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金木犀 #シロクマ文芸部

 秋が好きな人は心深き人。
 そういう歌があったんだ、昔。『四季の歌』だったかな。そう言って先生は目尻の小皺を深くした。珈琲と眼鏡の向こう側で澄ましたように笑っている瞳を見つめる。
 先生は珈琲が好きで、研究室にはコーヒーメーカーがある。先生が飲み物を持ち込むので、学生も好きな飲み物を持ってきていいと言われていた。
 淹れたての珈琲の香りと眼鏡。
 今、私と先生の間を阻むもの。
 作詞は誰だったかな、ああそうだ、荒木とよひさだね。それに「好きな人」じゃなくて「愛する人」だった。記憶なんて曖昧なものだね。
 スマホをスクロールして、そうひとり納得すると、『四季の歌』を聞かせてくれる。のんびりと同じメロディーが繰り返されるだけで単調だけれど、テロップの歌詞を追うと、四季によって親しい人をうまく表現している。古い歌もいいなと思った。
 春を愛する友達は清き人。夏は父親で、強き人。秋は恋人で深き人。冬は母親、心広き人。それぞれを表す比喩表現が、昭和っぽいけどロマンティックだ。春を愛する友達はすみれの花のよう――そうかな。すみれの花って、どんな花だっけ。
 先生は、どの季節が好きなんですか。
 素朴な質問を投げかける。すると先生は、いやあ特に好きな季節って言うのはないな、寒いのは苦手だけど、と言った。
 きみはどうなのと聞かれたので、秋、と答える。
 それじゃあ、心深き人だね、「愛を語るハイネのような僕の恋人」。
 先生がそう言った。歌詞を読んだだけのその言葉に胸が震えた。
 私が生まれた時、先生はもう結婚して子供がいた。私が先生に出会った時、先生の子供は結婚していた。奥さんが早くに亡くなって、今は独身——。
 私はハイネなんて読んだことがない。この歌も知らない。荒木なんとかさんも知らない。けれど先生が好きだった。今日はどういうわけか、ゼミの学生がなかなか来ない。先生に会いたくて早めに来たのは確かだけど、みんなが集まるまでに先生とこんなに近くで話ができるとは思わなかった。 
 私は心深くないです、と笑って言うと、そうですか、と先生はまた目尻に皺を寄せた。今日はみなさん遅いですね、と先生は珈琲を飲んだ。
 この時間が永遠に続けばいいのにと思った。時間が止まって欲しいとは思わなかった。止まってしまったら、感情を味わえない。
 私は今の、この感情を味わいたいのだと思った。
 誰も入ってこないで、と願ったが、そのうちにぽつりぽつりと部屋に学生が集まり、ゼミは始まってしまった。

 先生の立ち姿がとても好きで、いつまでも見ていたくなる。
 そういうの「おじ専」っていうんだよねと、友達は言う。
 大学ではカフェテリアで友達の友達と相席なんてこともある。あまり親しくない友達になりかけの子が「おじ専とか枯れ専ってさあ、甘ったれの子に多くない?若い男の子にモテないからターゲットを広げてるって感じだよね」と話していたのを聞いて、その子が嫌いになった。そういうんじゃないから、と心の中で思う。
 打ち明けた友達は真面目な優しい子で、きっと花音かのんの精神年齢が高いんだよ、と言ってくれた。「同じ年頃の子は物足りないんじゃない?年上の人って落ち着いていて素敵だと思うこと、私もあるよ。憧れるし、尊敬できるよね。でも教授はちょっと。先生と生徒だし、年、離れすぎてるかもね。教授のお子さんより、花音のほうがきっと年下だよ」
 ——知ってる。
 これが恋なのかどうか、私にもわからない。
 でも見つめていたいんだ。教授の持つホワイトボードマーカーになりたいと思うほどに。
 ゼミだから教室が狭い。ゼミ生の発表の後、先生が立ち上がった。ゼミ生の発表の後に軽い講釈があって、次の生徒に移る。
 みんな、暑いですか、エアコンを切って窓を開けてもいいだろうか。
 先生が聞いたので、学生たちはちょっと顔を見合わせ、頷き合った。
 今年は暑い夏だったと両親は大汗をかきながら辟易していたけれど、先生は涼やかな顔をしている。そうだ、さっき寒いのは苦手、と言っていた。エアコンが効き過ぎていたのかもしれない。
 昨日くらいから、急に涼しくなっていた。夏の名残でエアコンをガンガンにかけていたから、先輩もカーディガンを羽織っている。長袖の人も多かった。
 先生が窓を開けた。
 すっと風が入る。一緒に花の香りがふわりと入ってきた。
 この匂いは、知っている。秋が来るたび嗅ぐ香り。金木犀。
 ああ金木犀だね。僕は金木犀というと長田弘おさだひろしの詩を思い出すよ。
 ふと口をついたような先生の言葉に、学生たちは、そんなことはどうでもいいといった顔つきで先生を見た。
 ホワイトボードのいくつもの記号や数字を消したその指を、一瞬、先生は見つめた。そしてすぐに、この場に相応しくないことを言ったとでもいうように、表情を引き締めて先輩のミスを指摘した。

 ゼミの後、家に帰る前に図書館に寄り、ハイネと長田弘の詩集を探した。
 詩集を検索するのは生まれて初めてだった。911の棚と931の棚にそれぞれ古びた詩集や全集が並んでいた。ハイネはちょっと古すぎる気がして、長田弘の詩集をいくつか開き、金木犀という字を探した。
 やっと見つけたのは『最後の詩集』という、長田弘の文字通り最後の詩集。

 冬の金木犀

 秋、人をふと立ち止まらせる
 甘いつよい香りを放つ
 金色の小さな花々が散って
 金色の雪片のように降り積もると、
 静かな緑の沈黙の長くつづく
 金木犀の日々がはじまる。
 金木犀は、実を結ばぬ木なのだ。
 実を結ばぬ木にとって、
 未来は達成ではない。
 冬から春へ、そして夏へ、
 光を集め影を畳んで、
 ひたすら緑の充実を生きる、
 葉の繁り、重なり。つややかな
 大きな金木犀を見るたび考える。
 行為じゃない。生の自由は存在なんだと。

長田弘『最後の詩集』2015年 みすず書房

 やっぱり、先生が好きだっと思った。
 たとえ私のこの思いが実を結ばぬ木だったとしても、金木犀の香りに、こんな詩を思い出す先生が好き。大好き。

 私は、大樹の表紙の詩集をそっと閉じた。
 湿った本の匂いに包まれて、今まさに図書館の外にあるはずの、金木犀に思いを馳せた。

#シロクマ文芸部  



 今週もシロクマ文芸部さんに参加です。
 私は金木犀といえば、ソードアートオンライン・アリシゼーションの整合騎士アリスの「金木犀の剣」を思い出します。リリースリコレクション!