見出し画像

8年前に出会えなかった本、魔法のコンパス


2016年の吉田さん。中3のタンニン。

2016年はどんな年だったかと振り返ると、僕は初めての担任で、中3を受け持っていた。なぜ、この年を振り返ったかは後述することにするが、まずは毎日プンスカ、張り切っていた僕の話から。

校内でのスマホ使用は禁止!

授業中に使用していようものなら、信じられない形相で一発レッドカードを出していた。彼らには、カードより僕の顔の方が赤く見えたかもしれない。スマホを所持している場合は必ずロッカーにしまうルールだったから、机の中に入っているのがわかった時点で問答無用ボッシュート。使用していたかどうか確認できなくても、「机の中に入れていたってことは、使うつもりだったに違いない。」と決めつけていた。

いじめなんて論外。

僕のクラスには、いじめの気配すら存在してはいけないというプレッシャーをかけていた。もちろん、僕自分にもかけていた。少しでも他人が嫌がりそうなワードや、それを匂わせるワード、くすくすとした笑いをとことん嫌って、それらを敏感に感じとってはHRでコンコントークを繰り広げていた。その敏感さたるや、ガリガリくんをかじったときの前歯かと思うレベル。その上、僕が感じとった雰囲気が正しかったか正しくなかったかの検証作業をしようなんて、思っていなかった。

もしも・・・苦手から逃げようものなら

多少のことは目を瞑ろうなんて毛頭にない。宿題を出さないやつなんて無理無理無理無理。苦手なことは超努力。好きなことばかりなんて考えじゃダメージダメージ。忘れ物するなよ、冷静に。君に届けよ、欠点のメッセージ。もしも君が改善できないなら、迷わず指摘するさ。欠点しかもう見えないんだから。・・・とまぁ、こんな歌が彼らには聞こえていたに違いない。人はバランスが大事。苦手なことと向き合う努力をすることが、心のタフさや人間性を育てる。遅刻は秒単位で許さないし、宿題は1問の抜けも見逃さない。忘れ物をするなんてあり得ない。すべては努力で克服できる、と信じていた。

毎日、誰かしらとぶつかっていた

SNSだってLINEだって僕はやっていた。でも、クラスの中学生には「君たちにはまだ早い。使いこなせないからやめろ。」と言っていた。行動にも見た目にも中学生らしさを求めていた。ゲームなんてほどほどにして、勉強に時間を費やす方が将来のためだと伝えていた。「SNSの解禁はいつだよ・・・俺は今なんだよ!!」と叫ぶ中学生と、とにかくぶつかっていた。何度ぶつかっても、ぶつかることは仕方ないと、自分に言い聞かせていたかもしれない。これじゃあとんでもなく厄介で迷惑な当たり屋だ。タイムマシンがあったら、迷わず真っ先に2016年の僕に会いに行って、もっといい方法があるだろうと、「魔法のコンパス」を読み聞かせてあげたい。

2016年の西野さん。魔法のコンパス

僕が、西野亮廣さんの「魔法のコンパス〜道なき道の歩き方」に出会ったのは、2024年の12月だ。つまりこの本が出版された2016年から8年後のこと。前編で振り返った当時の僕が出会えなかったこの本は、8年分の僕の気付きを書いていた。

問いストーリー

問いを持つことは大事だ。「生きづらい世の中だよなぁ」と自然と嘆いてしまうような不便な環境にこそ問いがある。電話だって、遠い場所の人ともっと気軽に話せないかと問い立てた、グラハム・ベルのアンサーだ。お掃除ロボットや食洗機だって、誰かが問いを立てなかったら存在しない。快適だと感じる環境に問いはない。自ら進んで、整地されていない道路を行くのだ。自分から、共感できない本を読みに行こう。思えば僕は、本は自分の思考の整理・後押しをしてくれるものだと思い込み、そこから得られる新しい価値観の存在に期待していなかった。

苦手をなくすんじゃなくて、姿勢を変えるんだ

ヨットは風を利用して前に進んでいる。追い風の時はもちろん、向かい風であっても、帆の傾け方で前に進むことができる。ヨットが自分で、追い風は良い状況、向かい風は嫌な状況だと例えよう。多くの人は、この嫌な状況を消そうとしてしまう。だって、嫌だから。でも、ヨットの理屈なら、向かい風だって追い風と同じで前に進む原動力になるはずだ。必要なのは、状況に応じて自分の姿勢を変えることだ。もし嫌な状況を消してしまうと、つまり風が止んでしまうと、まったく別の力で頑張って前に進まなければならず、これが1番大変だそうだ。2016年の僕は、帆付き素手漕ぎボートでも作りたかったのだろうか。

らしさ、ってなんだ

親や先生が考える「子どもらしさ」「中学生らしさ」の押し付けは、子どもたちが理解できないものを理解するという可能性を奪っている。成長という行為を奪っている。彼らは彼らなりに目の前の大人たちを見て、これはやめよう、これは真似しよう、と取捨選択して生きている。支配できると思ったら大間違い。

好きなことで生きたいなら、お金について勉強だ

2023年出版の「夢と金」に繋がる話が、この本でも出てくる。夢が「お金の知識不足」や「お金の古い固定観念」に潰されてしまうことがよくある。夢とお金は相反関係にはなくて、お金が尽きると夢は尽きるという真実がこの世の中にはある。夢があるなら、やりたいことがあるなら、もっとお金の勉強をして選択肢を増やし、好きなことで生きる可能性を高めるんだ。そうしたら、仕事になるまで遊べばいい。

オール3が一番マズイ

競争社会で必要になるのは「5」のみ。「4」か「5」が複数あれば、そこには自分にしかできない仕事があるということ。「1」や「2」があっても、自分が使いこなせない力はいっそ、誰かに補ってもらえば良い。

いじめは娯楽という仮説

いじめは大昔からある。学校だけじゃなくて、大人の世界にもある。魚の世界にもあると、さかなクンが言っていた。いじめはダメだと!と、ポスターを100枚配り、いじめをやめよう!と、先生が叫び続けていることに、反対意見を掲げる人はいない。それでもいじめは、なくならない。理由は簡単で、実は誰もいじめようとしていないからだ。お金も技術も工夫もいらない、娯楽、暇つぶしとして存在しているのが「いじめ」だとすると、そりゃあなくならない。

2025年の吉田さん。今年のコンパス

だったら、いじめよりも面白い勉強があればいい。

グローバルティーチャー正頭英和先生が、エデュテイメントに注力するのは「いじめのない世の中を作る」ためだと言っていた(気がする)。いじめなんかより楽しい勉強を作っちゃえばいい。なるほどなぁ!と、痺れた。超憧れた。

教師だって、仕事になるまで遊び続けよう

いじめはダメ!授業中にスマホ使うな!の前に、目の前にはそれらより面白い教育が存在するのか?と問う。タブレットでこっそり漫画を読むよりも、アイドルの写真を眺めるよりも、夢中になれる授業があるのか?と問う。僕自身も、夢中になれることをとことんやっていく。


いいなと思ったら応援しよう!