見出し画像

自分の中に根付くCM

最近はテレビを見る時間がないので、ビデオで自動録画をして時間ができた時にまとめて見ている。コマーシャルが近づくとビデオであるにもかかわらず、嫌な気分になり、ビデオということに気づかず早送りせず待ってしまう時がある。待っていると損した気分になる。大概そういった時はコマーシャルをじっと見て待っているのではなく、スマホなど他事をしている。じっとコマーシャルを見ていたらさすがにビデオと気づくからである。これもスマホでスキマ時間を活用できるようになった環境からこういった事象が生まれるのだろう。

損をした気分になるというのはコマーシャルについては嫌なイメージが多いということである。韓国のテレビのコマーシャルは番組の途中にはなく、番組と番組の間にしかないという。(映画みたいでいいな)と思うが、日本のテレビ番組は途中にコマーシャルが入ることで全体的に質を低下させているのではないかと思った。コマーシャルのないNHKの番組の方が何か質がいいと全体的に感じてしまうのは自分だけだろうか。日本の街には電柱があることによって外観が損なわれているというように、コマーシャルが途中にあることによって全体的な質が落ちるというようなことに似ていると思った。

商業上はしょうがないことであるが、コマーシャルに対するイメージはよくないと捉われがちで、コマーシャル自体おもしろいものとして見られるという方向に持っていってもいいのではという見方もある。中にはコマーシャルを楽しむ人もいるからである。日本では番組の途中にコマーシャルがあるということは当然のこととして視聴者は考えてきたと思う。ビデオにもかかわらず、待ってしまう自分の習性に気づいたことにより、これまで当たり前と捉えていたものを考え直すということも時には必要であると感じたのであった。

#CM #ビデオ#録画#コマーシャル#テレビ#イメージ
#月曜日 #小話#社会#エンターテイメント#本#Monday#FunnyStory#Society#Entertainment#Books

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?