運動会
先週の土曜日に2年生の長女の運動会があり、見学した。簡略化のため、午前中のみの開催で、時間帯に分かれて、各家族2名の参加が許され、我々家族は一年生と二年生の競技の間の1時間程見学をした。
気温は高く日差しが強かったので、サングラスをして、自分はマスクをしなかった。子供達は熱中症対策のため久しぶりにマスクの着脱を認められて、普段マスクのない顔を見たことがないので、みんなどんな顔をしているか興味があったが、子供達とは距離をとられていたので、ほとんど見ることはできなかった。
熱中症、紫外線対策のためには、サングラスをして、マスクなしが、科学的にはもっとも適切な格好であると思うが、大人でマスクを外していたのは自分のみで、正直なところ何か言われるかもしれないと恐れていたので、あまり集中できなかったというのもある。今まで熱中症など気にしたことがない自分で熱中症の要因を持ち出すのも気分はよろしくないが、サングラスとマスクをしていてはさらに怪しいおじさんであると思ったし、サングラスのみが最も自然であると思ったのである。
忘れてはいけないのは、マスクをするかしないかは自分の自由であり、普段、「マスクを忘れたとか思い出すのが面倒だ」と不平を言っているなら、自分からしない努力をしていけばいいことであるはずである。話が飛躍するが、前にも書いた、大学生活など、自分の生活を楽しいものにするのは自分次第であるということと似ていると思った。みんながマスクを外すのを待っていては、同じくみんなが自分の生活を変えてくれるのを待っていては、改善されないということである。
もちろん、感染対策は大事であり、コロナで恐怖を味わった人からすれば刺激的な意見であるのも理解するが、外でもマスクをするのはワクチンを3回も打ってただの風邪のようになりつつある感染症に対する態度ではないと思う。何のためにあんな思いをして3回もワクチンを打ったのかということである。
大多数より先に違うことをすれば、不利益を被ることもあるだろうし、マスク着用100%になったのが2年ぐらいかかったから、ちょうど元に戻るまで同じ時間かかるであろうこともわかるが、どちらかというと他の人にどう思われてもいいと思える人が、マスクを外していかないとみんな一生マスクをしなければならなくなるという危機感もある。コロナが始まるまでは、今一番マスクを外すのが難しい場所の一つである病院であってもマスクは着けていなかったということ、そして、コロナが始まった当初はマスクの着用は100%でもなく、今ほどでもなかったということを思い出したい。
ちょうど、最近、教育テレビの100分の名著でハイデガーの存在と時間の本が取り上げられて、大雑把に言うと、人間は不安の拠り所として、世人という一般大衆に合わせるということが傾向としてあり、世間からはみ出ることが怖いが、本当は自分のしたいことを貫くことが本当の安らぎであるはずといったようなことを言っていた。
マスクの件と重なる部分があると思ったが、相手に迷惑をかけてまで、自分を貫くということはここでは当てはまらないから、周りの目は気にせずとも、人との距離が2mとれれば外すというような合理的な態度を貫くべきと言い聞かせた。
運動会においては、一年生から六年生まで一通りみて、高学年の低学年との違いやたのもしさなどを見るのも一つの楽しみであるのだが、それもできなかだたのは残念である。実際には、自分は自分の子供の競技よりも高学年のリレーが楽しみであったりもする。いつも長女がお世話になっている分団の子達の競技を見るのも楽しみだった。自分の子供の競技だけ見られればいいと決めつけないでほしいというのもある。
いずれにせよ、感染対策なしの運動会というのは時期尚早でありながらも、(外でやるんだから時間帯で分けたりしなくてもいいのに)と思いながら、後味悪く帰宅の途に着いたのであった。
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