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中国近現代史の疑問でわかった自分の中のBias

先日たまたま映像の世紀プレミアム(20)「中国 “革命”の血と涙」がBSで放送されていたので視聴した。前回、このブログで中国語になぜ敬語がなくなっていったのかといったことを書いたので、偶然にも、中国の近現代史に少し触れることができてよかった。見てみると、中国語から敬語が減少していったのは文化大革命による理由ということへの理解が深まったが、新たに別の疑問が出た。

自分の中では、毛沢東は実質的に同じ一党独裁政治である共産主義国家の初期のカリスマリーダーの金日成と同じような存在で同じように崇拝されているというイメージを持っていたが、中国は少し違っているのではないかということを思った。

1960年代に国家、党ともに絶対権力者であった毛沢東は党のナンバーワンの座は維持しつつも国家主席の座を劉少奇に譲り、劉少奇、鄧小平らは市場経済の導入を始めた。その後、権力を取り戻すために毛沢東は文化大革命を扇動し、毛沢東の妻である江青も文化大革命を助け、当時の権力者への弾圧を強めた。

その後、毛沢東は権力を取り戻した後、文化大革命が終わり、毛沢東が世を去ると、鄧小平が国家主席となり実質的支配者となり、新たな共産党の権力者達は文化大革命の責任追及を始めた。そのやり玉に上がったのが、江青で、その後の裁判により死刑判決が下された。

自分の中で出た疑問は「毛沢東の妻であるのに死刑判決がでたのか」ということだった。どうしても北朝鮮の絶対権力である金一族のイメージがあり、それらの一族、特に妻に刑が下されるというのが想像できないからである。ただ、よく考えてみると、金正恩の兄も追放されたという事実もあるが、追放したのほ金一族側であり、中国の場合は追放した側は毛沢東とは別の一族の権力者であった。

そう考えると、中国の権力者は一族ではなく、共産党ということになり、毛沢東一族ではないということが浮き彫りとして出た。前々からそのようなことはわかっていたが、今まで特に意識することもなくそれらのことを見ていたので、改めて見るとそうであったという受け取り方だった。北京の有名な天安門の中心に掲げられている写真は毛沢東であり、平壌にも同じように金日成の写真が掲げられており、どうしても同じイメージで見てしまっていた自分がいたということだった。

明らかに自分の勉強不足であるが、同じ独裁主義国家でも事情はそれぞれ違い、自分も含め人は自分のフレームやイメージで物事を捉えているところが多分にあるということが今回の視聴で再度感じた。

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