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トラクターに8時間乗ってぼんやり考えていたこと
今日は、朝から晩までトラクター。本当に見事に一日中トラクター作業。
まずは土曜の続きのディスクハロー。相変わらずの激しいゆれ。ロデオ気分で乗りこなす。お次はサブソイラー。長い爪を畑に通す。ディスクハローを通したあとなので、今度はそれほど揺れがない。ただ地面が固くて何度かエンストしながら畑を走る。途中からもう一台のトラクターが同時進行でロータリーをかける。5ヘクタールの畑が全て終わる頃には、日も沈んで辺りは真っ暗。とても長いドライブだった。
トラクターを運転してる間、とっても暇。走っているラインがずれないようにそれなりに気は使う。それでもやっぱり結構暇。そんな時ぼんやり考え事をしてみる。今日のテーマは「宗教や思想」。
農業においても、何かの思想に基づいてかなり大変な農法を採用している人がいる。何を根拠にその思想を信じるに至ったんだろう?僕は宗教も、思想もこれといったものは持っていない。それでも平気で生きていられるのはどうしてだろう?そんなことを暇に任せて考えていた。
トラクターに8時間乗りながらぼんやり考える。きっと信じることは、当然だと思うこととの先にあるんだと思う。僕らはある程度、当然だと思うことがある状態で生きていたいんじゃないだろうか。だから、突如その当然が崩れた時に、信じられるものがなくなり、不安になり新たな当然を求めるのだろう。
当然穫れると思っていた農作物が穫れなかった時。自分は当然健康体だと思っていたのにそうでなかった時。今まで触れてこなかった思想や宗教が提示してくれる新たな世界の当然の考え方に惹かれやすいのだろう。
信じることを強固にするのも、当然を積み重ねることなのかもしれない。生まれた時から自分の家族が宗教に入ってたら、それはあまりに当然のことで、もちろんその宗教も強く信じるだろう。
自分の中で崩れてしまった当然を、新たな思想や宗教が崩れて当然だと説明できる気がしたら、あっさりと信じてしまうかもしれない。崩れた当然が重要なものであればあるほど、どうしようもなく、新しい、強い当然の捉え方を求めたくなる。きっとそんな感じなんじゃないかな。
僕にとって当然が崩れたのは、博士課程に進学を決めた時だったかもしれない。自分で決めて進学したのだけれど、ネットに溢れる博士の進路に対する暗い情報に不安でいっぱいだった。これまで進学に当たってはたから見るとエリートコースを歩んできた自分は、そのまま当然、明るい未来が広がっていると思っていた。その当然が博士課程の進学とともに自分の中で崩れたのだった。当時の僕はやっぱり新たな信じられる当然を求めて、前職のインターンに出会う。その出会いは、僕にとってとても幸せなものだったと思う。いろいろな経験もできたし、未だに信じられる仲間も得られた。その時出会ったのが、好ましくない思想や宗教じゃなくてよかった。
そこからさらに時が経って、今僕は北海道で農業を始めている。大学に入った頃の僕が知ったらきっととても驚くだろう。もしかしたらちょっとがっかりするかもしれない。それでも今、後悔することなく、これまでのことを肯定して楽しくやっていられるのは、妻がいて息子がいて、笑顔で暮らせているというこれ以上ない、当然の中にいるからかもしれない。
取り止めもなく、ぼんやり考え、一人で納得する一日だった。息子には、何があっても愛してくれる親がいる当然だけは与え続けたいと思う。そこが揺るがなければ、きっとそれ以外がどう変化しても何とかなるはずだから。
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