今残っている所有欲の対象
自分は幼少時代から様々な物や物事についてコレクターみたいな所があった。幼少期にはゲーム、マンガ、服などジャンルをバランスよくいろいろな種類を集めて所有しないと気がすまなかった。
次第に物は無限にあり、完璧な状態で保存するということは無理であるということがわかるようになってきてから、経験などのコレクティングに目を向けるようになった。場所なんて勝手に人間が決めた枠組みで無数にあるはずであるのに、旅行でどこどこの場所を制覇したとか自分が経験している写真などといったことである。
基本的に自分はあれもこれも追いかけるところがあるからコレクティングの対象は知識や技能にも広がっていった。日記をできるだけ詳細に書いたり、ウェブサイトで検索してなんとか問題を解決できた知識や情報をhtmlファイルでパソコンに保存したりしているのは、メモやノートを取る理由と同じように過去の努力を無駄にしたくない、同じことが起こってもすぐに解決したいという理由からそのようにしているのであろう。
しかし、実際にはそういった体験も無限で、ノートも見返すことは少なく知識も宝のもちふされとなり、保管することに時間をさいていたら有限の人生の中で楽しめることも楽しめないと思い、一時期そういった経験や知識のコレクティングもやめようとしていたが、つい最近では知識や考え方のコレクティングの一貫でデジタル本をよく購入してしまっている。
幼少期には上に述べたもののうち、ただ集めるだけのために買って実際に使用しなかったたものもあったが、今の本に関してはまだしっかり読めずにいるものも多いが、ちゃんと読むために買っているし、対象が役に立ついいものである本ということでまだ良いと自分を慰める。
実際に本は読んで体の血肉のようなものになっていってどこかでいつか役立つものであるばずだから、本は知識としてどこかにキープしておくものではないはずである。所有が個人の価値を上げるのではなく、その人自身がどうパフォーマンスできるかによりその人の価値が決まるからだ。
自分としては、こういった所有欲は全てなくして、体験欲というようなものに力を注ぎたいが、こういった幼少期からの癖というか習慣のようなものはなかなか抜けきらない。おそらく、この所有欲は心が満たされていないところからくるだろうからもっと精進せねばと思うのであった。
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