してみて欲しい。