風の色鉛筆
「風の色鉛筆」というフォークグループとして、三人で活動していたことがある。当時はフォーク全盛期で、吉田トクローや赤い直角定規、親指姫などの有名グループに紛れて、ひっそりとデビューしたのだが、全く売れなかった。
メンバーとバイトをして食いつなぎ、1980年が来るまで粘ったが、次第によだまさしやオブコース、中山みゆきなどがポップムードに移り変わり、テレビ出演やステージにはトークの才能なども求められ、結局解散した。
メンバーは、まっちゃんこと益子英二(ギター)、タキこと滝川淳(ギター・ドラムス)、そして同じくギターでボーカルの俺、ヤマカンこと山田寛太。全員アコースティックギターしか弾けなかったし、多彩な音源を求められるようになるとお手上げだった。
レコードは2枚出した。
アルバムは出せなかった。
解散してからは、まっちゃんは実家の酒屋を継ぎ、タキは会社員になった。そして俺は、スナックを経営することにした。
タキは結婚して定年まで勤めて悠々自適になったし、まっちゃんも息子が酒屋を継いでいて心配がない。俺は定年もないからいまだにスナックをやっている。ついこの間、俺たちは75歳になって後期高齢者になった。スナックはほぼ常連しか来ないが、その常連もだんだん年を取り、めっきり客は減っていた。
店、大丈夫なのかと、よくまっちゃんに心配される。まっちゃんとタキとは高校の同級だった。まっちゃんは酒屋の三代目で、四代目までリレーしたので立派なもんだ。酒屋のチェーン店に押され始めた頃、時流に乗ってフランチャイズ化しなくてよかった、とまっちゃんは言う。ギターも三人の中ではいちばんうまかったが、それよりも商売が上手かったらしい。
タキは実直だけが取り柄という真面目な男で、まっちゃんと俺から熱心に勧誘されてメンバーになった。親を説得に行ったら、タキの母ちゃんには泣かれた。でもその後、結局大学にも入りなおしたし、そのままちゃんと会社にも努めたから、今では「風の色鉛筆」は彼の人生のいい思い出の1ページらしい。
俺は、——俺は、結局終わってないんだと思う。「風の色鉛筆」を引きずったままだ。スナックの壁には「風の色鉛筆」のポスターやレコードジャケットやサイン色紙なども飾っていたが、誰からも何も言われたことがない。いまだに、ほかのグループのサインやポスターばかり、誉めそやされる。癪だが仕方がない。全員、ギターのコードも忘れてしまったし、声も出ない。一度ならずスナックの余興で再結成などといって演奏したが、グダグダだった。酔っ払いたちに笑われて終わりだった。
俺の人生、何だったんだろうなと思う。
どこかで踏み間違えた。まっちゃんやタキのように、割り切ることができなかった。結婚もしなかったし、子供もいない。「風の色鉛筆」のただ一度の栄光の証である、V線レコード大賞の特別賞でもらった盾を、毎日磨いている。
うだるような暑さの昼日中、三時を過ぎると、雇われママのミコがやってくる。美智子だからミコ。昔はそんな風に渾名をつけたものだった。ミコの自慢は美智子上皇妃と同じ名前だ、ということ。いつもその話を繰り返す。
ミコとはいい仲だったこともあるが、いまでは腐れ縁で、お互い独り身なのでなんとなく身を寄せ合っている。一緒には暮らしていないが、一日の半分以上を毎日一緒に過ごすのだから、夫婦みたいなものだった。
一緒に暮らさないのは、ミコは所帯を持った亭主がいたからで、亭主が死んでからも亭主と暮らしていた家にいるからだ。娘と息子がいて、ふたりとも別に暮らしている。ミコはこのスナックに半世紀くらい勤めているが、その間、亭主がいたころのほうが俺と浮気をしていた。亭主が死んでからは、なぜか一度もそういうことがないまま、今に至る。
「あらやだちょっと。お通しにつかうひじきが無いわ」
ミコはそう言うと、そこのギョースーで買ってくるからと出て行った。俺は使う予定もないグラスを磨いている。今日も客など来ないかもしれない。だが店は開ける。すでにミコには給料なんて払っていないし、ミコも当てにはしてないらしい。ボランティアよと、がははと笑う。でももしミコがここに来なくなったら、俺は本当に孤独死だなと思う。ボランティアというより、老々介護のヘルパーなのかもしれない。
お通しはミコが作るが、結局それを二人で食べることが多い。基本的に酒しか出さない店だから、あとは乾きものが何点かあれば間に合う。
このごろはごくまれに常連客が来ると、あいつが死んだの、こいつが入院したのと言う話しか聞かない。
たまに客がカラオケを歌う。ミコは案外楽しそうにタンバリンを振って相手をする。望めばデュエットもする。いい女だと思う。
ふたりとも、最近少し足腰が弱ってきたし、目も耳も悪くなった。化粧の濃いミコの縁取りのある目もとも、ずいぶんたるんだ。
「おい、今日はミコちゃんいないのか」
珍しく、夜になってまっちゃんとタキが示し合わせたように来た。
「奥にいるよ、誰も来ないからさ、韓流見てるよ」
声を聞きつけてか、ミコが出てきた。
「あらいらっしゃい。まっちゃんもタキちゃんもお元気そうね」
何飲むの、と聞いたが決まっている。二人とも安いボトルをキープしているから、それをちびちびやるだけだ。
「今日はどうだ、たまには再結成するか」
言い出すのはいつもまっちゃんだ。
「ろくに歌えないのによぉ、よぅやるわ」
そう言いながら、三人ともマイクを握る。
カラオケには、たった一曲だけ、「風の色鉛筆」の曲が入っている。
学生街の~古ぼけた~
喫茶店で~きみと会い~
語りあった~あの日から~
年をとっても、歌詞だけは覚えているもんだ。
俺たちは、青い春の日をなぞるように、目をつむって熱唱した。
了
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