プチ史資料紹介「那須国造碑」①基本情報編
「プチ史資料紹介」では、既に公開されている史資料で、筆者が気付いたことがあるものの、ちゃんとした研究誌に投稿するような内容ではないもの、推測の域を出ないお話、ただ単に好きで紹介したいものなどを書いていきます。
那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ/なすこくぞうひ)は、栃木県大田原市湯津上にある笠石神社の御神体として奉斎されている、飛鳥時代の石碑(国宝)です。
この石碑には、持統3年(689)に那須国造(国造はヤマト王権の地方官。地方豪族から任命)であった那須直韋提が評督(後の郡の長官に相当)に任命されたことが刻まれており、国造から評の官人へという、地方行政組織の変化の具体像を知ることができる貴重なものです。
また、この石碑は近世に“再発見”された後、徳川光圀の指示によって碑堂が建立され、さらにはこの石碑に刻まれた人物を探すための発掘調査が行われるなど、日本における文化財保護や考古学調査の先駆けとなりました。
以下、那須国造碑についての基本的な事柄を簡単にご紹介します。
なお、この碑については書きたいことが沢山ありすぎるため、複数回に分けて小出しにしていきます。
1 基本情報
・建立 飛鳥時代(700年頃)
・法量 高さ148cm
・材質 花崗岩
文字は、1行19文字で8行、合計152文字が刻まれています。
書風は六朝風(北魏風)とされ、日本書道史上重要な3つの石碑「日本三古碑」のひとつに数えられます。
【碑文】
永昌元年己丑四月飛鳥浄御原大宮那須国造
追大壱那須直韋提評督被賜歳次康子年正月
二壬子日辰節殄故意斯麻呂等立碑銘偲云尓
仰惟殞公広氏尊胤国家棟梁一世之中重被弐
照一命之期連見再甦砕骨挑髄豈報前恩是以
曽子之家无有嬌子仲尼之門无有罵者行孝之
子不改其語銘夏尭心澄神照乾六月童子意香
助坤作徒之大合言喩字故無翼長飛无根更固
(田熊信之・田熊清彦『那須国造碑』中國・日本史學文學研究會、1989年)
※この本、国会図書館では見つけられませんでした。ないの??
2 碑文の解釈について(参考文献の紹介)
碑文の最初の3行では、おおよそ次のようなことが述べられています。
永昌元年(持統3/689)4月、那須国造であった那須直韋提(なすの あたい いで)が評督に任命された。
その後、韋提は庚子年(文武4/700)正月2日に亡くなった。
そこで、意斯麻呂(おしまろ。韋提の息子か)たちが、韋提を偲んで石碑を建立する。
残りの5行では、韋提がどんなに国家のために尽力したかということ、残された一族が団結して韋提の恩に報いなければならないということなどが、中国の古典を参照しながら綴られています。
この碑文の解釈については、碑が“再発見”された近世以降、さまざまな説が提示されてきました。この記事では、そこまで細かいことはご紹介しません。以下の参考文献をご覧ください。
なお、筆者は東野治之氏による解釈・書き下し文が、現状では最も妥当性があるもののように思えます。東野氏の論文は、『日本古代金石文の研究』(2004年)に収録されているものが参照されることが多いと思いますが、なす風土記の丘湯津上資料館の図録(2015年)に若干の改訂を加えた解釈が載せられています。
【碑文についての主要な文献】
・田熊信之・田熊清彦『那須国造碑』中國・日本史學文學研究會、1989年
・東野治之「那須国造碑」『日本古代金石文の研究』岩波書店、2004年
・東野治之「那須国造碑を読み解く」大田原市なす風土記の丘湯津上資料館『那須国造碑―時代と人とをむすぶもの―』2015年
3 那須国造碑からわかること
・持統3年における国造から評の官人への任命という、地方行政組織の変化の様子。
・那須国造、評督であった那須直韋提、その息子と思われる意斯麻呂という人物の存在。
・唐や新羅で使用されていた「永昌」年号の使用、儒教や仏教に関する文献に基づいた文章が書かれていることから、渡来系知識人が撰文した可能性。
・碑の建立に際して、仏教信仰を共にする集団“知識”が結われた可能性。
4 那須国造碑に会いに行こう!
那須国造碑は、笠石神社の宮司さんにお願いすれば、拝観料を払って拝見できます。
遠方から拝観に行く際には、事前に電話連絡しておくと確実だと思います(電話番号をここでご紹介して良いものか判断がつきかねたので、ご自身でお調べください)。
【恣意的鑑賞のポイント】
・文字の美しさ!……個人的には、日本三古碑の中でも最も美しい文字だと思います。
・2行目の「評督」!……いわゆる「郡評論争」でも議論された箇所です。
・碑身表面の研磨痕!……よ〜く見ると、垂直よりやや斜め右に傾いた研磨痕が見て取れます。古代の石碑で、これほど碑を平滑に仕上げたものは他にないのでは。
・碑身表面中央、笠石直下の逆「大」字状の凹み!……田熊氏のご本で指摘されていたものですが、これ、文字なんですかねぇ?どうでしょうか?筆者が観察したところ、一画目の横画は傷のように見えますが、左右の払いは傷ではなさそうな。そうすると逆「人」字ということに?