「自分の人生を生きられない」というのはどういう方か
『自分と他人を許す心理学』という本からです! よろしければどうぞ!
浪人生と「嘘」
東京の渋谷から出ている井の頭線という線がある。
その井の頭線の永福町という駅に城西予備校があった。
それよりもちょっと前には明大前という駅がある。若い頃、浪人している友人が言うことには「永福町で降りるのがすごくイヤだ」という。
何故かというと、そこの駅で降りるとき、電車の中の人みんなが、俺のことを「この人は浪人だ」という目で見ると言う。
特に「駒場東大前」(東大駒場キャンパス)が近くにあるので余計嫌だと言う。
彼は自分を高く見せなくてはいけないので、毎日イヤな思いをして、エネルギーを浪費している。
しかし、井の頭線の永福町というところに、城西という予備校があるということを知っている人が、電車の中に何人いるかと考えたら、ほとんどいないだろう。
浪人あるあるは「点数を誤魔化す」・「志望校を自分の成績より高過ぎるところ」にする
また、浪人している方は共通して自分の模試の結果より高い点数を同級生に伝えたりするのが「浪人あるある」らしい。
また、「志望校を自分の成績より高過ぎるところ」にするのも「浪人あるある」らしい。
自分には自分の人生があるのに、そこを見失ってしまっている
自分には自分の人生があるのに、そこを見失ってしまっている非生産的構えの人がいる。先ほど彼が正にそうだ。
本当は自分のそのままの点数、そのままで行ける大学で良いのだ。
自分には自分の人生があるとは「自分の人生の軸を持て」
犬は犬だし、ネコはネコなのである。犬にネコの生き方を期待しても無理である。
人の真似をすればストレスになるだけである。もともと人は違うのだから。
自分には自分の人生があるとは、「自分の人生の軸を持て」ということだ。
自分の人生がそこにあるのに、自分の人生を生きない方々
生まれてきて自分の人生がそこにあるのに、自分の人生を生きない。
そこに自分の洋服があるのに、自分の洋服を着ないで、人の洋服を着る。
何よりもサイズが合わない。着心地が悪いなどというレベルのものではない。色も合わない。
そこに自分の靴があるのに、自分の靴をはかないで、他人の靴をはく。
靴擦れができて、痛い。そこで痛い痛いと嘆いているのが「非生産的いい人」である。それが人の人生を生きている人である。
彼の関心は「現実の自分がどうか」ではない。彼の関心は相手が自分をどう思っているかである。
結論 「自分の人生を生きられない」というのはどういう方か
つまり「現実の自分」より「相手の思っている自分」のほうが大切である。
これが自分の人生がない状態である。
自分の人生の軸がない状態である。
【参考】加藤諦三(2015).自分の人生を生きられないという病~「生産的」いい人と「非生産的」いい人・1~(ベスト新書)(Kindleの位置No.462-467).KKベストセラーズ