創作大賞感想【おーい!落語の神様ッ/ナアジマヒカル】
最終回を待ち構えていた。
落語が好きである。
でも寄席に行ったことがない。
そういうエセ落語好きを落語界では何と呼ぶのだろう。そう、私はエセ落語好きである。
子供のころから『笑点』が好きだった。
「大喜利」と言うものが何かを笑点で知り、とっさに面白いことを考え付く落語家の皆さんと座布団を配る山田さんに馴染みながら成長した。
落語家さん達だ、と言うことは知っていたものの、子供のころは『笑点』と落語が結びついていなかった。大人になってやっと、落語っていいなと思うようになった。
そのきっかけは、多分に漏れず『ちりとてちん』(2007年)だったと思う。ただ、当時私は乳幼児を抱えていて、毎朝ちゃんと朝ドラを観ることができなかった。時折目にする『ちりとてちん』の兄弟子、青木崇高さんが素敵、と思っていたくらいで、前後関係はわからなかったが、偶然今は亡き渡瀬恒彦演じる師匠の落語『愛宕山』の回に遭遇し、泣いた。
あのドラマで落語が好きになった人も多かったのではないだろうか。
その後、タイで立川志の輔さんの落語を聴く機会に恵まれた。志の輔さんはその頃、毎年のようにタイの日本人向けのイベントで話してくださっていたのだ(下のリンクの記事にも少しそのことが書いてある)。日本ではめったに聞くことができない有名落語家の噺とあって、そしてチケットがとても安いということもあり、会はいつも盛況だった。今思い出しても贅沢な話だった。私が生で落語を聴いたのは、あのときだけだ。
NHKのバラエティ枠でたまにやっていた「落語の一席をドラマで吹き替える」、濱田岳さんが案内人をつとめる『超入門!落語 THE MOVIE』というのがあって、これも楽しみだった。有名どころの話が多かったけれど、結構いろんな俳優さんが「落語のアフレコ」を演じてくれて、これで知っている話が少し増えた。
なによりもハマったのがこちらだ。
『昭和元禄落語心中』。アニメから入って、漫画、ドラマと全部観た。
アニメは主題歌が椎名林檎さんだったし、声優さんは八雲が石田彰さん、助六が山寺宏一さん。石田さんについては情報がないが、山寺宏一さんはオーディションだったそうだ。お二人とも大好きな声優さんなので彼らの落語が聴けるということで前評判だけで痺れた。実際に聴いたらなおのことハマった。詳しくはここでは述べないので、よかったら上の記事をどうぞ。
そしてごく最近、配信で、私はあれを観たのだ。
あれ。『タイガー&ドラゴン』(2005年)。当時リアタイでは観なかった。脚本、宮藤官九郎。主演は長瀬智也(小虎)、岡田准一(小竜)。ダブル主演で当時20代。ふたりとも若くて目がキラッキラしていた。小虎の師匠で小竜の父親役は西田敏行。兄弟弟子役で春風亭昇太さんも出ていた。
このドラマ、改めてまとめて観たら、凄く良かった。ヤクザ×落語という設定が奇抜で、落語家のかたや本当の落語好きのかたからはどんな評価だったのかわからないが、私はとても楽しかった。毎回、蕎麦屋のおやじの「落語好きの素人」である尾美利徳さんが、まるで百人一首で札を取るみたいに話が始まったとたんに「お、『まんじゅうこわい』だな」なんて言うのも楽しかった。
長瀬さんはジャニーズのあれこれが起こる前に引退していて、最近は音楽活動を再開されたようだ。俳優としてとてもいい役者さんだったと思うので、いつか俳優業に復帰されたらいいのになと願っている。
ちなみに、『タイガー&ドラゴン』の直後に『俺の家の話』をまとめて観たのだが、ふたつの物語は繋がりは無いものの、西田敏行と親子(『タイガー&ドラゴン』では師匠と弟子で疑似親子)と言う設定が、15年の時を経て絶妙にマッチしており、たぶんどちらもリアタイで観ていたら泣かなかったと思うのだが、最終回で号泣してしまったことをここに告白する。
小説では佐藤多佳子『しゃべれどもしゃべれども』が好きだ。佐藤さんの作品はいくつか読んだが、このお話が特に好きで、この本だけ大事に持っている。Amazonの作品説明はこんな感じだ。
このあらすじを読むと、三つ葉がなんかすごく調子のいいお兄ちゃんみたいだが、三つ葉さん本人も当初結構悩んでいたんじゃなかったかな、と今、回想している。吃音を直したいと話し方を教えてくれと従弟に頼まれたのがきっかけで、話し方教室が落語教室になっていき、悩める人たちが次々訪れてくるという話だったと記憶している。「言葉」が「落語」が、人の気持ちを支え、明るい方に変えていく素晴らしい物語だった。
―――と、そんなだけれど、一度も寄席に行ったことがないのだ。
これは由々しき問題だ、と思っていて実はいつか―――ああ、はい。
話がどんどん逸れていきそうなのでこの辺りでやめておく。
いちおう、これは私の「まくら」ということで。笑
そういうわけで、ナアジマヒカルさんの『おーい!落語の神様ッ』は毎回、かなり楽しみにして読んだ。最初は、連載が始まったことに気づかずにいて、途中から追いついた。
タイトルの通り、落語の話である。
そしてしょっぱなから、ああ落語だ落語だ、という「言葉のテンポ」に引きこまれた。誰か噺家さんが話し始めたみたいな始まり方だ。
『死神』は、落語をテーマにしたドラマや漫画などの物語にはよく出てくる演目である。『昭和元禄落語心中』でも『超入門!落語 THE MOVIE』でも『タイガー&ドラゴン』でも取り上げられている。『昭和元禄落語心中』では主人公である八雲の十八番で、物語の中で効果的に使われていた。
しかし何といっても最近なら米津玄師だ。
素人ながら所作がきれい、と評判らしいので、MVを貼ってみる。
そのまんま『死神』というタイトルの曲で「アジャラカモクレンケテレッツノパー」を披露している。最初にこの曲を聴いたときは、あれ、短いなと思っていた。以前落語を聴いたときには「アジャラカモクレン○○の○○のケテレッツノパー」みたいな呪文だったな、と。
今回の『おーい!落語の神様ッ』では「キューライス」が差し込まれていた。調べたら、真ん中に入れる言葉はなんでもいいらしい。落語家さんによって、そこに入れる言葉を変えることで、個性がでていると何かで読んだ。
しかしこの物語では、その呪文が何と、死神を追い払うのではなく貧乏神を追い払う呪文になっている!!
『おーい!落語の神様ッ』では、一話ごとにとは限らないのだが、なにがしかの落語の演目が紹介されている。さりげなく内容がわかるように説明してあって、わからなくて困る、ということはない。むしろ、どんどん聞いてみたくなる。ああいますぐ行ってこの落語を聴いてみたい、と思わせる。ナアジマさんの手腕の、そこが素晴らしい。
『死神』をはじめ、『しじみ売り』『千両みかん』『松山鏡』『強情灸』『柳田格之進』『八五郎出世』『親子酒』『船徳』『佃祭』『青菜』『ちりとてちん』『唐茄子屋政談』『看板のピン』『棒鱈』『紙入れ』『中村仲藏』『宿屋の富』『鰻の幇間』『猫の皿』・・・私など、知っているものの方が少ないが、誰の得意か、誰に習ったかもそうだし、兄弟弟子のネタだったり、状況に合わせたネタだったりと「人となり」「できごと」とリンクしていている様子が伝わる。
特に例の「落語の神様と自称する爺さん」の落語は話している途中で唐突に始まることが多く、「これを生で聞くってどういう気持ちなんだろう?」と思わせる。咲太は最後まで「まさか」「どこかの流派の名人」くらいに実在を疑っていないが、読者としては毎回、どきどきする場面だ。
そして貧乏神たちの存在が、面白過ぎる。
だんだん、肩や背に乗っかってる数が多くなると、わっさわっさという感じで歩いているのかと思うと可笑しくて仕方がない。もしかして自分の肩にもいたりして、などと思ったりする。
ここまで読んだあなたは、うっかり上か下のリンクをクリックしたくなるに違いない。だって絶対に面白いからね。面白いんです。間違いなく。
そしてまだ読んでいない、という方はここまでで。
私はこれから、思いっきりネタバレをさせていただく所存。御免。
作者のナアジマヒカルさんには、大変、お世話になっている。
でも今回、あえてペンネームで投稿されていることから、ナアジマヒカルさんがだれで、普段noteでどんな活動をされているか、というのは明かすまい。
お世話になっている、と書いたが、正直ナアジマさんにとっての吉穂は、「電車の座席の狭いスペースに強引に無理やり座り込んでくるおばさん」かもしれない。そんなに長い付き合いでもないのに「あらぁナアジマさん」とぐいぐい割り込んでは、ナアジマさんの困り顔に無神経な笑顔を向けている。本当に申し訳ない。
そんなだから、私はナアジマさんのお身内に落語家さんがいることも知らなかった。文学フリマの時に穂音さんから教えてもらって、やっといろんなことがつながった。
この『おーい!落語の神様ッ』で、私が最初にぐぐぅっと心を捕まれたのが、第一話の咲太の落語家志望動機だった。
これに妙に興奮した自分がいた。
中学と同時に弟子入りを志願して「高校を出てからまたおいで」と言われたのは歌丸師匠じゃなかったっけ。落語研究部を創設してしまったのは文珍師匠じゃなかったっけ。あれは大学だったっけ。みたいな。笑
なんか小ネタがこれでもか、と。ほんのちょっとの落語好きにもこんなにグッとくるのだから、本気で落語が大好きな、贔屓の噺家さんがいるような「ファンの玄人」さんには、もう、たまらん!のではないか、と思う。
そしてモギー鳥司の存在。
ひと通り『おーい!落語の神様ッ』を読み終わった後、「#春ピリカ」の作品が入っていることに気づいた。
むむぅ。これはもしかしたら、モギー鳥司が「貧乏神」が見えていた理由、なのかもしれない。咲太が落語の神様に落語を教わったように、モギー鳥司は父の手品の超絶技巧をみたことにより「見える」ようになったのか―――
ともかくモギー鳥司はミステリアスな男なのであるが、最後に寄席芸人だけで映画を撮ると言い出し、こんな謎を残している。
えっ。ちょっと待って。小さい「ッ」。これって見た目?肩に乗ってる様子?それとも、「おまけみたいだけど重要」みたいな意味??「神様」プラス「貧乏神(半福神)」なのかな。
私の心に、小さい「ッ」の謎が残った。
いやここは、サゲなはずだ。
おあとがよろしいはずだ。
これはきっと、解釈は読者次第、というところなのだと思う。
この小さい「ッ」によって、私たちは「半福神」を必ず思い出し、ふふっとなってしまう。すごいオチが来た、と思った。
この「貧乏神」。「かたわれ」として人の肩に乗っている間は「貧乏神」みたいなのだが、「死神」の呪文「アジャラカモクレンケテレッツノパー」を合図に相手から自分にやってくる。相手は貧乏神が離れてちょっと不運から解放され、晴れ晴れとする。それを知ってからは積極的に貧乏神を引き寄せる咲太。
しかし、それが実は「半福神」(はんふくのかみ)であり、うまいこと「かたわれ」に出会うことで合体し、福の神の完全体として光を放って成仏(?)することで、咲太は大きな幸運をつかんでいくのだった。
「落語の神様」に稽古をつけてもらうごとに、ひとりで生きているのではないと気づき、沢山の人との関わりの中、相手のことを思いやることができるようになっていく咲太。次第に芸にもストイックになり、それがどんどん「半福神」を引き寄せ、自分自身だけではなく、周りの人にも「福」を呼び込んでいく、その過程がとても良かった。
スターウォーズのアナキンもカイロ・レンも全員ヨーダに教わっていれば闇落ちしなかったかも、と思わせる古き良き時代の「神様」「死神」、「古今亭志ん生」師匠の圧巻。名人芸はこのように、後世の人まで救うのだなと思った。
先日、女性落語家蝶花楼桃花さんがテレビに出ていた。彼女も咲太と同じように「毎日違う演目をかける」というチャレンジをした、とおっしゃっていた。2022年には女性落語家初の『笑点』の大喜利メンバーを務めたという(円楽師匠の代理)。
トークでは女性落語家、という言葉から「女性」が取れる日を目指すとおっしゃっていた。なんとなく『おーい!落語の神様ッ』にでてくる「みかん」さんの姿と重なった。「みかん」さんはきっと、それら女性の落語家さんのいろんなところを集めた、集合体みたいな存在なのだろうなと思う。
番組にはたくさんの女性の落語家さんたちがちらりと写っていた。もっとよく知りたくなった。
今回、ナアジマさんは多くの方に落語を広めたい、と、この物語を書いた、と「あとがき」に書いていらっしゃった。
私も、その願いが果たされますように、と願ってやまない。
それで、感想文を書かせていただくことにした。
この「あとがき」に出てくる、着ぐるみさんの「半福神」さんのイラストが、あまりにもイメージ通りで思わず何度も見た。
私が前半部に書いたように、エンタメは沢山ある。
入口は何でもいい、と思う。
でもやっぱり寄席に行かなくちゃいけない、そんな気持ちにさせてくれるのは、噺家さんとの「ちょうどよい距離感」が醸し出すリアリティ、リアルな息吹が感じられる『おーい!落語の神様ッ』だからだと思っている。
私は今、本気の本気で、寄席に行く気満々だ。
ぜひとも、ナアジマさんのお身内のかたの落語を聴きに行くんんだ、と勢い込んでいるところだ。
これまでいろんなエンタメを見たが、「寄席に行こう」とまでは思わなかった。『おーい!落語の神様ッ』は、読者を寄席に誘う、最高の『お仕事小説』だと思う。
ナアジマさん、素晴らしい作品を、ありがとうございます!!
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