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サマータイムサマータイム

打ち上げ花火が好き。

丸くて大きいのも、柳みたいなのも、一色のもカラフルなのも、どれも良い。

花火大会の序盤の「ひゅる~~~ドン!」と一発ずつ打ちあがるのも、クライマックスの「ドンドンドンドンドン!!!!」と連続で大輪が咲くのも、どちらも大好きだ。

だけど、私は長いこと花火大会に行っていなかった。昨年まで山小屋で働いていたからだ。

花火大会の日は毎年、山の上から遠くの花火を見下ろしていた。とても小さく、ポション、ポションと見える。

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は岩井俊二の映画だけど、私の場合は上から見ていた。

◇◇◇

今年の夏は12年ぶりに下界で過ごしている。

だから、今年は花火大会に行ける!……と思ったのだけど、慣れない仕事で心も身体もいっぱいいっぱいで、遠出をする元気がない。花火大会はあきらめていた。

けれど先々週の土曜日、夫が「今夜、いつもの公園で花火大会あるよ。行く?」と言った。

「行く!」

その日はなぜか調子が悪くて、思うように原稿が進まなかった。書いている途中で胸が苦しくなって、何度もうずくまって泣いた。

そんな状態だったから花火大会に行くのをやめようかとも思ったけれど、夕方になると窓の外から祭囃子が聞こえてきて、「あ、この楽しそうな音を聞きながら家にいたら、きっと泣いてしまう」と思ったから、えいや! っと外に出た。

私たちがよく散歩に行く「いつもの公園」はふつうの運動公園で、まさかそんなところで花火大会が開催されるとは思わなかった。行ってみると、たくさんの人でにぎわっている。

ビールとチューハイは家から持ってきていて、おつまみは屋台で買うつもりだった。けれど、どの屋台もものすごく長い行列ができていて、並んでいるうちに花火が始まってしまいそう。しかたなく、近所のスーパーで焼きそばと枝豆を買ってきた。

公園の前のブロックに腰掛けて、花火を眺めた。

◇◇◇

「ねぇ、一緒に花火大会に来るの、2回目だよね?」

夫は少し考えて「そうだね」と言う。

私たちは2011年・2012年は山小屋ではなく、それぞれ下界で働いていた。私は札幌のコールセンターで、夫は栃木県の工業高校で。

ある金曜の夜、夫(当時は彼氏)と札幌駅で待ち合わせた。私は会社から、彼は空港から来て合流し、豊平川の花火大会へ。河川敷で花火を眺めて、すすきのの私が好きな飲み屋に連れて行った。

結局、それが独身最後の夏になった。

だけどそのときはまだ、「これが独身最後の夏になる」とは思っていなかった。翌年の春に入籍してはじめて、「昨年過ごした季節はすべて、独身最後だったんだ」と気づいた。

◇◇◇

走馬灯のように、今までの花火大会を思い出す。


小さな頃はよく、実家の2階の窓から打ち上げ花火を見た。花火が始まると母が「サキちゃん、見て!」と教えてくれる。母と並んで窓の前に座り、ガラスに手をあてて眺めた。


小学校6年のとき、修学旅行先で花火を見た。そのとき一緒にいた子たちとうまくいっていなくて、ちょっとバカにされていた。花火を見ているときは純粋にその美しさに心を奪われて、日常の人間関係のことを考えずに済む。だけど途中で「あ、この花火もうすぐ終わる」と思うと急に涙が溢れてきて、グループの子に慰められた。慰められながら、「私がいないところでは『花火で泣くとかウケる』ってネタにするんだろうなぁ」と思っていた。


高校生になると、花火大会は「友達や彼氏と行くイベント」になった。私は通信制高校で、昼間はバイト、夜は劇団の稽古という生活をしていたので、同世代の友達がいなかった。バイト先も劇団も、大人ばかりだったのだ。でもやっぱり花火大会には行きたくて、劇団の先輩を誘った。

楽しかったけれど、後日、その思い出が急に色褪せるような思いをした。ふつうの高校に行っている友人のミホに、花火大会のあとに撮ったプリクラを見せてもらったのだ。そこには浴衣姿の女の子6人くらいがキャッキャと楽しそうに写っていた。私には手に入らないその思い出が羨ましくてたまらなくなり、とたんに自分の思い出が色褪せて見えた。だけど、そんなことを誰かに言ったら「人と比べてもしかたない」「一緒に行った人に失礼」などと正論の説教をされるのは目に見えているから、誰にも言わなかった。


その翌年は、演劇つながりの大学生数人と花火大会に行った。誘ってくれた人以外は、お互いに存在は知っていても話すのははじめて。女子は私を入れてふたりしかいなくて、もうひとりの子がものすごく可愛いかったため、彼女ばかりがちやほやされていて悲しくなった。私は他人からちやほやされたいんだなぁ、とはっきり自覚した。当時は「承認欲求」という言葉が今ほど一般的ではなくて、「ちやほやされたいなんて思ってしまう自分は低俗だなぁ」と感じていた。


専門学校生のときは、毎年浴衣を着て花火大会に行った。彼氏と友人カップルと行ったり、大人数でワイワイ行ったり。高校生のときはあんなにも「彼氏や友達と行く花火大会」を夢見ていたのに、実際に叶ったら「こんなものか」と思った。焦がれるあまり、「きっと夢のように楽しいはず!」と期待が膨らみすぎていたことに気づいた。

◇◇◇

花火が終わり、「ダンシングヒーロー」の盆踊りアレンジが流れた。

「……なんかこう、ダンシングヒーローと盆踊りがお互いにちょうどよく歩み寄ってるねぇ」

「最善のバランスだね」

そんなことを話しながら、家に帰った。

この先もこうしてふたりで花火を見れるのなら、夢のように楽しいことなんてなくていい。

そう思った。


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