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私の「マイ神様」は神功皇后?

今回はかなりぼやきです。

以前、今書いている四国遍路の本が良いものになるよう弘法大師に祈願しに、福岡県篠栗町の若杉山奥之院に参ったと書きました。

若杉山はけっこう山深いところにあり、如何にも「靈峰」という趣きと怪しさを感じられるところでもあります。

ここの中腹にある養老ヶ滝という行場は、弘法大師も、インドの善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう。真言宗の伝持の八祖の第五祖)も修行したという言い伝えがあり、ここもまたただならぬ雰囲気があるところです。 靈感など全くない私でも何かしらの靈気を感じてしまうようなところです。

私は、弘法大師が本尊となっている若杉山の奥之院で、「心願成就」と書いた巨大な蝋燭を灯し、般若心経三回と「南無大師遍照金剛」の御宝号を七度唱え、祈願しました。

この日は急に雨も降り出したことだし、服も少し濡れていたので早く帰ろうと思い、さてこれから山を降ろうと歩いていたところ、何か後ろ髪が引っ張られるところがありました。

別に何か聞こえるとかそういうわけではないですが、何かが呼んでいるといえば大袈裟かもしれないし、気のせいかもしれませんが、とにかく何か後ろ髪を引っ張られるようなそんな感覚がありました。

「弘法大師が呼んでいるのか?」 などと思ってみたりしたもしましたが、さっきまでいた弘法大師が祀られているお堂のところに戻る気にはなれず、隣にある太祖宮上宮(たいそぐうかみみや)という神社のほうまで行ってみました。 

ここは先ほどの奥之院を参る前にすでにお賽銭もあげて参拝していたのですが、本殿についたらその隣にある大きな白い像が目に入りました。


神功皇后(じんぐうこうごう)でした。


何か白い皇后の像がこちらを見ているような氣がしたのです。

勘違いかもしれませんが、呼んだのはこの神功皇后か?そのような気がしました。

ちなみにこの太祖宮上宮の祭神の一柱に神功皇后が祀られております。


神功皇后は戦前まではかなり信仰されていたらしく、昔の一円札にも描かれていたようですが、私は正直、それまでこの皇后のことをあまり知りませんでした。

ただ、最近古事記などの神話を読み始めたところだったので、神功皇后は朝鮮半島まで新羅や百済、高麗国を征伐に行った女帝だという認識があるだけでした。

そして私は、「はっ」としました。

そういえば、ここ一、二ヶ月くらい前から訪ね始めた神社の殆どが神功皇后をお祀りしていたところじゃなかったか?、と。


福岡という土地柄、神功皇后が朝鮮に出兵の際はここ「筑紫の國」つまり福岡に滞在したというのもあって、皇后にまつわる神社がたくさんあります。

福岡市の中心にある住吉神社の始祖といわれる博多区の住吉神社には住吉三神以外にも配祀神(はいしじん)として神功皇后が祀られておりましたし、福岡市東区にある三大八幡(はちまん)神社の一つである筥崎宮(はこざきぐう)でも、神功皇后配祀神として祀られております。

(八幡神社ではその名の通り「八幡様」をお祀りするのであるが、八幡様は応神天皇の神靈であるといわれております。 その応神天皇と、比売神(ひめがみ)、そして応神天皇の母である神功皇后(じんぐうこうごう)を合わせて八幡三神というらしく、八幡宮では神功皇后もお祀りすることが多いらしです。)

またこの前、宝満山でキャンプする前に立ち寄った竈門神社(かまどじんじゃ)にも神宮皇后が祀られておりましたし、今住んでいるところのすぐ近所にある平原宝満神社にも、神功皇后が祀られております。

そして、全国の龍神が集まる「龍の都」と呼ばれているということで、この前興味をもって行ってみた志賀島(しかのしま)志賀海神社(しかうみじんじゃ)にも、調べてみると何故か神功皇后がお祀りされていた。(その時は知りませんでしたw)


今まで神功皇后に呼ばれていたのか?というのは、まあそれは私の妄想癖の起こした勘違いとしても、とにかく福岡ではどこに行っても神功皇后と出会うのです。


私はとにかくそれ以来、神功皇后という人物が氣になってしまっています。



そして、これを書きながら、私の過去住んでいた場所の近くの神社を辿ってみました。

北九州市の小倉に生まれた私は、足立山妙見宮(あだちさんみょうけんぐう)産土神社(うぶすなじんじゃ)になります(生まれ育った土地の神社ということ) 。ここは大変格式の高い神社ですが、祭神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)などの「造化三神」で、神功皇后ではありませんでした。

高校は、小倉南区の田舎の高校にいきましたが、部活のしごきで使われた神社を今更ググってみると、そこは八幡神社でした。つまり、八幡神社なのでここでも神功皇后がお祀りされております。

出身大学の近くを調べてみました。 

福岡市東区の大学に行ったので、その大学の近くには香椎宮(かしいぐう)という、これまた大変格式の高い神社があり、そこでは神功皇后とその夫である仲哀天皇が御祭神となっており、 神功皇后がおりました。

そして大学を出た後のことを考えてみました。

私は大学卒業後は東京でフリーターをしました。そして、杉並区の永福町というところに住んでおりましたが、私の家のすぐ近くには東京のへそと呼ばれている「大宮八幡宮」がありました。

八幡神社なので祭神はもちろん八幡様です。ということでここも八幡三神の一柱として神功皇后が祀られております。

その後は私は九州に戻り陸上自衛隊に入ったり、その後は海外を転々としたり落ち着くことがありませんでしたが、今は福岡市に落ち着いてもう3年近くになります。


結局私は何が言いたいかというと、地元と海外以外の私の長く住んだところには神功皇后がいたじゃないかということです。

事実、今の家から歩いて10分もかからないところに、神功皇后が祀られているところがあるのです。


最近読んだ、「成功している人は、なぜ神社にいくのか」という本には、著者が日吉大社に参拝したときに、あるしゃぼん玉のようなものに導かれ、そしてついていったお宮には「菊理姫(くくりひめ)」が祀られていた、そしてその菊理姫(くくりひめ)とは、著者の石川県の母校のすぐ近くにある白山の祭神だったらしい、そこで彼は「私は今まで菊理姫に守られていたのだ!」と感じたそうです。


それ以来、著者は菊理姫(くくりひめ)に大変な縁を感じ、今では彼の「マイ神様」は菊理姫だと言っておりますが、私は今、神功皇后についても同じような縁を感じかけております。

まあ私の妄想だろうと思いますが(笑)、奥之院から帰ろうとしたとき、後ろ髪を引っ張られるような感じがし、そして引き返しときに見た神功皇后の像が、何だか普通じゃなかったのです。


この前、最近方位学とかスピリチュアルなことを勉強している友人から「7月某日に南西の方に2時間くらいかけて旅行にいってみて。ありえないくらい金運が上がるから」といわれ、今ニート状態の私は車で2時間くらいかけて行けるとこを探してみた。

 そしてちょうど西南方面に2時間でいけるところが佐賀県の武雄市だったのです。そこに行こう、そう決めました。

そして彼女は、「その土地でわくわくするようなところや、自然、神社にいって、そしてそこで温泉に入って。そしてその土地で取れたものを食べたらベストね」といっていたので、それならまずはそこの神社にいこうと思って、調べているときにピンときたのが武雄神社でした。樹齢3000年の御神木の巨大な楠で有名なところです。

そして、私はそこの御祭神を調べてみました。するとなんと祭神の1注


神功皇后


がいたのです。(笑)


参った参った。 


これも、完全に呼ばれたな(笑)と思わざるを得ませんでした。


それ以来、私の「マイ神様」神功皇后かもしれないなどと勝手に思っているのです(笑)


以上は私の妄想です。


ちなみに、神功皇后は戦神である八幡三神のうちの一柱ということもあり、昔から武士に強く信仰されていたようです。 


戦後、アメリカから完全に尚武の心を奪われてしまった日本人は、神功皇后への信仰を取り戻すときかもしれないと、少し思ったりしております。


ここまで読んでいただき有り難うございましたm(__)m

※追記(2020年8月14日)

ちなみに、父親の実家のすぐ近くに、八幡神社の総本山である宇佐神宮の「元宮」と言われている、「金冨八幡宮」があることがわかりました。

原始八幡神顕現の地と言われているところです。 

全国の八幡神社の総本山である宇佐神宮の「元宮」ですよ!?

ここの御祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、木花咲夜姫命(このはなさくやひめのみこと)、高龗神(たかおかみのかみ)でした。 父親の実家のすぐ近くでも神功皇后に見守られていたということでしょうか^^;  


※追記(2021年1月2日)

初詣でで、北九州小倉にある実家のすぐ近くにある「角神社」というところを尋ねたら、何とここも神功皇后が三韓征伐に出征した折立ち寄ったところでした。祭神に神功皇后は祀られてはいないが、ここも神功皇后に縁のあるところだったのです。

やはり、神功皇后とは何か繋がりを感じざるを得ません


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