人生は生きる為にある
自分を生きるということ
善良さには気骨が必要です。
世間の考えに従うのであれば、徳は例外に近いものとなります。
善行は自分の勇気や慈悲心を見せるためのものであり、そうした行いをしない日常に対する贖罪と釈明なのです。
「人生は生きるためにあるのであって、見せ物にするためではない」
しかし、「人生は生きるためにあるのであって、見せ物にするためではない」。
慎ましくとも誠実で平穏な人生のほうが良いです。
私がしなければいけないのは、他人の本分に属することよりも私自身に関わることです。
これは、重要なものと些末なものを分ける指標にもなります。
「自分の仕事をするのだ。そうすれば、もっと強くなれる」
偉大な人は群衆のなかにいても独立心を保ち、にこやかに人と接することが出来ます。
自分にとって意味の失われた慣習に従う必要はない。時間を無駄にせず、自分らしさを守るためです。
「自分の仕事をするのだ。そうすれば、もっと強くなれる」。
一貫した人間などいない
人を自己信頼から遠ざけているのは、一貫性への恐怖です。
私も結構「一貫性」を重要視してしますのですが、そんなの幻です。
人間は矛盾だらけです。
そして欲まみれです。
入院したばかりだから健康が欲しいと思っても、ポテチは食べてしまうし、スタバの新作の「マカダミア ショコラ メリーラテ」を買ってしまう。
そのくせ実はお金が欲しい、パートナーが欲しい。
ある方がどう行動するかは、その人の過去の行為から予測するしかないし、自分自身も、周囲を失望させないために過去の自分の言動を重視します。
自分の過去と矛盾しないためにいつまでも記憶の屍に引きずり回される必要などあるのだろうか
しかし、常に分別を持ち、自分の過去と矛盾しないためにいつまでも記憶の屍に引きずり回される必要などあるのでしょうか。
人は自己矛盾だらけです。
貴方も自己矛盾だらけですし、私も自己矛盾だらけです。
一生仲良くすると思った友達が捕まったら縁を切るでしょう?
毎日新しい一日を生きることこそ懸命な態度
いつも現在の視点から過去を検証し、毎日新しい一日を生きることこそ懸命な態度でしょう。
一貫性を気にするのは、壁に映った自分の影を気にするようなもの
一貫性を気にするのは、壁に映った自分の影を気にするようなものです。
今時点で考えていることをとにかく語りましょう。
明日には全てが矛盾したことを言うとしても、そのとき考えていることを語るべきです。
周囲から見たらころころと態度を変えているようであっても、人は自分の本質に背いたことはできない
周囲から見たらころころと態度を変えているようであっても、人は自分の本質に背いたことは出来ません。
自分が正しいと思ったことを実行できるのは、自分を正当化してくれる正しい行いを過去に行っていたから
その方自身を語るのは、その人の意志よりも人格です。
一瞬の息づかいにも自分の美徳や不徳は現れます。
自分が正しいと思ったことを実行できるのは、自分を正当化してくれる正しい行いを過去に行っていたからです。
従い、こうなりたいと思う自分として今行動すべきです。
その人格的行いの積み重ねは、活力に溢れた今を創ります。
「過去が光の束となって、今歩み出ようとする人を照らし出す」。
名誉は一瞬のものではないからこそ尊ばれる。
逆に一瞬良かっただけの名誉なんて生まれないのだ。
【参考】ラルフ・ウォルドー・エマソン・伊東奈美子(訳)(2009).『自己信頼』.海と月社