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灰色の猫 #シロクマ文芸部

 恋は猫を連れてきた。僕の家に彼女の猫はすぐ馴染んだ。気難しい猫なのにと言って彼女は大層喜んだ。緑の瞳を持つ灰色の猫だった。

 一緒に暮らそうと言った時、僕は猫のことを勘定に入れていなかった。彼女は、猫がいるのだけどきっとあなたも好きになる、信じられないほどかわいいの猫って、と言った。そういう彼女が信じられないほど可愛いと思った。だから猫だろうと子供だろうときみと同じくらい愛することができるよと僕は言った。彼女と猫は僕に訪れた運命なのだと思った。

 彼女は猫を愛した。僕よりもはるかに愛していた。僕は下僕しもべの様に猫に仕えた。猫の気に入りの銘柄をあがない献上した。猫はそれをさも当たり前のように享受し、ひと声鳴いてひらりと棚の上に乗ると、僕を見下したように睥睨した。そして彼女が呼ぶ時だけ彼女の膝に乗った。時には僕の頭を踏みつけにして彼女に鼻を擦り付けた。僕は猫に嫉妬した。

 彼女は猫を愛した。絵描きの僕は彼女の絵を描いた。彼女は猫をほっそりした肢体の真ん中に載せ、猫は最初からしつらえられたように彼女の柔らかなふたつの乳房の間にその身を預けた。
 彼女は猫を愛した。夜、せっかく彼女と睦みあっても、猫が小ばかにしたように寝所に侵入するので気が散った。ご破算になった行為は虚しく夜に消えた。彼女は猫を愛していた。

 けれども時がたつにつれ、僕は猫といる時間のほうが長くなった。猫を愛しているはずなのに、彼女は帰宅が遅くなり、ついには帰らぬ日も増えた。友達と飲んでいるのと彼女はなんでもないように言った。僕は次第に猫を憎むようになった。

 季節がひとめぐりもしないうちに、恋が終わった。冬の朝、彼女は猫を置いて出ていった。そして僕と猫が残った。

 彼女は猫を愛していたのではなかったか。
 僕は憎んでいたはずの猫を抱いて少し泣いた。

 猫は黙っていた。

 春が来て彼女は僕のいないときに猫を連れて行った。僕の部屋のチークのテーブルの上には彼女の走り書きが、オークの床にはケージと爪とぎが残された。

 恋は猫を連れ去った。恋をしなければ猫を知ることもなかった。いつのまにか、僕はあの灰色の猫を愛していた。
 信じられないほど愛していた。


#シロクマ文芸部




「恋は猫」から始まる物語。#シロクマ文芸部参加作品です。
前回に引き続き、猫の話。にゃあ。